レポート

情熱と鋭い感性 小柴昌俊さんをしのぶ会、教え子ら数々の名言で振り返る

2021.11.26

草下健夫 / サイエンスポータル編集部

 星の終末に起こる現象「超新星爆発」で放たれたニュートリノを実験装置「カミオカンデ」(岐阜県飛騨市神岡町)で観測することに成功し、2002年にノーベル物理学賞を受賞した東京大学特別栄誉教授、小柴昌俊さん。一周忌を迎えるにあたり、しのぶ会が開かれた。生涯を通じ、素粒子や宇宙線物理学を牽引し高めた功績は語りつくせない。会合では、研究の最前線に立ってきた教え子が恩師の数々の言葉を振り返り、その飽くなき情熱と鋭い感性をひもといた。

会場に掲げられた小柴昌俊さんの遺影=7日、東京都文京区の東京大学(同大提供)
会場に掲げられた小柴昌俊さんの遺影=7日、東京都文京区の東京大学(同大提供)

「ニュートリノ天文学」開拓、ノーベル賞に輝く

 小柴さんは1926年、愛知県生まれ。素粒子物理学の世界で予言される陽子の崩壊を観測するため、地下の実験装置を79年に考案し、カミオカンデの実現に尽力した。83年に始まった観測では、予想に反し陽子崩壊は捉えられなかった。しかし東京大学教授を定年退官するわずか1カ月前の87年2月23日、17万光年離れた大マゼラン星雲で起こった超新星爆発のニュートリノを偶然に観測。「超新星爆発でニュートリノが大量に放出される」との理論予想が正しいことを示した。

 こうして光(電磁波)ではなく、ニュートリノを捉えることで宇宙の現象を研究する「ニュートリノ天文学」を開拓。2002年、「天体物理学、特に宇宙ニュートリノ検出への先駆的貢献」でノーベル物理学賞を受賞した。昨年11月12日、老衰のため94歳で逝去した。

 ニュートリノは宇宙に満ちあふれるが見えず触れもせず、私たちの体を常にどんどんすり抜けていく不思議な素粒子だ。17種類が見つかっている素粒子の中で、異様に小さく軽い。「幽霊粒子」とも呼ばれる謎めいた存在で、物質や宇宙の成り立ちの理解や、素粒子物理学の新理論の展開のかぎを握るとみられ、研究が続いている。

 しのぶ会は7日、東京大学(東京都文京区)で、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)対策のため関係者のみを集めて開かれ、ネット配信で中継された。取材も配信の視聴のみが受け入れられた。同大幹部のあいさつに続き、教え子らゆかりの深い6人の研究者が追悼講演に立つなどした。

「卵を常に2つや3つ温めておきなさい」

 研究の心構えに関する言葉はやはり、多くの教え子の心に残っている。録音で弔辞を寄せた東京大学宇宙線研究所長、梶田隆章さんは小柴研究室の16期生。「日頃から私たちに『研究の卵を常に2つや3つ温めておきなさい。そしてその卵がかえって実際に研究を始める時期を、常に考えていなさい』、『研究は国民の血税でやらせてもらっている。一円たりとも無駄にするな』と言われた」という。

 小柴さんは、カミオカンデから研究室に日々届く観測データを地道に確認する作業を、退官まで続けたという。梶田さんは「ひた向きな姿から研究への執念を学んだ。教え子に染みついているし、若い研究者たちにもしっかり受け継がれていると信じている。小柴先生はいつまでも私たちの恩師だ」とした。

追悼講演に立つ山田作衛さん(左)と鈴木厚人さん(東京大学提供、演者は撮影時のみマスクを外した)
追悼講演に立つ山田作衛さん(左)と鈴木厚人さん(東京大学提供、演者は撮影時のみマスクを外した)

 退官直前に超新星爆発のニュートリノを捉えたことを、偶然の幸運だったとする評価もある。だが当の小柴さんは「ニュートリノは全ての人に同じように降り注いでいた。用意していたかどうかだ」と語っていたという。これについて、1期生で東京大学、高エネルギー加速器研究機構名誉教授の山田作衛さんは「先生は過去の経験や友人、知人との関係を大切にされ、その中で特別な勘の良さを養われた。そのことが外からは、運が良いようにみえたのでは」との見方を示した。

 山田さんはまた「これを聞いたのは多分、私だけ」として、1970年代に小柴さんが語った、研究者としての3期の目標を明かした。「研究者の生涯はほぼ30年で、それを3つに分ける。最初の10年は、研究者として独り立ちするために必死に働いた。次の10年では、若い人が自分と同じように懸命に仕事ができるよう環境を整えたい。最後の10年になったら、自分で実験を楽しみながら、のんびりやりたい」というものだ。

 その後の小柴さんにとって「最後の10年」はカミオカンデ実験の時期と重なった。「実際には、のんびり楽しむどころか、かなり全力投球だった」と山田さん。さらにノーベル賞受賞後には“第4期”が加わり、ノーベル賞の賞金などを基に2003年に平成基礎科学財団を設立(17年解散)し、若者に科学の魅力を啓蒙し続けたことにも触れた。

 論文の執筆者名をめぐるできごとを振り返ったのは、8期生の東京大学名誉教授、小林富雄さん。素粒子同士をのり付けする素粒子「グルーオン」の発見に関する国際実験グループの論文で、小柴さんは当初「自分はお金を取ってきただけで、物理的な貢献をしていない」と、執筆者に名を連ねることをかたくなに拒否した。これに対し、検出器のアイデアや性能をめぐり小柴さんの貢献が不可欠だったことから他の研究者が強く反対し、小柴さんは最後にはいくつかの論文で同意した。別の論文では、名前の掲載を最後まで認めなかったこともあったという。

下宿ですき焼き「未来のノーベル賞パーティー」

関係者のみを集めて開かれたしのぶ会。壇上は東京大学宇宙線研究所副所長の中畑雅行さん(東京大学提供)
関係者のみを集めて開かれたしのぶ会。壇上は東京大学宇宙線研究所副所長の中畑雅行さん(東京大学提供)

 ノーベル賞の授賞理由はあくまで、小柴さんの業績の一部だ。米国留学、研究を経て1958年、東京大学助教授に就任。直後に、気球による宇宙線の大規模な国際観測の責任者となるなど、若手時代から第一線に立った。60年代末からは、電子と陽電子を互いに加速して正面衝突させ、高エネルギーによって生じる現象を調べる実験に情熱を傾けた。当初、共同実験を目指した旧ソ連の計画が頓挫すると欧州を奔走し、旧西ドイツの加速器を使った一連の実験を推進。これを欧州合同原子核研究所(CERN)での実験へと発展させ、現地に送り込んだ教え子を鼓舞しながら電子・陽電子衝突の国際実験を先導し続けた。

 追悼講演では、小柴さんが研究人生を通じて発揮した、人の資質を見通す鋭い感性をたたえる声も相次いだ。小林さんは「国際実験で主導権を取り、実験全体を成功させる一番のポイントは、誰と組むかだ。そこで、小柴先生の目は本当に確かだった」と語った。

 小柴研究室で助手を務めた岩手県立大学学長の鈴木厚人さんは、小柴さんが朝永振一郎氏の推薦状により、1953年から米ロチェスター大学大学院に留学した時期のできごとを紹介した。翌年1月、下宿で開いたすき焼きパーティーにリチャード・ファインマン氏、南部陽一郎氏らを招いていたのだ。それぞれ65年、2008年にノーベル物理学賞を受賞しており、小柴さん自身を含め、さながら“未来のノーベル賞パーティー”だった。「受賞を予想していたのではないかというくらい、小柴先生の眼力を感じる。(1965年に受賞した)朝永先生とファインマンさんの同時受賞を演出した、ということも頭に浮かぶ」と鈴木さん。

 人の功績をめぐる、独特の価値観も光った。小林さんはある時、小柴さんから「モーツァルトとアインシュタイン、どちらが偉いか」と問われ、「どちらも天才だが、分野が違うので比べられないのでは」と応じた。すると「君ね、アインシュタインのやったことは、誰かが必ずやったはず。だけどモーツァルトがやったことは、モーツァルトにしかできないんだよ」と小柴さん。このエピソードに続き、小林さんは得意のクラリネットを取り、モーツァルト作曲「アベ・ベルム・コルプス」を小柴さんに捧げた。

亡き恩師にクラリネットの演奏を捧げる小林富雄さん(東京大学提供)
亡き恩師にクラリネットの演奏を捧げる小林富雄さん(東京大学提供)

 小柴さんはその後も、2027年度観測開始に向け建設中の実験装置「ハイパーカミオカンデ」や、研究者らが北上山地(岩手県)の地下に建設を提唱する電子・陽電子衝突の加速器実験装置「国際リニアコライダー(ILC)」の必要性を熱心に説いた。鈴木さんは「小柴先生はノーベル受賞直後、色紙に『これからの物理 リニアコライダーとニュートリノ』としたためた。2002年の段階で、既にそう言っておられた。日本の研究者はこれからも、リニアコライダーとニュートリノ研究で世界を先導したい」と強調した。

「楽しい」ではなく「楽しむ」科学を

あいさつする小柴俊さん(東京大学提供)
あいさつする小柴俊さん(東京大学提供)

 会合の結びに、小柴さんの長男で香川大学教授の小柴俊さん(半導体工学)が立ち、「父は華やかなこと、自宅でパーティーを開いたり、会合で皆様とお会いしたりすることが大変好きだった。今日、多くの皆様にお集まりいただけたことは、父にとり大変うれしいことだと思う」とあいさつした。

 それにしても、小柴さんを恩師として慕い、この会合に集った研究者の顔ぶれは圧巻だった。素粒子・宇宙線物理学界のヒーロー大集合を実地に取材できなかったことが悔やまれ、ここでもコロナ禍を恨みたくなった。

 山田さんは長年、ドイツでの加速器実験などで重要な役割を果たしてきた。小林さんは欧州での加速器実験の日本代表を務めるなど、ヒッグス粒子の発見に貢献。梶田さんはカミオカンデの後継「スーパーカミオカンデ」の観測からニュートリノに質量があることを発見し、2015年にノーベル物理学賞を受賞。鈴木さんはカミオカンデの跡に東北大学が設置した装置「カムランド」により、太陽から出たニュートリノが理論予想より少ない「太陽ニュートリノ問題」の謎を解決した。小柴さんの指導者としての卓抜した資質がうかがえる。

 筆者は小柴さんを直接取材する機会には恵まれなかった。謦咳(けいがい)に接したく、高校生や大学生の後ろで個人的に聴講した2015年5月の平成基礎科学財団「楽しむ科学教室」での、冒頭のあいさつが心に残っている。当時のメモには「この会は『楽しい』科学教室ではない。何もせず聴いて楽しかった、ではない。楽しむとは、自分の意志で積極的に取り組むこと。楽しんで」とある。

 超新星爆発のニュートリノ観測は単なる偶然ではなく、小柴さんが研究への情熱と、カミオカンデをフル活用する執念によって手繰り寄せたものだった。語り口こそ優しかったが、研究者としての厳しい基本姿勢を、次世代への期待を込めて「楽しむ」の一言に凝縮したのではないか。小柴さんがあらゆる機会を捉え、教え子や若者の心にまき続けた種はこれからも芽生え、花が咲き続けるだろう。

遺影の左隣にはカミオカンデがニュートリノなどを捉えた際に生じる光を検出する「20インチ光電子増倍管」が置かれた。小柴さんが浜松テレビ(現浜松ホトニクス)を説得し、大型で高精度の製品開発にこぎ着けた(東京大学提供)
遺影の左隣にはカミオカンデがニュートリノなどを捉えた際に生じる光を検出する「20インチ光電子増倍管」が置かれた。小柴さんが浜松テレビ(現浜松ホトニクス)を説得し、大型で高精度の製品開発にこぎ着けた(東京大学提供)

◇11月29日追記
本文の一部を訂正しました。
9段落目
誤「次の10年では、若い人と同じように懸命に」
正「次の10年では、若い人が自分と同じように懸命に」

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