オピニオン

21世紀成熟型社会の地域農業(三野 徹 氏 / 鳥取環境大学 環境マネジメント学科 教授)

2009.07.01

三野 徹 氏 / 鳥取環境大学 環境マネジメント学科 教授

鳥取環境大学 環境マネジメント学科 教授 三野 徹 氏
三野 徹 氏

 わが国の社会は、いま、大きな変革期を迎えている。これまで一貫して増加傾向にあった人口は、今世紀に入り減少に転じた。とくに、明治以降では、わずか150年あまりの間に、約3倍にも上る急激な増加を見せたが、今後100年間で半減すると推計されている。この100年間の急増とこれから100年間の急減、わずか歴史の一コマでの急激な変化は、わが国の社会全般にわたって極めて深刻な問題を引き起こすと考えられる。

 一方、わが国の農地面積をみると、20世紀の半ばに約600万ヘクタールのピークに達し、その後急激な減少が続いている。さらに多量の耕作放棄地が発生しおり、わずか50年あまりで耕作が行われている面積は約3分の2に減少している。祖先が数千年かけて切り拓いてきた農地が、いま急激に減少しているのである。このように人口からみても、農地の面積からみても、今まさに成長型・拡大型社会から成熟型・縮小型社会への大きな転換が始まっている。

 国内での食料生産の弱体化に対して、国内の食料の消費は旺盛であり、自給率は40パーセントを切るに至っている。海外の農地や水資源への依存率はますます増加の傾向を示している。一方で、コメに特化したわが国の農業は生産過剰となり、深刻なコメの生産調整問題に直面している。大きなミスマッチが生じているのである。成長型・拡大型社会から成熟型・縮小型社会への大きな転換は、とりわけ、農業と地方の農村に極めて深刻な影響を与えている。さらに、グローバル化や国際化が進む中で、貿易自由化のさらなる伸展はこれからも避けては通れない。また、地球環境保全問題、特に地球温暖化防止や生物多様性保全問題などが、今世紀になって急激に顕在化しつつある。

 成長型社会は20世紀後半の高度成長期に大きく進んだ。高度成長期には、豊かな財政を背景として、農業と工業、農村と都市の格差是正により社会の安定を図る政策が採られ、大きな成果を挙げた。この政策によって農業と農村の近代化は大きく進んだが、これは莫大(ばくだい)な税金の投入によって支えられてきた。その結果、社会基盤の整備が進み、農村地域では農業基盤整備による生産性の向上や、農村の整備による生活の利便性・快適性などが大きく向上した反面で、自然資本の劣化が進んだ。

 さらに制度資本も、集落を中心とした「共」によって支えられてきた住民生活にかかわる機能の多くは、地方公共団体の「公」で肩代わりされていった。制度資本の中でも特に社会関係資本、いわゆるソーシャル・キャピタルにその影響が大きく及んだ。その結果、「社会基盤」、「自然資本」そして「制度資本」から構成されるいわゆる「社会共通資本」からみるとき、高度成長期には社会基盤整備が突出した状況となった。社会共通資本は社会運営の基本であり、成熟型社会ではそのバランスが重要となる。その意味では、自然の再生と創造、制度資本の充実、特に新たな形のソーシャル・キャピタルの形成は、21世紀の成熟型社会では不可欠となろう。

 このように、成長型社会から成熟型社会への転換に対して、都市は高密度化と都市空間の縮小で対応する方向がとられ始めた。集約化によって都市空間を縮小し、省資源・省エネルギー化を図り、社会コストを縮減しようとする方向である。地方都市ではすでにコンパクト・シティーとしてさまざまな社会実験が開始されつつある。

 一方、農村地域は、本来分散型の太陽エネルギーを、土地と水をという資源を活用し、作物や家畜を使って収穫することを基本としているために、空間的縮小は基本的な問題を含む。むしろ、面積を縮小するのではなく、集約度を低くして自然環境への負荷を小さくし、持続性を確保することが重要となる。ただし、集落地域では人口の減少や過疎化に伴う縮小再編はやむを得ないにしても、ネットワークの強化(ソーシャル・キャピタルもその一つ)によってそれを補完することが必要となる。

 成熟型社会では、成長型社会とは異なって、自然との共生や、安全で安心な食料に対する志向、合成化学物質に対する健康への関心、伝統文化や自然教育など、20世紀とは異なった価値観やライフスタイルを求める人々が増加する。さらに、地球環境保全への関心の高まりと、地球温暖化防止や生物多様性保全対策における農林業の役割に対する社会の理解も深まり、それらの保全戦略の一環として農業や農村への期待も高まっている。

 また、国土や、資源・環境保全管理、そのほか災害防止など、市場原理では対応できないこれらは農業の主要な目的である食料の生産と供給とは別に、農業の副産物としての多面的機能として重視されるようになった。1999年に制定された「食料・農業・農村基本法」では、農業の副産物である多面的機能について特に言及している。このことから分かるように、21世紀の農業政策としてこれまでのような産業政策から抜け出し、国土や地域政策との連携も重要な課題であることを示した。経済原理と同時に社会原理を一体化して取り扱わなければならないところに、21世紀の成熟型社会の農業政策の役割があるといえよう。市場原理による一層の農業生産の効率化と、社会原理、すなわち規制や誘導など政府の強力なイニシアティブの発揮という、相反する政策ツールを駆使したかじ取りが必要である。成熟型社会では多様な農業政策が求められるのである。

 高度成長期にわが国の産業は大きな変貌(ぼう)を遂げた。その結果、都市が大きく拡大した。地方の農村地域でも主業農家が著しく減少し、都市化・混住化が進んだ。しかしながら、地域の経済は農業に大きく依存しており、一方で、農業そのものも地域に大きく依存するという相互依存性が高まっている。地域と農業が一体となってスパイラル運動を起こし継続することにより、地域と農業の両者が同時に活性化し振興する。特に農村のソーシャル・キャピタルの水準の向上は農業を盛んにし、地域を活性化させる上で重要である。農村協働力(農村のソーシャル・キャピタル)は農村地域の振興にとってきわめて重要な意味を持っている。これは新たな地域のガバナンスの形成と考えることができる。国土形成計画では新たな「公」の形成が課題となっているが、新たな「共」、「協」として農村協働力に注目する必要があろう。

 以上でみてきたように、いま、わが国は成長型社会から成熟型社会への大きな変革期を迎えている。見方を変えると拡大型社会から収縮型社会への転換である。これまでの歴史になかった新しい状況に対して、かつては農村であったが、混住化が進み今では農村とは言えないまでに変貌した地域、そして急激に弱体化した農業をどのように考えればよいか。自然と共生し、環境への負荷の小さい新しい持続型社会の構築に向けた絶好の好機ととらえることができる。

 成熟型社会は、価値観の異なるさまざまな人々がかかわる社会であり、誰がどのように受益し、誰が負担をするのか。生産者か消費者か。国民かそれぞれの地域の住民か。さまざまな部門がさまざまなかかわりを持つと考えられるが、国民全体で論議を重ねて、共通の理解を持つことが重要である。まず、日本学術会議の関係する分野が連携しながら議論を煮詰めることが、さし当たってきわめて重要になっていると考えられる。

鳥取環境大学 環境マネジメント学科 教授 三野 徹 氏
三野 徹 氏
(みつの とおる)

三野徹(みつの とおる) 氏のプロフィール
1966年京都大学農学部卒、68年同大学院農学研究科修士課程修了、同農学部助手。京都大学農学部助教授、岡山大学環境理工学部教授、京都大学大学院農学研究科教授などを経て、2008年、鳥取環境大学研究・交流センター教授、09年から現職。日本学術会議連携会員。01-03年農業土木学会会長。農学博士。専門は地域環境管理学、農村整備学。著書に「食の安全と地域の豊かさを求めて-新しい畑整備工学-」(共著、農業土木学会)、「自然と共生した流域圏・都市の再生」(共著、山海堂)など。

ページトップへ