東日本大震災から12年を迎え、復興や今後の防災・減災の重要課題を探る「第3回世界防災フォーラム」が3月10~12日、仙台市内の仙台国際センターで開かれた。宮城県、仙台市や東北大学災害科学国際研究所のほか多くの民間企業などが参加する国内・国際実行委員会が主催し、内閣府、文部科学省、国土交通省や青森・岩手・福島の3県、地元報道機関各社などが後援した。
3日間の期間中、国際機関や大学・研究機関、市民団体などによる「国際行動指針・仙台防災枠組」「アゴラin仙台」「トルコ大地震」など、31のセッション企画に日本はじめ32カ国の約5400人が参加した。そして自然災害のリスクをいかに軽減するか、今後の防災・減災上の課題は何か、などについて議論を重ね、深めた。
多くのセッションで何度も聞かれたキーワード、キーフレーズは「ビルド・バック・ベター(より良い復興)」「レジリエンス」や「伝承」「災害弱者に優しい防災」。日本では東日本大震災後も地震や豪雨など多くの自然災害が発生し、最近はトルコ・シリアの大地震があっただけに、大きな自然災害は今後も避けられないとの緊張感を共有しながら議論は熱を帯びた。最終日の12日は、災害リスク軽減を定期的に議論する政府間会合の設置を求めることなど20項目の提言をまとめ、国連防災機関(UNDRR)に提出して閉幕した。いくつかの注目された企画をレポートする。
開会式前に若い被災者が教育の大切さを訴え
10日午前10時からの大ホールでの開会式に先立って行われた「プレオープニング」。大震災当時、岩手県釜石市立釜石東中学校2年生で、現在は被災経験を伝承する活動の「語り部」を務める川崎杏樹さんがステージに立った。大津波が襲った当時の映像を見せ、多くの同級生が隣接する小学校児童の手を引いて高台に避難した体験を振り返しながら防災教育の大切さを訴えた。
釜石市では約1300人が犠牲になった。しかし地震の発生直後に釜石東中学の生徒らはかつて大津波が襲った歴史などを学んでいたことを思い出し、すぐに学校を飛び出した。そして約500メートル離れた高台めがけて走り出した。隣接する鵜住居(うのすまい)小学校の児童や教員は校舎3階に避難しようとしたが「もっと高い津波が来るかもしれない」という中学生の声や様子に児童らも高台に避難した。
この後、2校の校舎や町並みは大津波に飲み込まれたが、生徒、児童約570人は全員助かり、「釜石の奇跡」と呼ばれている。この呼び方に対し釜石市長は「奇跡であってはならない。こうした行動がどこの国でもどの町でもあたり前のことになってほしい」と語っている。
川崎さんは、高校卒業後は山梨県内の大学に進学。大学を卒業すると釜石市に戻り、同市内の「いのちをつなぐ未来館」職員としてガイドや語り部の仕事を続けている。スピーチでは過去の津波の怖さや避難の仕方など、大震災前に行われた防災教育のおかげで助かったことや防災について、楽しく主体的に学ぶことの大切さを強調。大震災後は当時の体験を追体験するプログラムを実践していることを紹介した。
そして「防災に取り組み、伝承する活動は種まき作業だ。その種が成長して花が咲き、実を結び、また新たな種へとつながる。その活動を止めなければ防災の大切さがもっと日本や世界に広がる。この種まき作業を私たち若者が率先していきたい」と述べた。大震災を経験した若い世代の未来への覚悟に満ちた力強いスピーチに、国内外からの参加者から大きな拍手が沸き起こった。
通信・情報サービスや防災・備蓄グッズなどの展示も
開会式では主催組織関係者としてまず仙台市長の郡和子さんが挨拶した。郡さんは「東日本大震災が発生して明日でちょうど12年になる。震災を経験していない世代が増える中で経験や教訓を未来の防災に生かしていくためには、市民や研究機関、企業の人たちがそれぞれに防災、減災の取り組みを進め、(その結果を)国内外に発信していくことが重要だ。この世界防災フォーラムはそのきっかけになる重要な機会になる」などと述べた。
続いて東北大学総長の大野英男さんが東北の復興はまだ道半ばであることを強調した。「沿岸部を訪れると、がれきは撤去され、道路や鉄道、防潮堤などの目に見えるインフラは整備されたが、まだまだ課題は残っている。復興はいつまで続くのかと言われるが、私は被災地で復興という言葉を聞かなくなるまでが復興だと思う」と述べた。
世界防災フォーラムの日程に合わせ、関連イベントとして防災対策の取り組みや最新の技術・製品を紹介する展示企画も仙台国際センター内展示棟で実施。企画ブースは60近くを数えた。大学・研究機関や民間企業、報道機関など約40団体が参加し、会場には通信・情報サービスや防災・備蓄グッズ、最新の防災機器などが展示された。
災害用ドローンの展示コーナーでは、人間の体温を感知できる特殊カメラを備えたドローンや、東京電力福島第1原発事故の後の放射線量を計測した無人ヘリコプターが展示された。またコーナーの一角には宮城県が主催した「第1回みやぎ災害伝承ポスターコンクール」の優秀作品が掲示され、多くの来場者が見入っていた。
国際指針「仙台防災枠組」巡り活発に議論
2015年の国連防災世界会議で採択され、国際的な防災行動指針になっている「仙台防災枠組」という国際的な枠組みがある。今年は30年までの同枠組期限の中間評価の年に当たり、これまでの活動の成果や今後の課題を取り上げるセッションが注目された。
10日午後には国際協力機構(JICA)が企画したセッションが開かれ、パキスタンなど発展途上国5カ国の政府関係者も参加。途上国の防災対策の厳しい現状や今後の課題などを発表し、同枠組の今後の課題などについて議論が続いた。
仙台防災枠組は「災害のリスクを理解し、共有する」「災害リスク管理を強化する」「防災・減災への投資を進め、レジリエンスを高める」「災害に十分備え、復興時にはビルド・バック・ベターを実現する」という4つの優先行動を掲げている。また「災害による10万人あたりの死者数削減」「災害による直接経済損失削減」など7つの指標も設定している。
東日本大震災をも上回る規模の巨大地震や気候変動に伴う大きな自然災害も想定されている。このため同枠組の中間評価では、こうした激甚災害への具体的な対応策や一層の防災分野への投資の必要性などを指摘している。セッションでも減災に向けた投資の重要性を強調する発言が目立った。昨年夏に国土の3分の1が水没したパキスタンの関係者は、災害リスクを軽減するための資金ばかりでなく、技術や人材も不足している実態を強調していた。
東日本大震災当日の11日には、仙台防災枠組が目指す防災への事前投資を取り上げたセッションも開かれた。ここでは災害が起きても被害を最小限にするための投資の重要性を確認。国を超えて連携し、同枠組の取り組みを一層強化することで一致した。
高校生が中心の企画で「知らない世代に伝える」
11日午前には、岩手県立の大槌高校と釜石高校の生徒が中心になって企画した「高校生による防災授業」「高校生からの“BO-SAI”メッセージ」が開かれた。参加した両校の高校生は12年前の大震災当時、被災地釜石市で被災したり同県内陸部や埼玉県などにいたりして、それぞれに幼いながら「3.11」を記憶している。
「高校生による防災授業」では、釜石高校2年の女子生徒が災害を疑似体験するゲームを活用して自分たちが防災を考え、友人も仲間に入れていく試みを紹介。「自分の命は自分でしか守れない。人任せにせずに自分の考えをしっかり持ってほしい」などと話した。
また「高校生からの“BO-SAI”メッセージ」には両校の7人の高校生が登壇した。大震災当時に感じたことや防災教育について思うこと、地元にとってこれから必要なことなどをテーマに卒直な思いを話し合った。
最後に釜石高校の山中蓮斗さんが挨拶。「この3月11日という日に自分の体験談を聞いてもらえて感動している。『天災は忘れたころにやってくる』と言われるけれど、未曾有の天災は絶対やってくる。また来る時のために大震災を知らない世代に我々が(教訓を)伝えなければまた尊い命が犠牲になる。日本全体で防災意識を高める必要がある」などと力強く語った。
「レジリエンス」構築に向けてパネル討論
11日午後には東北大学災害科学国際研究所などが主催し、高校生や地域住民も参加して日本語で行われたパネルディスカッション「レジリエンス社会構築に向けた新たな連携を」があった。レジリエンスとは回復力、復元力、耐久力などと訳され、特に防災分野で頻繁に使われているキーワードだ。
ディスカッションには同研究所の研究者、損害保険会社や地元放送局関係者ら7人が登壇。同研究所所長で世界防災フォーラム国内実行委員長の今村文彦さんがコーディネーターを務めて「持続可能な防災・減災インフラとは」「防災・減災における多様な連携を広げるために」をテーマに熱のこもった議論を続けた。
この中では「温暖化が進むと気候変動により自然界のバランスが崩壊し、世界的に被害が出る。防災に関する国際的な取り組みの強化が大切」「持続可能な防災・減災を考える場合、ただ強固にしても折れてしまうことがある。しなやかに折れずに復元できる『強じん化』も必要」「防災のためというより、日常生活そのものをレジリエンスにする考え方が大切」など多くの意見・コメントが出された。
今村さんはまとめの挨拶の中で「今日のテーマは難しく、すぐに解決策は見つからないかもしれないが、今年は関東大震災百年になるのでこれからもさまざまな場で今日の議論を続けていきたい」などと述べた。
トルコ・シリア大地震で特別セッション
同日午後6時過ぎから、トルコ・シリアで5万人を超える犠牲者を出した大地震を取り上げた特別セッションが開かれた。東北大学災害科学国際研究所やトルコ・イスタンブール工科大学の研究者ら8人が参加。被害を甚大にした要因などについて約2時間にわたり最新の報告と意見交換をした。
イスタンブール工科大学教授のファティ・スッチさんはトルコからのオンラインを通じて参加し、多数の建物が崩壊した原因について解説した。この中で柱が梁(はり)よりも弱い建物が多いためにパンケーキ崩壊を起こしたことや、耐震基準はあったものの多くの崩壊した建物は基準ができる前に作られ、基準が守られていなかった不適格な建物も多かったことが被害を大きくした、などと指摘した。
関連リンク
- 「世界防災フォーラム2023」ホームページ