4.4キロ走行した「はやて27号」

3月11日に東日本大震災が起こりました。地震(東北地方太平洋沖地震)の本震は14時46分に起きました。マグニチュードは9。それから1時間もたたないうちに、マグニチュード7.5、7.3、7.4の余震が続いて起きるというすごい地震でした。
新幹線には早期地震検知システムが全線にわたり整備してあり、海岸または沿線に設置した地震計で一定以上の地震波を検知し、その主動揺波が到達するよりも早くブレーキを掛ける仕組みになっています。
今回、東北新幹線への地震波の伝わり方をみますと、まず、金華山にある海岸地震計が地震波をいち早く検知し、東北新幹線の新白石から新北上までの区間の電源を落としました。新幹線電車は電源が落ちると非常ブレーキが掛かります。そのとき、東北新幹線の東京-新青森間では、高速走行中の13本を含めて、上下33本の列車が運行中でした。高速走行中のものには時速270キロとか260キロとか、時速200数十キロの列車が多数ありました。
震源地のすぐそばの仙台-古川間で、時速271.3キロで走っていた「はやて27号」の場合をみると、金華山の海岸地震計が「電源を落とせ」という指示を出した時点から約3秒後に、非常ブレーキが掛かりました。ブレーキが掛かってから約10秒後に、列車の運転中止基準(18カイン:地震動による最大速度〈カイン〉が秒速18センチ)を超える揺れが到達しました。この時点で、時速は240-250キロに低下。さらに列車は、どんどん減速し、最も大きい揺れが到達したのがブレーキ開始から約70秒後、時速約100キロまで落ちたところでした。それから、約30秒後に「はやて27号」は停止しました。地震発生から実際に停止するまでに4,400メートル走っています。
このように、早期地震検知システムによっても、列車が完全に停止してから地震が来るわけではありません。しかし減速によって運動エネルギーは速度の2乗に比例してどんどん減っていくので、私どもとしては、少しでも早く止めることに力を入れていきたいと思っています。
今回の地震で、東北新幹線では1本だけ脱線した列車があります。幸い高速走行中ではなく、定期メンテナンス後の試運転で、仙台駅に入る時速約70キロのときに、地震発生による非常ブレーキが掛かりました。高架橋の上でかなり強い揺れに見舞われ、10両編成の4号車の台車2軸が、停止直前に脱線しました。L型車両ガイドがしっかりレールをくわえ込み、脱線して走ったのはわずか3.5メートルほどと軽微でしたが、起きてはいけない脱線が起きたわけなので、どういうメカニズムだったのか現在、解析しています。

耐震補強の柱は被害ゼロだった
地上設備にもいろいろな被害が出ました。仙台駅の新幹線ホームの天井がほとんど落ちましたが、幸い、お客様などのけが人はゼロでした。上り、下りの列車が出た後で、下り列車から降りたお客様が全員、ホームからの階段の下に降りたころに地震が起きました。福島-一ノ関間では、架線をつっていた柱が曲がったり折れたりしました。仙台-古川間では高架橋柱や橋脚の損傷がありました。
東北新幹線の全体の被害状況では、今回の本震・余震により、架線柱の折損・傾斜・ひび割れは約810カ所で起きました。架線の断線も全体で約670カ所、高架橋の柱などの損傷も約120カ所で起きました。
では、その高架橋柱のうち、鉄板を巻いて耐震補強をした柱はどうだったのか。「せん断破壊先行型」に対する耐震補強を終えていた1万2,500本に被害はなく、橋が落ちて新幹線が脱線することは避けられました。次に「曲げ破壊先行型」に対する耐震補強は、現在施工途中で、未補強の柱の一部にクラックが入るなどの被害が出ました。未補強の柱について、しっかりやっていかなければなりません。

在来線の津波被害
以上が東北新幹線と地震についてのことですが、今回の大震災では津波による被害が甚大でした。在来線の津波被害についてもお話しします。
今回の大地震では、JR東日本の全社で27本の列車が駅間に停車しました。その全てでお客様の避難誘導を実施しました。その避難後に、5本の列車が津波に流されました。特に被害が大きかったのが次の4本の列車です。まずは福島県新地町の常磐線・新地駅の例で、この駅に止まっていた4両編成の電車が津波に飲まれ、引き裂かれた状態で流されました。宮城県の気仙沼線では、海岸の傍らの築堤に線路があり、津波で列車が築堤から落とされてしまいました。宮城県の石巻線・女川駅では駅舎が流され、止まっていた気動車(ディーゼルカー、重さ約36トン)は、津波によって250メートルも陸側に押し流され、さらに高さ15メートルの丘の上の墓地に乗ってしまいました。宮城県東松島市野蒜(のびる)の仙石線でも、列車が波にさらわれました。非常に幸いなことに、いずれの列車も無線による指令指示もしくは乗務員の判断などでお客様を避難誘導し、津波が襲来したときには車内には誰も残っていない状態でした。
ところが、先ほどの新地駅では、避難誘導後に乗務員が車両を監視しに戻ったのです。情報が途絶え、まさか、あんなにすごい津波が来るとも思っていなかったので、とにかく車両が大事だと。そしで戻ったら、すごい波が来たので、乗務員ら3人は駅構内の跨線橋の上に登り、一晩この上で明かして助かりました。避難誘導も含めて、非常に教訓になった事例です。

津波に備えた訓練
私どもの沿岸部を持っている支社では、日ごろから津波に備えて訓練をやっていました。今回の地震の避難誘導でも、北は秋田エリアから南は千葉のエリアまでの27列車を止めて、お客様に降りていただき、高台に避難いただいています。津波が来ることを想定した区間を決めているので、そこでの乗務員には、先ず逃げようという判断もあったと思います。そうしたマニュアルを準備し、年1回は訓練を行うなどの実績もありました。万一の事態に備えて日ごろから備えておくことがすごく大事だと、身に染みて分かりました。
ただし、列車を降りてから、避難場所に行くかどうかはお客様の判断です。自宅がそばなのでそちらに向かわれたという方もいたようです。
私どもには社員教育と言いますか、安全綱領として、国鉄時代から唱和しているものがあります。その1つが「疑わしいときは、最も安全と認められるみちを採らなければならない」というものです。つまり、自ら考えて行動すること。このあたりのことを、今回はうまくやってくれたのかなと思っております。
津波対策の見直し
それから、単にマニュアルを準備するだけではなく、地道な環境整備も行っていました。岩手県・山田線の小さな無人駅(波板海岸駅)の待合室には、近くの避難所を示した絵入りの地図を設けたり、道路に面した駅の柱にも「こちらが避難場所」という矢印をつけたりと、地元の自治体と一緒にやっています。この駅だけではなく、総合的に三陸沿岸周辺は津波エリアとして取り組んでいましたし、仙石線の野蒜駅にもこういった地図を掲げています。こうしたことを地元としっかりやっていくことは、私どもにとっても大事なことです。
ただし今回の大震災によって、これまでの津波対策の見直しが必要です。自治体が作ったハザードマップには、津波が達する恐れがある区域が示してありますが、今回、宮城県や福島県の平野部の海岸で津波が入ったところは、ほとんどがハザードマップをはるかに超えていたのです。これから、特に平野部での津波対策をどうしていくのか、私どもとしても議論しなければなりません。
「究極の安全」を目指して
以上をまとめますと、JR東日本としての地震に対する安全上の課題は、まずは、構造物の耐震補強をさらに推進することです。それから、列車の緊急停止の仕組みの改良。これは「少しでも早く止める」という余地がまだあるか、見極めつつ進めたいと考えています。次に、列車の逸脱防止の充実。そして、津波対応の見直しです。さらに、脱線のメカニズムについても、しっかり解明していきたいと思います。
最後に、私どもの『グループ経営ビジョン2020』や『安全ビジョン2013』の中に「究極の安全」という言葉があります。「安全に完全はない」として、JR東日本会長の大塚陸毅(おおつか・むつたけ)が「究極の安全を目指せ」と言っています。「人間のやるべきことを全てやれ。あとは神のみぞ知る」という意味での「究極の安全」。その言葉をご紹介して終わりたいと思います。

(みやした なおと)
宮下直人(みやした なおと) 氏のプロフィール
東京都生まれ、東京都立西高校卒。1977年東京大学工学部卒、79年日本国有鉄道入社、96年東日本旅客鉄道(株)新潟支社運輸部長、2006年鉄道事業本部運輸車両部担当部長、08年執行役員鉄道事業本部安全対策部長、10年から現職。