科学技術振興機構(JST)の「サイエンスアゴラ2020」はテーマを「Life」とし、標識(サイネージ)というインターフェースを通して未来を考えるアート作品「Next Signage」をキービジュアルに起用した。今は実現していない技術が当たり前に存在する姿や、その時に発生する感情に思いを巡らせることで、論理では説明できない発見が得られることを狙いとしたのである。
そして、こうしたマークを通じて未来社会の風景を想像するコンテスト「未来のマークをつくろう」を実施した。「安心」「安全」「リアルとフェイク」が強調されたコンテスト表彰式(2020年11月13日開催)と、それに先立つ約1年前のワークショップ(WS)の模様をお伝えする。
ツイッターで募集し、3作品が入賞
サイエンスアゴラ事務局は、2020年11月1日まで、コンテストの作品をツイッター投稿で募集。作品の制作者が事前に投稿する形式で行われた。募集期間は約1カ月と短く、作品づくりでは、未来社会に必要なことを模索し、必要と思われる標識やマークを考えた上で技術のことも考える必要があり、「難しい」「ハードルが高い」などの声もあったという。
博報堂アイ・スタジオのアートディレクター/デザイナーの河野洋輔さん、「サイエンスアゴラ2020」推進委員会委員長の駒井章治さん、JST「科学と社会」推進部長の荒川敦史さんの3人が審査した。当日の司会は同部所属の黒田明子さん。
事務局による厳正な審査の結果、最優秀賞と優秀賞2つの計3作品が入賞した。最優秀賞はさなづき(彩月)さんの「店に入るだけで充電できる店のマーク」。umepbg4さんの「走るだけで空気を清浄にする車のマーク」と都立富士高校物理班の「仮想空間と現実を区別するためのマーク」が優秀賞となった。
また、今回選ばれた3作品は、実際にどのように使われていくのか、河野さんが再デザインし、解像度の高い作品に仕上げた。いずれも、未来の風景がとてもイメージしやすい絵に表されている。
各マークの審査の際には、そのマークが必要になる時期も話題になった。日常生活の中にどのように組み込まれ、描かれたのか。一つずつ見ていこう。
ワイヤレスカフェの混雑度は?
最優秀賞は、スマホやタブレットのワイヤレス充電が建物内で当たり前になった時、カフェなどの店内が混雑するにつれて充電速度と量が下がる度合いを、交通信号のように緑→黄→赤と入り口で知らせる作品。元のデザインをほぼそのまま反映したという。
「検索した時にここは空いてる/混んでるが分かると面白い」(黒田さん)に「コンセントの数に縛られないので取り合いにならなくて良い」(駒井さん)とし、会場には笑いが起こった。15年後に実現の可能性が高いとのこと。
皆、口をそろえて「本当に既にありそう」「近い未来に(実現すると)感じられる絵」と感想を述べた。中継中にはユーチューブやツイッターで、作者のさなづきさんから喜びの声も書き込まれた。電池切れの不安感を解消するマークは価値の高いものになりそうだ。
車で空気浄化をアピール
1つ目の優秀賞は、走るだけで空気を綺麗にする車であることをアピールするマーク。例えば、吸いこんだ空気に含まれる汚染物質を数種のフィルターで除去する。昨年末に発売された新しい水素燃料電池自動車はこの機能をうたっており、数年後にはマークが現実になっているかもしれない。
審査員も嬉しそうに語る。実際の日常生活に落とし込む時には、デザイン上、少しシンプルに。「このマークがない車で走ると恥ずかしいと思う日が来るかも」(荒川さん)とコメントが寄せられた。走りにとどまらない安全性の追求に期待が集まる。
本物と偽物を見分けるために
2つ目の優秀賞は、仮想空間が当たり前になった未来で、本物と偽物を見分けるために必要になると考えられるマーク「This is REAL」。色は見やすいように、彩度・明度を少し落とした落ち着いた色を使った。最近では、バーチャルの世界が急速に発展し、情報も映像も本物か偽物か分かりにくくなっている。審査員は、50年くらい先の未来と予想。
絵ではよりシンプルにして描かれた。この風景の中では交通標識だけが本物だ。「どの時期までリアルが多くて、どの時期からフェイクが多いのかを考えると面白い」(駒井さん)
最終選考作品に共通する問題意識
総評前には、最終選考に残った作品の紹介と審査員からのコメントがあった。
左は画像の認証マーク。優秀賞の都立富士高校の作品と共通する懸念の示唆が感じられると荒川さん。右は唯一の動画作品で、駒井さんのおすすめ。キャッシュレス決済の技術が浸透していく世の中を表している。「視覚的に何かが入ってくるのが良い」とした。
中央の「ブレインマシンインターフェース※」に関わるマークも評価が高かった。SFなどにもあるように、脳の情報を取り何かの活動に使う時、取られる情報にセキュリティがかかることを示している。この他にも、同じ問題意識でつくられているマークがあったという。
※脳と機械を介在する技術やその研究領域の名前を指す。脳の活動を何らかの形で情報に変換し、その情報を使って、機械や物を動かす。
プロが描いた未来のマーク
「誰でも未来を想像することってあると思います。普段想像するよりも、高い解像度(一歩進んだ形)で未来を考えるきっかけをつくることが、Next Signageという作品の狙いです。進化した技術に対してどのような問題が起きるのかを考えて作りました」と語る河野さん。プロが描いた作品の一部を見てみよう。
まずは、人工知能(AI)を持つドローンに「ここは立ち入り禁止」と伝えるマーク。無人のドローンが通ったり入ったりしてはいけない場所をAIに認識してもらうのが目的だ。「2030年頃にはAIドローンが飛びかって荷物を運んでいるのではないかと想像した」(河野さん)
続いて「人が音楽をつくらなくなった世の中では、人による演奏に価値が出るのではないか」という考えから生まれたマーク。「飲食店の入口に貼られているイメージで、このお店では生の演奏が聴けます、と堂々うたえる」(河野さん)。2040年頃に出てくると考えられる。
3つ目は「スーパーで人工魚肉と本物の魚肉が並んで販売された時に、差別化するためのラベルが貼られるようになる」と2045年頃を想像したマーク。「将来、本物の魚が食べられなくなるのではないか」と懸念されていることからインスピレーションが湧いたという。
河野さんはマークを考えることの重要性についてこう語る。「テクノロジーって世の中を便利にするものではあると思うが、一方で、良いことばかりではないだろう。新しい技術が活用された先に、危険が潜んでいるのではないか、問題があるのではないか、多角的に考えるきっかけにNext Signageがなればと願っている」
生活者の視点を価値創造の起点に
今回、事務局は2020年2月20~23日に開催された「未来の学校祭」で展示された「People Thinking Lab 2019」の「Next Signage」や、それを用いたWSを事前に見学。WSでは、参加者が未来の出来事を想像し、実際に手を動かして新しいマークを描いた。ロボットやAIをはじめとする科学技術が発達していくであろう未来、今あるマークだけでは限界があると考え、2025年~2070年程を想像し、オリジナルなマークを創造しよう、という狙いだ。
2016年に博報堂とアルスエレクトロニカが実施し、2019年に博報堂アイ・スタジオが加わった「People Thinking Lab 2019」のプロデューサーである博報堂アイ・スタジオの今井康之さんは「ビジュアルで考えること、身近にあるもので考えることが重要と考えています。また、実物があると、対話のフックにできて、物事も理解しやすくなりますよね」と、アートを通じて対話を生み出す一つのしかけとしての出展の狙いを語った。
参加者は、悩みながらも楽しそうに、自分たちの未来の生活で必要と思われるマークを考えていた。小さいお子さんだけでなく、大人も楽しめる内容だった。新しいマークを通じてさらに未来の風景を想像するという発想を受け、事務局は「こういったアプローチがあるのか」と感じ、もっと多くの人に体験してほしいと考えたことがコンテスト開催につながった。
また、展示も注目されていた。これから起こりうること、現在も既に起きていることをもとにつくられている。ディストピアにもユートピアにも考えられ、見る人たちも興味深そうに展示を見て、未来に想いを馳せていた。作品を見た参加者からは「本物と偽物、見分けがつくかな。自分だと騙されそう」「そんな未来が来たらちょっと怖い、生きていけなさそう」など、未来を想像し不安の声も上がっていた。
これらの活動は、生活者の視点を価値創造の起点とする「生活者発想」に基づいているという。「『生活者発想』とは、人を、単なる『消費者』として捉えず、多様化した社会の中で主体性を持って生きる『生活者』として、全方位的に捉え、深く洞察することから新しい価値を創造していこう、という博報堂の発想の原点なんです」と今井さんは語る。マーケティング調査のみならず、こうした独特のアプローチでも生活者の洞察を得ようとしているのだろう。
主体的に一人ひとりが考えよう
コンテストの場でも、審査員からは「リアルとフェイクの違い」が共通項としてあげられた。さまざまな情報で、本物と偽物の区別がつかなくなってきている現状を踏まえ、本物と偽物を見分けるような内容を示唆する作品の応募が多かったことが印象的だったという。
また、すぐ身近にある技術であるのに、近い将来困りそうな内容に対応できるマークが、今までなかったことにも皆が気づいた。「ただデザインを競うだけでなく、背景である問題意識や新しい思考の方法を知った」と荒川さん。駒井さんからは「日常の生活にちりばめて改めてデザインしていただいたのが良かった」との感想があった。
最後に、河野さんは今回のコンテストで感じたことを、次のように語った。「主体的に一人ひとりが考えることが、より良い未来につながるのかなと思う。新たな技術が自分たちの生活のどういった場所・形で使われるのか。さらに、そこでどんなマークが必要になるのか。そういう視点で考えてもらえるような活動を、これからも続けていきたい」
◇
未来のマークコンテスト開催にあたり、河野さんによるチュートリアルビデオや課題シート、学校の授業で活用できるマニュアルなども公開されている。学校の授業で完成したマークをみんなで見せ合い、そこから未来を考えるのも楽しいだろう。河野さんは「『綺麗に描かなければ』と考えず、まずはマークをつくることで、未来の風景を高解像度で思い描いてもらえれば」とメッセージを送った。今回応募に至らなかった人にも、ぜひ体験してほしい。
【People Thinking Labとは】
博報堂の哲学である「生活者発想」(生活者の視点から物事を考える)をアルスエレクトロニカ・フェスティバル(オーストリア・リンツ市で開催される世界的なメディアアートの祭典)に反映させる試み。2020年2月20~23日に開催された「未来の学校祭」では「People Thinking Lab 2019―予定調和からの脱皮―」として、参加者の内なる創造性を触発することで、常識や慣習にとらわれず、人間や社会について多角的・本質的な洞察を創出することを狙いとした展示やWSを実施。展示は「Next Signage」(標識というインターフェースを通して未来を考えるアート作品)と「Inspirator」(あるテーマに関連のある事柄をアルスエレクトロニカの文脈の中からAI技術が分析して提示するツール)を中心に構成され、「Next Signage」ではインターフェースデザインのWSも開催された。新たな気づきや創造性が触発されることを狙いとし、AI技術やデザイナー独特の観点を活用した作品の展示やWSなどから、思いもよらない発想が生まれることを期待して活動を続けている。
【生活者発想とは】
人を、単に「消費者」として捉えるのではなく、多様化した社会の中で主体性を持って生きる「生活者」として全方位的に捉え、深く洞察することから新しい価値を創造していこうという考え方。生活者を誰よりも深く知っているからこそ、クライアントと生活者、さらには社会との架け橋をつくれるのだと考える。博報堂の発想の原点。
関連リンク
- 「未来のマークをつくろう」コンテスト
- 「未来のマークをつくろう」コンテスト表彰式
- 未来のマークをつくろう