オピニオン

「2020東京五輪」シリーズ「成功への座標軸」〈1〉「オリンピックの原点から発想を広げよう」(田原淳子 氏 / 国士舘大学 体育学部 教授)

2013.10.23

田原淳子 氏 / 国士舘大学 体育学部 教授

国士舘大学 体育学部 教授 田原淳子 氏
田原淳子 氏

 2020年オリンピック・パラリンピックの東京開催が決定した。メディアでは、7年後を見据えた選手強化やジュニア世代の活躍、産業界の動きを報じるニュースで賑わっている。国内で開催される大会での多数のメダル獲得と大会を起爆剤とした経済発展への期待の表れであろう。7年後の開催に向けて日本が取り組むべき課題が模索されるこの時期に、オリンピックの原点を振り返ることは意味がある。少なくともオリンピックは本来、国別対抗のメダル争いの国際スポーツ大会ではないからである。

 近代オリンピックは、フランスの教育者ピエール・ド・クーベルタンが古代オリンピック(紀元前776年〜紀元後393年)をモデルにして、それを現代風に復興したことに始まる。クーベルタンは古代オリンピックに、身体と芸術と文学が完全に調和した人間の世界をみていた。また、古代オリンピックの長い歴史を支えていた仕組みの一つに、“休戦制度”があったことにも着目した。戦火の絶えなかった古代ギリシアの都市国家(ポリス)の間で協定が結ばれ、それぞれのポリスの政治的な思惑を超えて、人々が移動する大会の前後を含む期間で停戦が維持されていたのである。

スポーツを介した“教育と平和”

 クーベルタンにとって、スポーツは“人間の調和的な発達”を促す優れた文化であり、オリンピック競技大会は、スポーツで磨き上げられた世界の若者が4年に1度集まって交流し、互いの偏見を減らし、友情を築き、世界の平和につなげていく機会と場であった。つまり「オリンピックの理念」(オリンピズム)の原点は、「スポーツを媒介とした教育と平和の思想」である。

 クーベルタンはこの理念を分かりやすく人々に伝えるために、さまざまな工夫をこらした。たとえば、よく知られた「オリンピック・シンボル」(五色の輪の結合)には、オリンピズムを具現するための“運動(オリンピック・ムーブメント)”と“五大陸の団結”が表現された。また、オリンピックのモットー(標語)である「より速く、より高く、より強く」の言葉には、自分を基準に置いて、これまでの自分よりも前進するように努めること、競技に専心する中で人間性を高めるという意味が込められている。

 実際にオリンピック競技大会を主催する「国際オリンピック委員会」(IOC)の使命と役割をみると、その使命は「世界中で『オリンピズム』を推進することと、オリンピック・ムーブメントを主導することである」とされる。そして、IOCの役割は、スポーツにおける倫理の振興に始まり、スポーツを人類に役立て平和を推進するための協力、スポーツのあらゆるレベルにおける女性の地位向上の奨励・支援、環境問題に関心を持ち、スポーツ界における持続可能な開発の促進、スポーツを文化や教育と融合させる試みの奨励・支援など、非常に多岐にわたる。その内容は16項目に及び、オリンピック競技大会の定期開催はその中の1項目に過ぎない(『オリンピック憲章』第1章2)。『オリンピック憲章』に示されている「オリンピズムの根本原則」や上記「IOCの使命と役割」を読むと、オリンピックが目指している世界がみえてくる。

メダルより“人間の成長”を

 若手選手の育成は重要であるが、金メダルを獲得することのみを目的とする科学技術の振興は、オリンピックの価値やスポーツの文化的意味を偏狭にする可能性がある。大会ごとに報道される「ドーピング」という“負の遺産”も科学技術の進化の結果である。いかなる科学的成果をも、それをどのように応用するかは人間の考え方に大きく左右されるのであり、スポーツとはそれを自らの身体において実践する文化なのである。

 金メダルを獲得することは大変な栄誉であるが、真に問われるのは、勝利を追求する過程で「アスリートがどのような人間に成長したか」である。1908年第4回ロンドン大会で生まれた名言「オリンピックで重要なのは勝つことではなく、参加することである。同様に人生において重要なのは成功することではなく、よく闘うことである」がそれを象徴している。

「オリンピック博物館ネットワーク」

 日本ではオリンピックに出場した選手でさえも、オリンピズムやオリンピック・ムーブメントについて知らない人が多い。これらについて学ぶ機会のないまま大会に出場し、ただ試合をして帰国するからである。選手は一人で育つのではない。指導者や家族、仲間、観客、メディアなど多くの人々の影響を受けている。過度に勝敗に固執しないで、豊かな人間性を育むバランスのとれた環境づくりが大切である。

 まずは学校において、オリンピックを題材にした多彩な教育実践を行うことを勧めたい。1964年東京オリンピックの際には、学校で盛んに“オリンピック学習”が行われ、全国から約60万人の児童・生徒が大会を見学した。世界初の組織的なオリンピック教育であった。1972年札幌冬季大会、1998年長野冬季大会の際にも価値あるオリンピックの学習が行われたが、大会が終わるとしぼんでしまった。優れた教育実践も、一時的なイベントのための教育では継承されない。内容を精選して継続してこそ、スポーツ文化を育み、後世に引き継がれていく。

 スポーツの歩みや文化的側面を知るために有用なものの一つに、スポーツ博物館・図書館がある。充実した施設の維持・展開には、相応の予算と人手が必要である。しかし、日本の施設のほとんどは、そのような対応がなされているとは思えない。IOCは「オリンピック博物館ネットワーク」を組織し、世界の大小さまざまなオリンピック博物館の交流を推進している。日本では過去に3回もオリンピック競技大会が開催されているにもかかわらず、このネットワークに加盟している博物館はない。大会が近づけば、外国からの来館者も増えるに違いない。国際的な潮流からの文化的な遅れが懸念される。日本のオリンピック関連博物館がこのネットワークに加盟するための窓口として、日本オリンピック委員会(JOC)の積極的な役割を期待したい。

アジア、世界のために

 歴史を振り返れば、日本が最初にオリンピック競技大会を招致し成功したのは、1940(昭和15)年の「東京・札幌冬季大会」であった。だが、開催地決定後に日中戦争が勃発した。戦時下における物資の不足のみならず、国際的な非難を浴びたことも、当時の関係者を窮地に追い込んだ。戦争は拡大・長期化し、結局、大会は開催の2年前にIOCに返上せざるを得なくなった。大会は幻と化したのである。戦争とオリンピックは両立しない。こうした自国の歴史があることを日本人はよく知る必要があるし、だからこそ日本から世界に向けて発信できる“平和のメッセージ”があるはずだ。

 世界からみた日本への期待は、経済力やインフラ、治安の良さなどを背景にした大会の成功だけではないであろう。オリンピックは、ややもすれば「ヨーロッパ中心主義」と批判されることがある。そこからの脱却の鍵を握るのは、古代オリンピックに通じる“調和”の概念であり、日本の“和の精神”、アジアがもつ“文化の多様性”であると思う。「東京や日本のためのオリンピック」という内向きな発想に偏ることなく、アジアのため、世界のためのオリンピックとして、日本にできることを積極的に考えていくことが求められている。そのためには、オリンピックの原点を踏まえ、関係方面が協力して、スポーツから改革の波を広げることである。大きなチャレンジのときを迎えている。

国士舘大学 体育学部 教授 田原淳子 氏
田原 淳子 氏
(たはら じゅんこ)

田原 淳子(たはら じゅんこ)氏のプロフィール
神奈川県生まれ。横浜国立大学教育学部卒業、 同大学院教育学研究科修士課程修了、中京大学大学院体育学研究科博士後期課程修了(博士[体育学])。中京女子大学(現 至学館大学)講師・助教授を経て現職。専門分野は体育・スポーツ史(近代オリンピック史)、オリンピック教育、スポーツとジェンダー研究。現在、日本学術会議連携会員、アジア運動・スポーツ科学会議(Asian Council of Exercise and Sport Sciences)理事、国際ピエール・ド・クーベルタン委員会(International Pierre de Coubertin Committee)理事、日本体育学会理事、日本スポーツ教育学会理事、日本スポーツとジェンダー学会理事など務める。主な著書は、『スポーツの政治学』(池田勝・守能信次編,共著)第8章「オリンピックと政治」杏林書院(1999)、『体育・スポーツ史概論(改訂2版)』(木村吉次編著,共著)第7章「近代スポーツの発達と近代オリンピックの創始」市村出版(2010)、『スポーツ教養入門』(高峰修編,共著)第2章「オリンピックの意義ってなんだろう」岩波書店(2010)、『ポケット版 オリンピック事典』(日本オリンピック・アカデミー編,共著)楽(2008)。

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