レポート

《JST共催》 未来の医療、ヘルスケアを実現するためのエコシステムを—「情報ひろばサイエンスカフェ」で研究者と市民が語り合う

2018.06.13

「科学と社会」推進部

 2018年5月25日、東京都千代田区霞が関の文部科学省内にあるラウンジで、「情報ひろばサイエンスカフェ」〔主催・文部科学省、共催・科学技術振興機構(JST)〕が開催された。このサイエンスカフェは隔月に開かれ、毎回さまざまな分野の専門家を招いて、科学や社会の問題について、科学者と市民が自由に語り合う場だ。

 「越境する」をテーマに掲げる「サイエンスアゴラ」(JST主催)との連携企画でもあり、昨年から2つの異なる視点を融合する設計がなされている。今回のテーマは「新発想×医療・ヘルスケア」。マイクロ・ナノ技術を使った医療技術やヘルスケアの開発を手がける三木則尚・慶應義塾大学理工学部機械工学科教授を講師に迎え、JST「科学と社会」推進部の嶋田一義・調査役がファシリテーターを務めた。

 会場に集まったのは、科学コミュニケーションを学ぶ学生や、仕事に関係する知識を得たいという医療や行政関係者、病気の友人のために最新の治療法について学びたいという人など、さまざまな目的をもった30人ほど。3、4人で一つのテーブルを囲み、飲み物を片手に講師の話に耳を傾けて、未来の医療とその実現について考えた。

画像1 「新発想×医療・ヘルスケア」をテーマにした5月25日の「情報ひろばサイエンスカフェ」
画像1 「新発想×医療・ヘルスケア」をテーマにした5月25日の「情報ひろばサイエンスカフェ」
画像2 科学者でありながら、多彩な顔をもつ三木則尚さん。マサチューセッツ工科大で研究をしていた時には、「Sushis」なるスポーツチームを立ち上げて活動。キューバ音楽にも造詣が深い
画像2 科学者でありながら、多彩な顔をもつ三木則尚さん。マサチューセッツ工科大で研究をしていた時には、「Sushis」なるスポーツチームを立ち上げて活動。キューバ音楽にも造詣が深い
画像3 和やかに場を盛り上げたファシリテーターの嶋田一義さん
画像3 和やかに場を盛り上げたファシリテーターの嶋田一義さん

 講師の三木さんの専門分野はマイクロやナノスケールの工学。「スケールの小さな技術はいろいろなものに応用できます」と三木さん。とくに医療分野において小型化の要素は重要で、微小な針で脳波測定時の不快感を軽減したり、小さな視線センサーをメガネに装着したり、細胞膜をセンサーとして使うなど、さまざまな技術を開発している。

 今回はその中から「Azinzo(アジンゾ)」という、人工透析の負担を大幅に軽減する人工腎臓と、「LTaste(エルテイスト)」という減塩プロジェクトを紹介。「日頃から医療やヘルスケアについて考えていらっしゃる皆さんに、研究開発から起業までの私の経験を追体験していただきながら、技術の実用化について一緒に考えてほしい」と話を始めた。

未来の医療〜患者のQOLを劇的に改善するインプラント人工透析

画像4 人工腎臓(右)とインプラントのイメージ図
画像4 人工腎臓(右)とインプラントのイメージ図

 「これは最終製品版ではないのですが」と言って、三木さんが参加者に回覧したのはイヌ用の人工腎臓の実物。身体の中に埋め込んで、本物の腎臓と同じように血管から濾(ろ)液を取って膀胱(ぼうこう)に流す機能をもつ。

 現在、腎機能を補うために主流となっている治療法は人工透析だ。この方法は、効果は高いが、患者のQOL(生活の質)は大きく低下してしまう。毎回4時間を越える治療を週3回受けなければならない。また、本来は少しずつ行われる腎機能の処理を短時間に行うため、身体の負担は大きく、水分制限もある。太い注射針を毎回刺し続けると身体も損傷する。加えて費用も高額だ。国内の人工透析者数は33万人に迫る勢いで、その医療費は年額1.7兆円を越える。全世界では260万人の患者がいて、各国でも高額な医療費が問題になっている。

 もしこの人工腎臓を併用できれば、人工透析の通院回数は週1回に減らすことができるという。24時間機能するため、水分制限も緩和され、「患者の方々のQOLは劇的に改善します」と三木さん。医療費も1兆円まで下がるとみられ、まさに夢の技術だ。インプラントの実現性を高めたのは人工腎臓の大きさを500円玉のサイズにまで小さくできたこと。現在月2回の動物実験を実施してデータを蓄積しており、3年後に有用性を実証し、6年後の実用を目指す。

 「埋め込んだ人工腎臓の耐用年数は?」との会場からの質問に、「3年と見ていますが、導入にあたってはまず1年から」と三木さん。承認を早く得るためにも、短期に設定する必要があるという。

未来のヘルスケア〜おいしく減塩できるソルトチップ

画像5 下前歯の裏側に貼って塩味を感じる「ソルトチップ」
画像5 下前歯の裏側に貼って塩味を感じる「ソルトチップ」

 三木さんは次に、ビニールに入った小さな7ミリ四方のチップを全員に配った。「LTaste」プロジェクトで開発された減塩のための「ソルトチップ」だ。しょっぱさを感じるためには、食物全体に塩が入っている必要はなく、舌が塩を感知さえすればよいことに目をつけた。

 「ソルトチップ」を下前歯の裏側に貼ると、そこから溶け出す塩分を舌がもれなく感知して、しょっぱさを感じるしくみだ。貼り付けたチップは5分間で溶解するが、この間に無塩の粥(かゆ)や茶わん蒸し、お吸い物、漬け物などをおいしく食べることができるという。1チップに含まれる塩分はたった0.08グラム。塩一振りが0.5グラム、おにぎり1個1グラム、味噌汁1杯2グラムほどであることを考えると、減塩効果は抜群だ。

 「無塩クルミ」が供されたので筆者もソルトチップを試してみたが、確かに「塩クルミ」を味わえた。塩味はうすいどころか若干しょっぱすぎるほどで、チップの装着による食べにくさなどは特に感じなかった。

画像6 実家が醤油醸造を手がけていたという三木さん。味へのこだわりは大きい
画像6 実家が醤油醸造を手がけていたという三木さん。味へのこだわりは大きい

 減塩メニューで食が進まない人は多く、ソルトチップで食欲増進が期待できるという。実際に塩分制限を受ける術後の患者に試してもらったところ、食が進んで元気になり、早期退院に繋がったという。1日6グラム以下の制限を受けている慢性腎臓病の患者からは、「毎日の減塩は本当に大変なのですが、ソルトチップで久々に塩味というものを強く感じることができました」との感謝の声が寄せられているという。

 さらに減塩は病気の予防という大事な効果がある。塩分の取り過ぎで高血圧になると、心臓や脳血管、腎臓などに負担をかけ、さまざまな病気を引き起こす。国際的に評価の高い医療ジャーナルLANCETに発表された論文によると、2003年から2008年までイギリス政府が実施した1日約1グラムの減塩政策により、循環器疾患死亡者は3万人減り、医療費は1兆円減ったという。「ソルトチップ」でおいしく減塩ができれば、医療費の削減にもつながりそうだ。

社会実装に向けて〜医療機器開発ならではの問題

 ここで10分間のアイスブレイクタイムを挟み、参加者同士で自己紹介をしたり未来の医療について語り合ったりした。期待や希望をこめた話で大いに盛り上がった後、後半は技術開発後の起業に向けた話。「アイデアがあって技術開発ができても、それが世の中に出なければ意味がない、という思いで実用化のためにがんばってきました」と三木さん。

 Azinzoは平成29年度「研究開発型ベンチャー支援事業/NEDO TCP(Technology Commercialization Program)2017」の最優秀賞を受賞、LTasteは同年の「慶應義塾大学医学部 第一回健康医療ベンチャー大賞」を受賞するなど、どちらも大きく期待されている技術にもかかわらず、実用化までの道のりは楽ではないという。

画像7 医療機器の開発工程。In vivo実験(短期の動物実験)を工学部で担当している
画像7 医療機器の開発工程。In vivo実験(短期の動物実験)を工学部で担当している

 Azinzoは6年後をめどに実用化を目指しており、現在は短期の動物実験(in vivo)の段階。当初、この工程を医学部に依頼していたところ、開発が大きく遅れてしまった。医学部のスタッフは研究者であると共に臨床医であり、診療に時間を取られて、実験をする時間的余裕がないためだ。in vivo実験は複数回繰り返し、その結果を装置開発にフィードバックする必要があり、迅速に行わなければならない。

 米国では90年代以降、「バイオエンジニアリング」や「バイオメディカルエンジニアリング」などの学科が生まれ、社会実装に至る様々なフェーズを担う豊富な人材が育成されているという。日本ではそのような学科はないため、Azinzoの開発における橋渡し研究は三木さんの研究室が担っている。学生は工学部ながらラットの心臓のバイパスの手術ができるというが、この分野の慢性的な人材不足を「なんとかしなければ」と三木さんは考えている。

 また、補助金の構造にも問題がある。開発初期の段階(コンセプト作りやデバイスの設計・製作)では「基礎研究」として文部科学省から支援を得られる。また臨床に近い段階では、「臨床研究」としてAMED(国立研究開発法人日本医療研究開発機構)からの支援が期待できる。ところがin vivo実験のような中間段階は、基礎研究でも臨床研究でもないと判断され、支援を得ることが難しいという。

社会実装に向けて〜「大学発ベンチャー」の盲点

画像8 6月下旬発売予定の「ソルトチップ」
画像8 6月下旬発売予定の「ソルトチップ」

 一方のLTasteプロジェクトはすでに商品化の段階にあり、6月下旬から「ソルトチップ」の商品名で販売を予定している。これに先立ち、三木さんたちは2017年5月に「株式会社LTaste」を立ち上げた。三木研究室出身のドクターが社長を務め、従業員は1人。三木さんは取締役を務める。「ソルトチップ」は食品として扱われ、20個入り1000円(1個あたり50円)。

 「商品名や価格を決めるのも初めてのことで、パッケージデザインにもこだわりました」と三木さん。だがここまでの道のりは険しかったという。

 LTaste社は大学での研究成果を基に起業した「大学発ベンチャー」だ。「大学発ベンチャー」に対する社会の期待は大きいが、だからと言って投資会社から優遇されるわけではない。どこにもない最新技術であるということは、イコール、まだどこにも顧客がいないことにほかならない。商品の有用性を説明することから始めなければならず、安定した需要を得るまでに時間がかかる。

 また特許があるといっても、大学のサポートで取得した場合は大学にライセンス料を支払わなければならない。さらに固定費や給料など毎月の支出があるが、それらをカバーしてくれる補助金はない。などなど、研究だけをしていたときには気づかなかった困難がたくさんあるそうだ。

画像9 会社組織の立ち上げについて会場に問いかける三木さん
画像9 会社組織の立ち上げについて会場に問いかける三木さん

 さまざまな立場の豊富な人脈に助けられ困難を乗り越えてきた三木さんは、「研究開発の後から起業までの“非研究開発”の部分のサポートの重要性を実感しました」。挑戦的なテーマにこそ公的資金のサポートが必要だとしたうえで、これから起業する研究者に向けて、理解ある企業に支援を求めるなど、資金面や運営面の見通しをしっかりと立ててから起業をしてほしいと参加者にメッセージを送った。

未来医療による起業を想定したディスカッション

画像10 ディスカッションの中からいろいろなアイデアが出された

 最後に三木さんは参加者たちが自分たちで起業ストーリーを作る場を用意した。「三木さんの話を受けて、未来医療の実現に向けてリアリティをもって考えてみましょう」とファシリテーターの嶋田さん。三木さんも「会社を立ち上げた後の1年間をどう乗り切るのか考えて」と呼びかけた。

図 ディスカッションに際して三木さんが示した、起業で考えるべき要素
図 ディスカッションに際して三木さんが示した、起業で考えるべき要素

 テーブルごとにいろいろなアイデアが飛び交い、あっという間の10分間が過ぎた。短い時間にもかかわらず、どのテーブルの発表もユニークなものだった。技術テーマについては、「モノを開発するのはお金がかかるから、サービスの開発にしたらどうか」「講習会の企画など、病院向けサービスがよい」。資本金は「クラウドファンディングで」。顧客については「保険事業者を対象にすれば生活習慣病の人たちも同時に顧客にできる。ターゲットを絞って売上高を確実に」など、自分たちの経験を活かした意見が目立った。

 未来というテーマに関しては「延命のための医療よりも、QOLを高めることのほうが重要」という意見も出された。「そのための健康チェック機能や健康促進サービスを提供し、会社名は“病気を楽しむカンパニー”に」とも。「食品関係の企業向けに、従業員の衛生を呼気で監視する呼気チェッカーの開発」など具体的な提案もあった。

画像11 三木さんと参加者の対話もはずんだ
画像11 三木さんと参加者の対話もはずんだ

 「みなさんの着想がすごいですね。研究者の技術ベースとは違った、いろいろな視点を感じました」と三木さん。「この具体性を活かして、ぜひ積極的にチャレンジしてみてください」。

 最後にファシリテーターの嶋田さんが、「未来を展望する上でいくつか認識を新たにしたことがある。医療においては治療より予防のほうに社会の関心が向かいそう。また最新技術が社会に届くまでにはさまざまなプロセスがあり、これをより高い分解能で認識していく必要がありそうだと思った」と感想を述べた。閉会後も参加者同士の熱心な対話は続き、未来をリアルに楽しく考えるカフェになったようだ。

 カフェと同時進行で作成されるギジログガールズの記録は毎回大好評だが今回も。

ギジログ1
ギジログ1
ギジログ2
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ギジログ3
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ギジログ4
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4つの画像はサイエンスカフェをまとめた「ギジログ」(ギジログガールズ記録)

(「科学と社会」推進部 平塚裕子、写真は同部 石井敬子、図表提供は三木則尚氏)

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