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本ができるまでの経緯が興味深い。2007年に、当時、近畿農政局に勤務していた女性職員が、たまたま京都大学こころの未来研究センターの設立シンポジウムを傍聴したのが発端だ。吉川左紀子センター長の講演を聞き、翌08年、吉川センター長を訪ね「近畿ブロック協同農業普及事業60周年記念シンポジウム」での講演を依頼する。吉川氏と、筆者の一人である内田由紀子・こころの未来研究センター准教授が、講演者、事例報告コメンテーターとして出席することで、心理学者と農業普及指導者とのユニークなつながりが生まれた、ということだ。
普及指導員とは、国家試験を受けて認定された都道府県の職員である。農林水産省、都道府県の、農業大学校、都道府県主務課と連携して、「農業技術経営に関する支援を、直接農業者に接し行う」仕事をしている。全国で約7,000人いるという普及指導員たちが、どのような仕事をしており、それが日本社会でどのような役割を果たしているか。著者たちは、普及指導員たちとの共同作業で、彼らの活動が農村コミュニティの抱える問題の解決に貢献しており、さらに東日本大震災を機に「絆」の重要性が叫ばれ出した日本社会において、大きな意味を持っていることを浮き彫りにしている。
内田氏は、この本の基になった研究とは別に、東日本大震災が日本人の幸福感にどのような影響を与えたかという研究も行っている。
「日本の社会はもともと、家族や地域・自然との『関係性』が幸福の源になっていた。戦後、高度成長期において『自由な個人』を多くの国民が追求したものの、結局、日本社会が取り入れたのは『表面的な個人主義』。もう一度、日本人が培ってきた『関係性』を見直そうというのが、東日本大震災後の今の動き」。こうした内田氏の見方が盛り込まれており、特に普及指導員たちが農業者のコミュニティにおけるお互いの信頼感を高めることに貢献してきたことを評価している。
本の中には、普及指導員、彼らと連携する農林水産省や都道府県の職員たちが書いたコラムも多い。この本のきっかけをつくった近畿農政局の女性職員、福田尚子さん(現・中国四国農政局勤務)は、次のように書いている。
「普及という仕事を通じて、私は素晴らしい人たちと出会うことができた。…農家から必要とされているにもかかわらず、普及は外部から『本当に必要なのか?』『成果が見えない』と言われ続けて久しい」
日本の農業については、国際競争力に欠けるといった負の側面に関心が集中しがちのようにみえる。しかし、著者たちの次のような見解は、これからの日本の農業だけでなく、日本人の心のありようを考える上でも重要ではないだろうか。
「『農』には、日本人が関係性を築き上げてきた要素が詰まっている」「農村で人の心をつなぎ、人の行動に変化をもたらすような普及活動のあり方は、日本社会の中でさまざまな領域で援用される可能性も考えられるのではないか」