よりよい未来社会のあり方を科学者と市民がともに考える国内最大級の科学イベント「サイエンスアゴラ2020」=科学技術振興機構(JST) 主催=が11月の13日から10日間にわたり初のオンライン形式で開催された。プレ企画を終え、開幕日となった15日午後、「テクノロジー」をキーワードに「ポストコロナ社会」の人間らしい生き方を探るセッションが行われた。
今年のアゴラの全体テーマ「Life」を正面から捉えた企画で、タイトルは「アゴラ市民会議『人と人の間はテクノロジーでつなげるか〜ポストコロナ社会における人間らしいLife のゆくえ』」。企画したのはJST「科学と社会」推進部と日本科学未来館で、研究分野を異にする4人の気鋭の研究者が2時間近くにわたり熱く語り合った。
ファシリテーターを務めたのは「サイエンスアゴラ2020推進委員会」委員長で、東京国際工科専門職大学教授の駒井章治さんだ。駒井さんは「セッションのタイトルは今年のアゴラの全体テーマ『Life』のど真ん中だ。コロナパンデミックが猛威を振るって世界は大変なことになっている。そうした中で色々な形でデジタルが入って来てコロナ禍によるさまざまな制約をカバーしている。今一度立ち止まって人が中心になったデジタルのあり方を考えていきたい」と口火を切った。
最初の発言者はデロイトトーマツコンサルティング合同会社/デロイトデジタル執行役員で、東北大学特任教授の森正弥さん。デジタル関連企業に長く勤め、現在はデジタル分野の企業支援、産業支援などに携わっている森さんは、ITの浸透が人々の生活をよりよい方向に変化させるという概念である「デジタルトランスフォーメーション」(DX)とリアルな人間体験(HX)の視点から発言した。コロナ禍にあってもデジタルがいかに経済活動やビジネス、消費の世界に入っているかについて具体例を挙げながら紹介。「(デジタル)テクノロジーは便利だからと拡大して使っていくだけでなく、いかに『人間体験』をよくしていくかということで使っていく。それによって価値あるDXができる」と述べている。
コロナ禍では接触と非接触を上手に
次に美学や現代アートが専門で、東京工業大学科学技術創成研究院未来の人類研究センター長の伊藤亜紗さんが発言した。伊藤さんは森さんが提示した「人間体験の拡張」の視点を受け、「触覚」の切り口から語り始めた。人間は誕生する時も死ぬ時も他の人間の手を借りなければならず、「触覚」は絶対必要なものなのに、コロナ禍で「接触」が制限されたのは衝撃的なことだったという。
伊藤さんによると、接触に関する動詞には「触る」と「触れる」の2つあって「触る」は一方向的、「触れる」は双方向的で、より人間的な関係の動作だという。そして「触る」「触れる」をコミュニケーションのタイプで分けて考えると「伝達」と「生成」とに特徴付けられ、「伝達」は一方向的だが、「生成」のコミュニケーションは最初からメッセージが決まっているのではなく、発信者と受信者との双方向的なインターアクションの中でメッセージが形作られる。何か新しい発想が求められる時は「生成」コミュニケーションが必要になる、と説明している。
また、発信者、受信者2者間の「信頼」が大切で、信頼は相手に任せることだ、と説いた上で「テクノロジーは安心と安全を追求することに向いているが、それを突き詰めすぎると信頼がなくなる。信頼を失わないこととテクノロジー追求とのバランスを取ることが大きなテーマになる」と述べた。コロナ禍にあってはテクノロジーを使って非接触と接触(の機会)をうまく作っていくことがポイントだという。
この後提示されたのは「ゲノム人類学」からの視点だ。登壇者は東京大学大学院理学系研究科教授の太田博樹さんだ。「ヒトとはどんな生物か?」という根源的な問いに挑戦し、さらにヒトゲノムが安全に正しく活用されるよう研究している。
太田さんは「ネアンデルタール人から由来するゲノム断片の特定領域が新型コロナウイルス感染症の重症化に関係する」というドイツ・マックスプランク研究所の論文を紹介。これとはまた別の研究者による論文があって、欧州の新型コロナの重症者にはゲノム領域に特徴があり、その領域はネアンデルタール人由来であることも分かったという。興味深い研究成果だ。
太田さんによると、現在のホモ・サピエンスは平均するとゲノムの1~4%がネアンデルタール人由来で、日本人を含むアジア人はその割合は1~2%。2%程度の割合の差が、アジア人は重症化率が低いことと関係する可能性があることを示唆しているのではないか、というのだ。
テクノロジーも「隙間」が重要
3人の話が終わったところで駒井さんが「デジタルネイティブ」の若い世代がコロナ禍で苦労している実態に触れながらテクノロジーの持つ意味についてコメントを求めた。
森さんは「テクノロジーは便利な点がいっぱいあるが、(テクノロジーに頼らない)不便さは、失敗と同じで人間的な側面がある。便利さはそういった人間的なところをそぎ落している面がある。失われる不便さが持つ価値を自分自身で捉える必要があると思う」という。
また伊藤さんは「テクノロジーも『隙間』を持つことが重要だと思う。完璧でないものを前にすると人間は想像力を働かせる。いい感じで完璧でないテクノロジーが重要なのではないか」と続けた。森さんが再びコメントし「コロナ禍にあってオンラインですぐにつながる『隙間のない』会議が増えて、かえって隙間の大切さを学んだ」と指摘している。
やり取りは「隙間」の話から「都市空間」「生活空間」の話へと発展。建築家としてのほか多彩な活躍をしているサリー楓さん(畑島楓さん)が「(コロナ禍を経験し)ニューノーマルな暮らし方を通じて働き方や都市の使い方が変わり、例えば交通の多様性が確保されて私たちの生活も豊かになる」などとコメントした。
ここで駒井さんが「コロナ禍によってデジタルトランスフォーメーションはこのまま進むのか、多少揺り戻しがあっていくのか」と問いかけた。直接の回答ではなかったが、太田さんは「コロナによって人との接触が少なくなったという人がいる半面、人とのつながりが増えたという人もいる。こういう多面性が面白い。(物事の)多面性を見て行かなければならない」と述べている。
セッションも終盤に入った。駒井さんが「今後を考えての示唆的なアドバイス」を求めた。森さんは「今日は人間体験にフォーカスする必要があるという話をした。人間体験を支えるテクノロジーを考えた時に、伊藤さんが言う隙間とか距離感というものを一人一人が持ちながらデータやシステムを使う。そのことによりわれわれが安心感を持つことが重要だと思う」とした。
伊藤さんは「(コロナを経験してむしろ)選択肢は増えた。私は人間の身体の研究をしているが、『体を捨てる選択』も出てきた」と述べた。駒井さんが「体を捨てるとは?」と尋ねた。伊藤さんの説明はこうだ。オンライン授業では学生の全身、全体像が見えずについ「見た目や先入観」で見てしまう。つまり「(全身としての)体を捨てた状態」で授業する。それはそれで、それまでなかった体験で面白いという。オンラインでは全身が見えず、例えば画面上に見える手を見るからそれが全身になるという。伊藤さんはそれをポジティブに捉える。全身の体を「捨てる」ことで一部の体でも、いわば「体としての選択」ができるのだという。
人類共通の課題がある状況はチャンス
太田さんは、テクノロジーに頼れない人々がいることを指摘して「コンピューターやネットワークといったテクノロジーに詳しい人間と、そうでない人間とで格差が起きている。これを埋めないと社会問題になる」と強調した。太田さんの問題提起を受けて森さんはテクノロジーのあり方について「ついて来られる人だけでやるというのはだめだ。除外するのではなく、いかに連なっていくかという努力をし、考えることが大事だが、そういう意味では今のテクノロジーは不十分だ」とした。
伊藤さんは視覚でも触覚でもないものとして機能する声の有用性を指摘した。「声だとバーチャルもリアルもあまり差がない。情報は視覚にいきがちだが、声だと触覚では(情報を得るのが)難しいところも可能性が出てくる」。森さんは即座に「今、音声メディアが注目されている。ラジオも復活している」と応えた。
また駒井さんは「人間や霊長類は視覚優位な生き物だが、現在のような状況では、いろいろなコミュニケーションのあり方をもう一度再確認する。そのことにより人と人のコミュニケーションの間(ま)の部分を体現することにつながる」と話している。
最後に太田さんは、世界中がコロナ禍と向き合う状況について次のように強調した。「今までなかったことでこれをチャンスにすべきかもしれない。世界中の人が『敵はコロナだ』と思っているから一体化しやすくなっている。分断が進んでいると伝えられるが、むしろチャンスと考えた方がいいと思う」。
駒井さんが「人類共通の話題があることをチャンスとして、自分たちが向かう方向を選び取っていくためのいい機会と捉え、そして進んでいくのがいいと思った」と結んで2時間近く続いたセッションを終えた。先が見えないコロナ禍にあって「なるほど」「そうだな」と感じるやり取りから少なからず元気をもらった気がした。
関連リンク
- JST「サイエンスアゴラ2020特設サイト」
- 特設サイト内「アゴラ市民会議『人と人の間はテクノロジーでつなげるか~ポストコロナ社会における人間らしいLifeのゆくえ』」(セッション内容の動画へのリンクあり)