医療をめぐる技術が進歩する中で現在の医療制度は時代の流れに後れをとっていないか−。そんな疑問から「病気にならない、させない、そして医療費の無駄をなくす」ことを訴える。新しい医療の在り方を模索する医師であり、起業家であり、経営者でもあり、また時に私塾で医学生に自ら信じる医療の大切さを教える。そして「健康は社会的なものです」と説く講師が今年度3回目となる「情報ひろばサイエンスカフェ」に登場した。題して「医療×経営〜健康だって『経営』だ!!」。
「情報ひろばサイエンスカフェ」は文部科学省が主催、科学技術振興機構(JST)が共催して隔月で開催している。9月のカフェは21日午後7時から、いつものように東京都千代田区霞が関の文部科学省内ラウンジで始まった。この日集まった市民は、医療に関係する企業や研究者、学生ら約30人。今回の講師は「ミナケア」代表取締役の山本雄士さん、ファシリテーターは東京女子医科大学4年の宮代麻由さんだ。
山本さんは元々内科の臨床医だったが、医療の在り方に疑問を抱き、医療改革をしたいという明確な目標をもってビジネススクールで学んだ。その後、行政や企業での勤務経験も積んで2011年に「ミナケア」を創業。健康に投資するための医療、「投資型医療」を提唱しながら健康リスクを減らす医療に関わるさまざまな支援を続けている。
ファシリテーターの宮代さんは山本さんの私塾「山本雄士ゼミ」のゼミ長を務めながら、社会の中での医療の役割と可能性を知ることができると思える場に積極的に足を運んでいるという。
「ドリンクコーナーがあるので私が話しているときでも自由に立って取りに行ってくださいね」「私が話すだけでなく、みなさんも自由にいろんなことを言ってください。途中でどんどん質問してくださいね」。こう山本さんが場を和ませてこの日のカフェが始まった。
宮代さんが「今日のテーマ『健康だって経営だ』ってどんな意味ですか」とずばり口火を切った。山本さんは「ビジネススクールで経営を学んだけど、経営とはやりくりとか切り盛り、という感じで、目的を達成するために資源を上手に使っていく、できるだけ成果を上げていこうとする一連のスキル、ノウハウや手法。それを総称したものが経営かな」。宮代さんは「今の世界の、日本はそういう意味で健康は経営ではないということですか」。
「みんな健康は大事だと思っても多くの場合放置されている。そこをうまくやりくりすることを覚えていかなくてはいけない。それが『健康だって経営だ』という根拠です」。講師の山本さんがこう答えると参加者も、この日のテーマに納得した様子だ。
講師と参加者の間の空気が流れだしたところで山本さんは「皆さんが健康を意識するのは健康でなくなったとき。でもそれは手遅れで、本人だけでなく、家族や同僚など周囲の人間、つまりコミュニティ、社会も(一人一人の)健康に対する責任があると思います」。こうした思いが、健康に経営という概念を導入し、健康にもっと投資する医療に変えていく投資型医療というコンセプトの基本になっているという。
参加者のある男性が、テーマにある「経営」の対象は医療業界ではなく、あくまで健康を願う一人一人、個々人であることか、確認すると山本さんは「その通り。みなさん自身が自分の健康を経営してほしいけれど、自分の力だけではどうにもならない健康の経営もある。そういう意味で社会も健康経営の対象なんです」。目指すものは「ずっと元気でいられる社会の実現」のようだ。
山本さんによると、フィットネスジムに集まる人や皇居の周りを走る人も、「健康をうまくやりくりしようと思っている」という意味では、自分で健康を経営している人たち。だが、すべての人がそのように自分の健康に積極的な行動は取れない実態があるという。
「個人の健康を守ると言った時、その人の環境ごと変えないと健康を守ることはできないのです。健康とは何かを考えれば考えるほど、地域やコミュニティの問題でもあることが分かる。個人も健康のために頑張ってほしいけれど、周りも変えていかないといけない。個人にだけ健康を守るために頑張れと言うのは、目的は正しかったけどアプローチは間違っている」。
ここで宮代さんが「社会全体で健康に責任を負うというイメージ、その具体的な像が見えないんですけれど」と突っ込んだ。すると山本さんは健康保険制度の例を出してきた。現行の保険制度では就労者の多くは「医療費3割負担」で、残りは健康保険組合(健保組合)が負担している。「組合の財源はどこから来ていますか」と山本さんが会場に聞くと参加者からは「私たち」。健保組合の構成メンバーが給料の一部を保険料として払う仕組みは多くの人が分かっているようだ。山本さんはこの健保組合の仕組みを例に、病気にならないこと、健康を守ることがいかにお金を節約すること、つまり経済的に大切であるかを分かりやすく説明した。
参加者から「それならなぜ(国民)皆保険制度を止めないのか」と質問が出た。山本さんの説明はこうだ。
1961年に皆保険制度ができた当時は感染症が流行っていた。医療もあまり進歩していなかったので「死なせないための医療」だった。しかし感染症に効く抗生物質があって治療もできた。皆保険制度は機能していた。しかしその後感染症が減って高血圧や糖尿病、がんなどが増えて病気の質が変わってきた。最近では「病気に対する予防」という考え方も出てきたが、保険制度の基本は病気になった人を支えるという制度のまま。仮に皆保険をやめるとなると健康で稼ぐ人から(健保組合を)やめていくだろう。医療費が必要な人に国が負担することになる。財源は国民のお金だ。皆保険はやめることはこの国にあっては現実的には難しい。
「今の医療の保険制度では、医者が人を病気にさせないことをしてもほめてもらえる仕組みがない。今の制度の大きなゆがみだ」と山本さんが言い切ると、宮代さんが「予防が大事というのは分かっているけど、国民皆保険制度はなくならないという前提で私たちはどのように健康をやりくりしたらいいの」と率直な質問をぶつけた。すると「病気にさせない医療とは何ですかというのが大きな問いかけなんです」「今、ならなくてもいい病気になっている人が多い。本人も家族も苦しむ、みんなのお金も減る。全然よくない、と気づき始めた。そのあたりから誰かが健康をやりくりしてあげないといけないと。これをどう実現するかが私にとって大きなチャレンジ。投資型医療は、病気になってから投資する医療ではなくて、皆が健康な社会に未来に投資する医療を実現しないとさまざまな問題は解決しない」。
宮代さんが「私は(患者の病気を治す)『ブラック・ジャック』にあこがれて医者になろうと思ったけどやはり医学教育は病気の治療法がメーン。今の医者で予防が自分の仕事だと思っている人は少ないと思う」。「ブラック・ジャック」は1970年代から80年代にかけて漫画誌に連載された手塚治虫さんの漫画のタイトルであり登場人物の名でもある。天才外科医の「ブラック・ジャック」が活躍し、当時、医療と医師のあり方を問う社会派漫画として注目された。
「予防が自分の仕事と思っている医者は少ない」という指摘に対しては「そんなことはない」という反論も聞こえてきそうだ。だが会場では「その理由はなぜと思いますか」と山本さん。「大学病院などは忙しいから、忙しい現場がいやな人は自分の医療に逃げてしまう」「予防を大切にする医者が評価されないからなのでは」などという声が女性参加者から聞かれた。ある男性は「(間もなく)病気にかかるから予防すべきだ、と判断することが難しいから」。会場がだんだん熱くなってきた。
ここで山本さんが持論を整理しながら説明した。「現在医療費は年間42兆円で国民一人当たり33〜35万円ぐらい。4人家族だと一年に140万円ぐらい納めないと日本の医療は回らない仕組みになっている。医者は20万人ぐらいいるとされる。一人当たり2.1億円動かしている計算になる。そうした状況の中で効果がよく分からず、誰に何をしたらいいか分からない予防の分野に(医者が)なかなか行かないのが現実だ。予防は大事だと思ってもマーケティングをしてくれる人はいない。こうした実態から脱却するためには、予防した方が得だというモデルが必要だ。健康事業に現在使われているお金は5千億円程度で、そのうちの半分は健康診断だ。するとマーケット的には診療現場の方が稼げるということになる。予防が大事なことが分かった上で予防医療の分野で(医者の)生活が成り立つようにしないと今の実態は変わらない」。科学技術が進歩して病気予防の知識が豊富にはなっているが、それが社会実装できていないのが今の日本の医療の実態だ、と断ずる。
カフェの時間もだいぶ経過した。山本さんがここで、パワーポイントを参加者に見せた。崖から落ちてくる人をネットで拾う絵の下に「病気になるまで待つ」と書かれている。右には「病気にさせない」と下に書かれた、崖と崖の間の橋として傘が差し出された絵がセットになったパワーポイント。病気で消費する医療から、健康のために投資する医療への転換を強調していた。
「どういう構造にしたら予防型医療に結びつくのか聞きたい」と宮代さん。すると、山本さんはある年に健康診断を受けた約3万8千人のうちの糖尿病医療費を使った237人のグラフを示した。大小の赤丸、青丸が付いたグラフを指差しながら、重症糖尿病と分かった3分の1は病院にも行っていないこと、残りの3分の2は病院に行っても治っていないとのデータを説明した。そして、こうした実態が医療費の拡大に歯止めがかからない大きな要因となっており、病気が重症になる前の予防医療がいかに大切さを繰り返し説いた。
「これからは投資型医療、健康に投資する医療を盛り上げないと。米国は医療費(保険料)が払えなくて倒産する企業が増えているが日本もこのままではそうなりますよ」
実際に日本の医療の財源や保険制度を取り巻く環境は厳しい。国の医療費が増える要因として高齢化がまず挙げられるが、医学の進歩による「医療の高度化」もある。健保組合の全国組織である健康保険組合連合会(健保連)は最近、高齢者医療制度への拠出金の増加が大きな要因となって、赤字組合が加盟組合の40%を超えた、と発表している。
山本さんは現在の日本の医療制度に強い危機感をもちながら、多くの企業や自治体のほか、時に教育現場などにも足を運んで「病気予防」につながるプロジェクトや試みを支援したり、勉強会を開いたりしている。「ミナケア」の代表としては延べ1000万人以上のデータを活用したサービスを展開している。「データヘルスの司令塔たる保険者を支えたい」と言う。それでも医療制度の現実や行政の壁の前で苦労も多い、という。
宮代さんが最後に「(今日の話を聞いて)医学生として、医学の知識だけではなく、例えば行動経済学とか、いろいろな分野の人の話も聞きたいと思った。医療という言葉のイメージ(がかたいために)ハードルは高い。医療の問題をしっかり理解するだけでかなりのエネルギーがいるけど、こういう(具体的な)話をもっと聞きたいと思った」と締めくくった。
この日のやり取りも「ギジログガールズ」が分かりやすくまとめていた。彼女たちへの拍手でサイエンスカフェが終わった。カフェが閉会した後も参加者同士で交流、対話が続いていた。
「新しい、大切なことをビジネスモデルにすることが難しいことが分かった。でも面白いと思った」「成果が限定的でも小さなことから始めていくしかないと思う」「新しい視点をもらった」。アンケートではこんなメッセージが寄せられた。この日のカフェは、熱い思いがあふれる講話が中心になったが会場の参加者にはしっかり伝わったようだ。
サイエンスカフェをまとめた「ギジログ」(ギジログガールズ 記録)
(サイエンススポータル編集部、写真は「科学と社会」推進部 石井敬子)
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