5月8日(日本時間)に「海外日本人研究者ネットワーク論文賞」(UJA論文賞)の授賞式があった。海外で活躍する日本人研究者が信頼関係を育み、大きな成果に結び付けた研究を表彰するものだ。研究の卓越性に加え、海外で他の研究者との連携を通じて成果を結実させる能力にも光を当てる点に、特徴がある。米パデュー大学特別教授だった根岸英一氏(2010年ノーベル化学賞)の協力で作られたもので、今年は昨年6月に亡くなった根岸氏を振り返りながらの授賞式となった。海外に新天地を求め、成果を収穫する若者たちの熱い想いが垣間見られた。
規模拡大、今年は61報もの応募
UJA論文賞は、根岸氏を審査委員長として2014年に準備が始動した「インディアナ州論文賞」に端を発するもので、同賞を含めて今年で7回目を迎えた。主催する「海外日本人研究者ネットワーク」(UJA)は、海外の日本人研究者コミュニティー約50団体6000人をつなぐ一般社団法人。キャリア構築のための相互支援、留学を検討する人への情報提供や支援、そして教育・科学技術行政機関との情報交換や連携の場として機能している。共同主催者の「ケイロン・イニシアチブ」は、研究者と家族、科学と社会をつなぐことを目指すNPO法人である。科学技術振興機構(JST)などが協賛している。
アドバイザーには著名な科学者が就任している。例えば、昨年より東京工業大学栄誉教授の大隅良典氏(2016年ノーベル医学・生理学賞)や、米国立衛生研究所(NIH)プログラムディレクターの外山玲子氏が名を連ねる。賞の規模は毎年拡大しており、今年は米東海岸、中西部、西海岸を中心に欧州、カナダなどから61報の応募があり、22人の運営メンバーと30人を超える審査員による厳正な審査により14分野の合計20人が受賞した。
賞の設立者の一人である河野龍義氏(米インディアナ大学医学部准教授)は、熱意をもってこの賞を運営し、大きな手応えを感じているようだ。「より多くの方にこの賞を知っていただけ、今年はハイレベルな選考となりました。受賞できなかった方も含め、素晴らしい挑戦に拍手を送ります。この賞をきっかけに留学したい方が増えることや、研究者同士がつながり、一人一人の貴重な成果がキャリアアップや社会実装に結び付くことが大事です。実際に受賞者の多くから、目標としていたポジションを獲得したという、うれしい連絡をいただいています。そういった成功のノウハウについて気楽に情報交換ができるのも、この賞の良いところ。運営は大変ですが、素晴らしい出会いがたくさんあり、得ることも非常に多いです」
新しい環境での挑戦が成果に
この賞の特徴の一つが、その応募資格と選考基準である。応募できる論文は(1)応募者が留学先の研究施設で行った研究成果を示した第一著者としての論文であること(共同第一著者でも良い)、(2)英語で書かれた学術論文であり、査読があること。海外に出て海外の研究施設で成果を上げていることが要件となっている。
また選考基準は(1)応募者の研究者としてのキャリアアップに重要な意味を持つ論文であること、(2)研究分野への貢献度が高いこと、(3)論文の学術的価値が高いこと、(4)応募者の将来性が高いこと、(5)専門分野の壁を超えて伝わる価値があり、科学的好奇心を引きつける研究であること――という。著者のキャリアの中で重要な意味を持つ論文が、分野外の視点からも評価される必要があるのだ。
海外の研究施設とそこで働く人々に受け入れられ、成果を出すには、異文化に踏み込んで信頼関係を構築する努力が不可欠だ。ビザの申請からこまごまとした生活のセットアップまで、実に面倒な手続きが待ち構えている。そうした努力を地道に積み上げるには「新しい環境でのキャリアアップが、最終的に卓越した成果に結びつく」という信念が必要になる。UJAのメンバーは、この信念の価値を実体験を通じて共有しているからこそ、この賞を大切にしてきた。彼らは社会に新しい価値観を築き、浸透させる伝道者ともいえる。
信じる価値のため、多忙も厭わず
賞の運営メンバー22人と審査員44人は全員、国内外で活躍する現役の研究者である。激しい競争の中で生き残りを懸けて闘う彼らが時間を割き、公募から授賞に至る全てのプロセスの運営と、応募論文の査読に取り組んでいる。極めて多忙なはずの彼らが「できない」と言わないのは、なぜか。それは、自分たちが社会に浸透させたい価値観のために他ならない。まさに自助努力である。その姿は、海外の研究施設に飛び込み、信頼を築いて成果を生み出す活動と相似形にみえる。
さまざまな協力を得ながら取り組む彼らの姿からは、海外で必死に努力する研究者の実態が垣間見える。実際、受賞をきっかけに就職の話が進んだ、授賞式で同席した人と共同研究を始めた、受賞が米国の永住権獲得に役立ったといった、具体的な影響が生まれているという。
授賞式の運営リーダーを務めた石原萌惠氏(米カリフォルニア大学ロサンゼルス校博士課程)は「私自身のそれなりに長い海外での研究も、周りの人の協力がなければ成し得なかった」と振り返りつつ、賞のこれからを展望する。「多くの才能ある研究者が運営に携わり、海外で奮闘する同志たちの成果をたたえ、意義のあるつながりを構築していることを、とても誇りに思います。UJA論文賞のような活動やネットワークがあればより一層心強く、海外に長く残る上でのさまざまな障壁を少しは下げるでしょう。来年以降、より包括的で素晴らしい授賞式を目指します。特に、多くの女性研究者、博士課程の学生をはじめとする若手が応募してくれたり、運営に携わったりしてくれたら大変うれしいです」
根岸氏はメンバーや審査員にとって、活動の鑑(かがみ)となる同志であり続けた。ノーベル賞受賞者としての多忙な毎日の中で、2017年まで毎年、応募論文に目を通して一つ一つに評価を書き、出張先からファクスで届けた。日本の科学に危機感を抱きつつ、亡くなるまで、海外の若手の活躍を自分のことのように喜び、目を細めていた。その笑顔が河野氏の心に残っているという。
共同主催者のケイロン・イニシアチブが、研究者だけではなくその家族の支援を志している点も、注目に値する。研究活動の多くが家族の支えで成り立っていることを、深く認識したい。
「卓越性こそが報酬である」
根岸氏は「卓越性を追求することが大切で、卓越性こそが報酬である」とのメッセージを遺している。そして今年の授賞式には、ご息女のシャーロット氏から次のような祝辞が寄せられた(原文は英語)。
「父に代わって、皆さんにお祝いを申し上げます! 皆さんは何と洗練され、知的なグループなのでしょう。父のノーベル賞晩餐会でのスピーチの一部を引用致します。
『研究者にとっての最終的な報酬は、自分の一生の仕事が、学問の世界や研究室の枠を超えて、国際社会の大きな流れの中で、世界に希望を吹き込めるようになるのをみることです。研究の追究は、報酬のためであってはなりません。何をするにも、常に卓越性を追求しなければなりません。卓越性の達成そのものが報酬であり、評価は後から付いてくるのです』
皆さんのような組織と関わり、次世代を育てようという情熱が、彼のスピーチに表れていますね。『国際社会の大きな流れの中で、世界に希望を吹き込む…』皆さんは私たちの希望であり、未来です。父が皆さんに望むことは、皆さんが父の思想に突き動かされ、卓越性を第一に追求することです。そうすれば、父が言うように、偉大なことが後からついてくるはずです! 皆さんの成功をお祈りしています!
シャーロット・ネギシ・イースト」
海外に飛び出し、新しい価値と環境を自らの力で作る。そして追い求め、最後に獲得する卓越性こそが、研究に人生を懸けた人への報酬である。科学者としてのこの矜持(きょうじ)を、授賞式の参加者たちはかみしめた。UJA論文賞とその精神は、根岸氏の忘れ形見として、これからも引き継がれていく。