全国各地で毎週のように数多くの科学イベントやサイエンスカフェが行われている。科学を通じた市民と研究者の交流そして対話は今、どのように広がっているのか。対話の現場を取材した。
5月12日のことだった。日差しが和らいだ夕暮れの東京千駄木。商店が並ぶ駅前の柳並木の道を歩くと5分ほどでカフェバー「さんさき坂カフェ」にたどり着く。音楽ライブや食のイベントなどが定期的に開催されるこの店で、この日開催されるのは科学について語り合うサイエンスカフェ。主催者のウィークエンド・カフェ・デ・サイエンス(WEcafe)は、この店で定期的にサイエンスカフェを開いている。WEcafeは、国立科学博物館認定サイエンスコミュニケータの有志たちと武田計測先端知財団によって運営され、活動は今年で10年目になる。
69回目となる今回のテーマは、次世代エネルギーとして注目されつつも、まだ身近な存在にはなっていない「燃料電池」。筑波大学数理物質系助教の丹羽秀治(にわ ひではる)さんをゲストに迎えて、燃料電池が未来にどのように役立つかなどについて語り合った。
午後6時の開始時間の約10分前になると参加者が集まってきた。店の中をのぞくと、この日のファシリテーター(進行役)を務めるWEcafe代表の蓑田裕美(みのだ ひろみ)さんが、着席し始めた参加者たちに気さくに話しかけている。参加者は総勢25人ほど。店内はすぐに満席になった。外は日が暮れ始めていた。
いよいよこの日のカフェが始まった。ファシリテーターの蓑田さんがまず「名前と『マイブーム』を言っていってください」と促すと参加者が一人ずつ自己紹介を始めた。若い参加者が多く、大学生や、近所に住んでいるという人、他県からのリピーター、この日のテーマに関係したエネルギー関係の仕事を持った人など、皆さまざまだ。20分ほどで参加者全員の自己紹介が終わると、最後はゲストの丹羽さんが自己紹介。「マイブームというか日常になっていますが、ワインや日本酒が好きで、最近は茨城県の酒造の日本酒が気に入っています」。丹羽さんは燃料電池の開発者ではなく、電池材料などの解析を専門とする研究者だという。
69回目は「燃料電池」がテーマ
全員の自己紹介が終わると、蓑田さんが「燃料電池って一言で言うとどういったものなんですか」。丹羽さんは「一言で言うと発電機ですね。例えば、身近なリチウムイオン電池のようなものはパッケージ化された中で充電や放電をさせています。燃料電池は、水素を外から燃料として与え続ける仕組みで、小さな発電所のようなものです」。丹羽さんは燃料電池について、フリップを交えて話し始めた。ところどころで、蓑田さんが素朴な質問を投げかけ、テンポ良く話が進められていく。
燃料電池は、水素と酸素による化学反応で電気エネルギーを生み出す。2つの物質が反応した後にできるのはH2O、水だ。火力発電の場合、化石燃料を燃やして水を温め、発生する蒸気でタービンを回して電気をつくる。燃料電池の場合は、このような段階を経ずに化学反応で直接電気をつくるため、エネルギーロスが少ない。また、電気エネルギーを作る段階では水しか排出されないため、環境にもやさしいという。この仕組みを用いた製品として、ガスから水素を作って燃料にするエネファームや水素で走る自動車などが世の中に出回り始めている。技術的な課題は、燃料電池のコアとなる触媒に白金やレアメタルが使われるため高価なことで、現在はこれを炭素など別の材料で置き換えるための研究が進められているのだという。
30分ほどで燃料電池についての簡単な説明が終わると、ファシリテーターの蓑田さんや参加者たちからの質問を受けながらの“対話”だ。
「水素は爆発しないのですか」
「水素は空気より軽い気体で上にいきます。燃料電池自動車の場合、トータルではガソリン車と同じくらいの危険性だと思います」
「どうやって水素を持ってくるんですか」
「エネファームは都市ガスなどから水素を作ります。燃料電池自動車は水素ステーションで車載の高圧水素タンクに水素を供給します。あと、化学工場では副産物として水素が出ます」
「水素以外で注目のエネルギーは?」
「例えばリチウムイオン電池の次に来るかもしれないと言われているナトリウムイオン電池。産地が限られているリチウムと比べて、資源が豊富なナトリウムは注目されています」
参加者の質問に答えながら、話は未来のエネルギーについての課題にも及んでいく。また、参加者からも火力発電についてなど、さまざまな情報共有があった。サイエンスカフェはこうして盛況のうちに終了した。カフェが終わった後も、丹羽さんと参加者の一部はその場に残って1時間近く対話を続けていた。
WEcafeのサイエンスカフェはどうつくられているか −WEcafe副代表の熊谷さんに聞く
WEcafeは、科学や科学技術のさまざまな話題や課題について市民と研究者との間で活発な対話を自然につくり出してきた。10年近く活動を続けてきた主催者は、どのような思いでサイエンスカフェを続けてきたのか。また、活動の中でどのようにしてそのノウハウを蓄積していったのか。後日、WEcafe副代表の熊谷現(くまがい げん)さんに話を聞いた。
WEcafeは、国立科学博物館のサイエンスコミュニケータ養成実践講座を受けた大学院生たちが、20〜30代の比較的若い年齢層を対象としたサイエンスカフェを作る目的で集まって2009年に結成された。活動を後押しするきっかけの一つに、結成時に支援を持ちかけてくれた一般財団法人武田計測先端知財団の存在があったという。「サイエンスカフェをやりたい気持ちは最初からありましたが、お金や場所、人がネックでした。武田計測先端知財団からはお金の面でかなり助けられました。声をかけていただけていなかったら運営が難しかったかも知れません」
意識してきたのは「フラットな場づくり」
WEcafeを運営する熊谷さんらは、サイエンスカフェのテーマとして一貫して掲げてきたものがある。それはカフェを「科学的なものの見方や考え方を体得できる場」にすること。熊谷さんらは、サイエンスカフェを必ずしも「知識を与える場」としては捉えておらず、科学の背景にある姿勢や考えるプロセスを共有することを重要と考えている。そのために必要なのは、バックグラウンドのない人たちでも窮屈にならずに話せるフラットな場づくりだ。
「自由な質問ができると2つの良いことがあります。1つは、関心があることを聞けるので、話が印象に残るということ。参加者自らがいろいろな質問をすることで、1つでも多くのものを持って帰ってもらえるのではないかと考えています。2つ目は、研究者の方たちがどういう思考プロセスで物を考えているのかを体感してもらえること。さまざまな質問が入ってくることで、1本道の流れを持つレクチャーと違って、研究者の思考プロセスに触れることができます。これらのことから、WEcafeでは自由な質問ができる『フラットな場づくり』を徹底して重要視しています。カフェでの工夫は全てそこに行きつきます」
対話をつくりだすための工夫
普段、科学技術に関わりが少ない人たちが自由に話せるサイエンスカフェを実現するために、WEcafeでは、カフェの設計に多くの工夫を凝らしている。「一般の方と科学の話をする場合、そこにはハードルがいくつか存在します。そもそも関心が持ちにくい話題だったり、内容が難し過ぎたり。一般的な講演会のような形にするとスライドの情報が多すぎて、これもハードルになります」。WEcafeではフラットな場をつくるための障壁となり得るものを減らすシンプルな設計を心掛けているという。
設計するために最初に行うのは、ゲストとなる研究者と会っての事前打ち合わせだ。打ち合わせに参加するのは、主に当日ファシリテーターを務める事務局担当者などで、まず研究者が扱う研究内容や背景、知見などを聞く。時間をかけた入念な打ち合わせをするが、この時点では、カフェで話すテーマは決めないという。「事前の打ち合わせではまずとにかくたくさんの情報をいただきます。それを一旦持ち帰り、WEcafe事務局内の打ち合わせで扱うテーマを設計します。いろいろなお話をしていただける可能性がある中で、今回はどのテーマに絞るか。ゲストが話したいことを話していただく、ということでは全然ありません」と熊谷さんは話す。テーマが決まったら、当日資料をゲストとつくりあげていく。WEcafeではプロジェクターなどは利用せず、資料はA3サイズのフリップのみというのが基本になっている。「A3サイズのフリップだと大きな図や文字でつくることになり、シンプルな資料になります。情報過多にならないための工夫です」。
こうして決まったテーマをもとに、カフェのタイトルやポスターのデザインを作成し事前の広報に入る。「タイトルやポスターのデザインを工夫して、来て欲しい層にアピールします。例えば、タイトルや広報文に初歩的な質問を入れてしまう、『ブラックホールって黒いの?』といったような。難しいテーマや、ファンが多い領域を扱う場合は特に注意しています」。詳しい人が集まり高度な質問が増えてしまうと、バックグラウンドのない方が質問しにくくなり、WEcafeの目指すフラットな場でなくなってしまう場合があるのだという。「高度な質問があった場合、他の方が理解しやすくなるよう、ファシリテーターが補足説明などを入れていきます。ただ、そういった質問ばかりになってしまうと、どうしても会場の雰囲気が『玄人向け』になり、ついていけない方は疎外感を感じてしまいます。それを避けるために、広報の段階から工夫をしています」
当日の現場にもさまざまな工夫がある。その一つが、来場者とのやり取りだ。カフェでは、受付を終えて席に着きはじめた来場者に、ファシリテーターが自然に話しかけて会話を促していた。「カフェがはじまる前、来場者が席についたところでファシリテーターが話しかけていくようにしています。これは話しやすい場を作るためで毎回意図的にしています。また、全員による自己紹介の時間が長くてびっくりされたかと思います。90分の中で無視できないくらい長くなりますが、これもフラットな場づくりのために必ずやっています」。自由な質問ができるよう、冒頭から場を暖めておくことが重要だという。ここでのサイエンスカフェはこうした周到な準備がベースとなって運用されている。
サイエンスカフェを広げていく
大学院生が集まって結成したWEcafeは今年で10年目。初期からいた事務局メンバーは皆社会人となった。これまで途切れることなく続いてきた活動だが、結成当時から全てが順調だったわけではなかった。始まって2、3年目には「はじめにサイエンスカフェありき」の活動が続きコンセプトが見えなくなったこともあったという。そのために事務局メンバーが活動本来の意味や位置づけを見直すための議論をしたという。「自分たちは何がしたくてWEcafeをやっているのか、事務局メンバーそれぞれが考えていることを話して、きっちり議論をしました。長い活動の中でも印象に残っている作業です」。この作業によって、メンバー全員でWEcafeの活動コンセプトを「科学的なものの見方や考え方を体得できる場を作っていきたい」という言葉に落とし込んだ。10年目の今にもつながるものだ。
WEcafeは、こうして培われた運営手法やノウハウを、外部のサイエンスカフェ運営者たちに伝えていく活動も始めている。3年前ごろから不定期に行っている「サイエンスカフェ運営講座」もその一つだ。「WEcafeの1団体では広がりがないので、目指すところが近い人たちとは積極的に情報提供をして、活動を広げていきたいという気持ちがあります」
WEcafeがノウハウ提供などをしながら支援しているサイエンスカフェ運営者には地方の団体も含まれる。「地方では、人が集まる場所をつくり、仲間を探すということが都市部よりたいへんです。大学生が集まってうまく始められたとしても、卒業後も皆がそこに居続けるかは分かりません。こういう地方の難しさというのはあるけど、広がって欲しいという思いはある。自分たちは武田計測先端知財団にずっと援助してもらってきたので、自分たちも援助する側になることも考えてみたいです」。地方でのサイエンスカフェのあり方についても関わりたいと積極的だ。
熊谷さんがサイエンスカフェに情熱を持ち続けてこられたのは、活動を広げていきたいという思いのほかにこうした理由があった。「個人的には、本を買うようなものだと思えば非常に効率の良い学びだし、ゲストの人たちとの打ち合わせは毎回とても充実した時間で、私たちの知的好奇心を満たしてくれます。それに、月一回の打ち合わせは長く活動を共にする仲間と会う場にもなっています」
国内では日々、大小さまざまなサイエンスカフェが行われている。主催者の立場や目的、場の設計などはそれぞれで違っているが、どのカフェでも実践と試行錯誤が行われているはずだ。ドリンク片手に気軽に科学について語り合うサイエンスカフェも、決してファシリテーターや講師のバランス感覚だけで実現しているわけではない。その背後には経験の蓄積と考え抜かれた設計技術、そして何よりサイエンスカフェへの熱い思いがあった。