56年ぶりに東京で開催されるオリンピック・パラリンピックの開幕まで300日を切った。ラグビーワールドカップでは日本代表が準々決勝に進む大躍進を見せた。国内ではスポーツへの注目度がかつてないほどに高まっている。
オリンピックやパラリンピック、ワールドカップは、アスリートが「選手生活の集大成」と語ることも多く、“競技”スポーツとして最高峰の舞台だ。ここで好成績を上げることは、トップアスリートとしての地位や名声を得ることにもつながる。では、スポーツの価値とは、競技としての「勝ち負け」だけにとどまるものなのか。スポーツが持つ多様な価値について、科学的な視点から議論されたシンポジウムの模様をレポートする。
このタイムリーなシンポジウムは「科学的エビデンスに基づく『スポーツの価値』の普及の在り方」と題し、10月3日(木)に日本学術会議講堂(東京都港区)で開かれた。総合司会は国士館大学教授の田原淳子さんが務めた。
冒頭、シンポジウムを主催した日本学術会議副会長の渡辺美代子さん(科学技術振興機構副理事)は、スポーツ庁より出されている「4つの“宿題”(審議依頼)」を紹介した。
1つ目は「日常生活でスポーツに親しむことが、個人の人生や社会全体の便益にどう貢献するかを科学的に整理すること」。2つ目は「科学的知見の活用によるスポーツの価値向上など、スポーツ界と科学の関係のあり方」。3つ目は「『身体活動』として捉えられてきたスポーツの価値が、科学技術の進展や情報技術環境の変化により生まれた『eスポーツ(電子機器を用いた競技やスポーツ。エレクトロニック・スポーツの略)』などによって、どのような影響を受けるか」。そして4つ目は「科学的エビデンスをスポーツ政策にどう反映させていくか」だという。
日本学術会議ではこの4点について、スポーツ科学だけではなく歴史学や心理学の専門家も交えた議論を進めているといい、科学的知見により日本のスポーツを少しでも良い方向に導く力になりたいと、渡辺さんは意欲を見せている。
国は2022年3月までの5年間をスポーツ基本計画の第2期に定め、スポーツ立国の実現を目指している。講演の一番手として登壇したスポーツ庁の藤江陽子審議官は、日本学術会議に“宿題”を出した国の背景に触れた。日本では、ラグビーワールドカップや、来年の東京オリンピック・パラリンピック、そして2021年に大阪で行われるワールドマスターズゲームまで、世界的な競技大会が相次いで開催される。このまたとない追い風に乗り、5年間でどのようなレガシーを残すのか。スポーツ庁は、スポーツで「人生が変わる」「社会を変える」「世界とつながる」「未来を創る」の、4つの指針を掲げている。この指針の実現に向けて科学的視点に強い期待を寄せた。
続いて登壇したのは日本スポーツ協会科学専門委員会委員長の川原貴さん。川原さんは、スポーツ医として1964年の東京オリンピックに出場した選手(オリンピアン)380人の追跡調査(体力測定・健康診断)を実施している。1964年の東京大会から52年後の2016年第13回調査では、109人から得られた回答を一般の高齢期層と比較した。すると、筋力や敏捷性、柔軟性などはオリンピアンが明確に上回ったという。つまり、青年期の能力が持続しやすいということになる。一方で持久力は、オリンピアンと一般層に大きな差はなかったという。むしろ日頃の運動習慣が差を生んでいた。川原さんは、継続的なトレーニングの重要性についてこうした「エビデンス」に基づき説明してくれた。
次に登壇した鹿屋体育大学元学長の福永哲夫さんは、筋力を貯えるための運動「貯筋」を提唱している。太ももの前側にある「大腿四頭筋」は全身の中で特に衰えやすい筋肉の一つで、1日で0.5パーセントも萎縮するという。大学院生に2日間寝たきり生活をしてもらったところ、加齢による1年間分の衰えと同等の筋力が低下したそうだ。実際、それまで普通に歩行できていた高齢者が2週間程度の入院をきっかけに大腿四頭筋が衰え、以降寝たきりになってしまうケースも多いという。福永さんは「将来に向け日常の中で筋肉に負荷をかける貯筋を心がけて欲しい」と語る。
桐蔭横浜大学教授の田中暢子さんは車いすユーザーの1人。田中さんは、障害者の競技環境を引き合いに、社会のシステムが障害をつくりだしていると指摘した。例えばサッカーの場合、パラリンピックで競技種目化されているのはブラインドサッカーだけだが、これは視覚障害だけを念頭に置いた競技にすぎない。実はさまざまな障害に対応したサッカー競技がいくつも存在するが、ブラインドサッカーだけに予算も集中してしまっているという。実社会でも似たような状況が起きているといい、あらゆる障害に対応した共生社会を実現するため、東京オリンピック・パラリンピックのレガシーとして社会が成熟することに期待を寄せていた。
お茶の水女子大学客員教授で精神科医の神尾陽子さんは、スポーツとメンタルヘルスの関係を解説。スポーツには軽度から中度のうつ病や不安障害を軽減させる効果があると言われているが、否定的な報告もあり、薬物治療と組み合わせた「補助的治療」として捉えるのが現状では望ましいという。また、メンタルが強いイメージを持たれがちなアスリートは、精神疾患を持つ比率が一般母集団より実は多いという驚きのデータも示した。近年急速に広がりを見せるeスポーツは依存症の問題と近い関係にあることにも触れ、守る仕組みの構築を精神科医の立場から強く訴えた。
最後に登壇したのは日本サッカー協会会長の田嶋幸三さんだ。田嶋さんは、アスリートや指導者側の立場から、学術界への期待を述べた。スポーツ界が科学的エビデンスに最も期待するのは、指導者の「経験」ばかりを根拠とした指導法からの解放だという。
田嶋さんが特に強調したのは、指導者による選手への暴力問題だ。田嶋さんは「暴力頼りの指導では、選手は冒険を恐れ、型にはまったプレーを選択する傾向がある。これでは創造性が育たない」と指摘。行き過ぎた指導による暴力がなくならない背景には、指導者の成功体験があると力説した。これを科学的エビデンスにより否定し、「客観的、体系的、実証的な“思考過程”を踏まえた合理的なトレーニング=科学的トレーニング」を実現すべきだと田嶋さんは語る。
田嶋さんはさらに、科学的エビデンスがもたらす価値は指導やトレーニングにとどまらず、選手選考や戦術において大きな力を発揮することにも言及。日本代表選手のコンディショニングにも、科学的エビデンスが次々と取り入れられている事例に触れ、科学技術がもたらす客観的指標により、スポーツが進化している事実を多面的に紹介してくれた。
シンポジウムの後半は、「勝利に向かう一元的価値から多様な価値を承認する社会へ—スポーツと科学ができること—」と題したパネルディスカッションが行われた。
日本学術会議会長の山極壽一さん(京都大学総長)が、バスケットボールに打ち込んだ学生時代を振り返りながら「スポーツは時間制限があることに魅力を感じる」と、口火を切った。限られた状況の中でいかに結果を残すかは、スポーツが持つ重要な一面であるという。
1988年ソウルオリンピックの女子柔道銅メダリストで筑波大学教授の山口香さんは、「女子スポーツと障害者スポーツが置かれてきた環境には似たところがある」と感じているという。「女性や障害者、そして子供たちが苦難や制約を乗り越えることは自立へとつながり、その手段としての価値がスポーツにはある」。田嶋さんも「サッカーはチームスポーツだが、個々の判断が非常に大事。ピッチ上の11人が自主自立できるような指導法を伝えている」と、山口さんの意見に同調した。
山極さんと同じバスケットボールのプレー経験を持つという日本学術会議若手アカデミー幹事で自治医科大学教授の髙瀨堅吉さんも、スポーツはハンディキャップのある中でどう振る舞うかがアイデンティティ形成に影響していると述べ、目標の達成を通じた成長の機会も多く与えていると指摘している。
オリンピックの歴史を研究しているという中京大学教授の來田享子さんは、スポーツの商業的な価値に触れて発言した。例えばバレーボールの場合、テレビ中継の放送枠を意識してラリーポイント制が採用されたように、メディアや観客側の価値でルールさえもが変わることを、歴史研究の観点から言及した。
情報・システム研究機構国立情報学研究所所長で東京大学教授の喜連川優さんは、「体育の成績は悪かった」と告白して会場の笑いを誘った。「スポーツには全世界で共有できるフレームワークとしての価値がある」「誰もが楽しめることはダイバーシティの観点からも非常に重要で、これだけ幅広い層をカバーできる概念はスポーツ以外には存在しないのではないか」などと述べると、会場から多くの共感を得たようだ。
ここで渡辺美代子さんが、スポーツの語源といわれるラテン語の「deportare(気晴らしをする)」には勝敗の概念がないにもかかわらず、現在は競技化が進んでいることについてパネリストの意見を聞いた。
すると、田嶋さんは「産業革命以降に余暇として広まったスポーツが、ルールを定める過程で勝敗を決める概念が生まれた」と指摘。來田さんによると、もともと高貴な身分の人の中で親しまれていたスポーツが大衆化していく中で勝ち負けが生まれた。そのあつれきとして暴力や賭け事などの問題が生じているという。
山口さんは、かつて1時間1本勝負で行われていた柔道のルールが徐々に変わっていったことに触れ、対戦を終わらせるために勝敗をつける必要性があったと述べた。山極さんはゴリラ研究の第一人者の視点から、「ゴリラの世界は引き分けがゴール」と説明した上で、われわれ人間も日常生活の中では「両者合意」などの引き分けを目指すことが多いと語っている。なぜかというと、勝ちを目指すことは非常にストレスのかかる行為であるからだという。これに関連し髙瀨さんは「勝負の世界には勝者の優越感、敗者の劣等感のようなものがあるのでは」と、山口さんにたずねた。すると山口さんは「あまり負けたことがないので・・・」と答えて会場を沸かせた上で、「記憶は次から次へと塗り替えられるので、大きな問題ではないのでは」と持論を展開。競技化が進んだことへの捉え方もさまざまだった。
続いての話題は「科学がスポーツにどのような価値をもたらすか」。田嶋さんは、スポーツでは完全に同じ状況を二度と作れないため、コンピューター上のシミュレーションなどで得た知見を現場でどう生かすかは意外と難しいと、悩みを語った。
山極さんは、科学がスポーツのどの側面をコントロールすべきかによるのではないかと指摘。体力などトレーニング面を管理するのは現実的だが、エビデンスに基づいて戦術を突き詰めていくと、スポーツはeスポーツとの境がなくなってくる、と述べている。
山口さんは、アスリートはケガが多い上に免疫力も落ちやすく、決して健康ではないことを取り上げて、アスリートの体調などを管理する上で科学的エビデンスが貢献することに強い期待を寄せた。
このように、科学的エビデンスがさまざまな側面でスポーツの価値の向上に貢献する可能性を秘めていることが、改めて共有されるシンポジウムとなった。日本学術会議では、来春までに科学とスポーツをテーマにしたシンポジウムを2回開催する予定。
来年の東京オリンピック・パラリンピックは、日本のスポーツ文化をさらに高めてくれるだろう。このムーブメントを、学術界も科学的アプローチから全力で支えていく姿勢が感じ取れた1日だった。