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数学者はどう応えられるか? 増大する社会の要求と期待に(水藤 寛 氏 / 岡山大学大学院環境生命科学研究科 教授)

2016.01.12

水藤 寛 氏 / 岡山大学大学院環境生命科学研究科 教授

水藤 寛 氏
水藤 寛 氏

 数学に関係するグループ(大学の学部、科学技術振興機構〈JST〉の研究領域など)に身を置いていると、数学に対する社会からの要求、あるいは期待が強まってきているのを感じます。それはありがたいことですし、数学側にとっての大事なチャンスでもあるのですが、数学側がそれにどう応えたらよいのか、戸惑うことも多くなっていると思われます。本稿では、その戦略や方向性について考えてみます。なお、「数学」と一口に言っても幅は広く、純粋数学と応用数学と言ったり、数学と数理科学と言ったり、さまざまです。ここではあえてそれらを総称して「数学」と呼んでしまうことにします。

 「社会からの要求、あるいは期待」と言っても、さまざまなものがあります。また「社会」とは人の集まりですから、その要求や期待はその人がこれまでに数学と触れあってきた歴史(経験)にも強く依存しています。高校や大学初年級の数学でいやな思いをしてそれを引きずっている人、高校では数学が好きだったのに大学に入ってその抽象性を受け入れられなくなった人、逆に、もっと抽象的で高度なことを期待していたのに細かい計算技法だけを教えられて閉口した人、またはこれが何の役に立つのかという疑問が湧いてきて興味を失ってしまった人、しかし社会に出てから数学の有用さに気づいた人、社会に出て現場の問題でにっちもさっちもいかなくなって助けを求めている人、などなど本当にさまざまです。

 一般的に数学に対してあまりよい思い出を持っていない人が多いことについては、数学界側もいろいろと考える必要はあるでしょう。が、ここではそれはひとまず置きます。

 そのような個人史のため、「数学に対する要求や期待」は、数学者側から見ると時として見当外れであったり、妙に過大な期待であったりもします。しかし、だからといって、それを単に無視していればよいような状況に数学者は置かれていません。その要求や期待の内容をよく把握し、それに取り組むことの科学的・社会的意義や実現可能性を検討し、適切な数学的技術を選択して方策を練ることになります。その作業はまさに異分野協働の難しさです。

 また、そのような取り組みが数学的にも「面白い」形になることが重要です。こんなことを書くと、数学外の方々からは「数学者は面白いことだけやっているのか! 不謹慎な!」とお叱りを受けてしまうかもしれません。しかし、数学(や科学)はこれまでそのようにして発展してきました。そこは譲れないところでしょうし、譲るべきではない、と私は思います。

 ところで、異分野協働(ここでは数学とそのほかの科学の協働を主に思い浮かべています)には、国際交流と似た難しさと面白さがあります。相手の国の言葉で自在に話すこと(言葉は文化を土台としていますから、その国の文化を知ることまでを含みます)ができれば何ら困難はないのですが、もちろん普通はそうではありません。ここで貴重になるのは通訳者の存在です。通訳者は単なる言語の翻訳者ではありません。その大事な役目は、両方の文化を理解した上で、Aの文化では通常省略されるけれどBの文化では重要である要素を補足してAからBに伝えることであり、また、逆の場合はそれをあえて削除して伝えることだと思います。

 そしてこの状況は、数学と他の分野との協働についても言えることです。われわれはJSTの戦略的創造研究推進事業CRESTの研究領域「数学と諸分野の協働によるブレークスルーの探索」(研究総括:西浦廉政〈にしうら やすまさ〉東北大学教授)および「現代の数理科学と連携するモデリング手法の構築」(研究総括:坪井俊〈つぼい たかし〉東京大学教授)に所属して、数学と臨床医学の協働を目指したCRESTプロジェクトを進めていますが、その中で、数学者と臨床医が話そうとするときのさまざまな困難を感じてきました。

 例えば、純粋数学者と放射線科医が研究のことを話そうとしたとします。国際交流の場合と同様に、言葉の違い、文化の違い、慣習の違い、などなどの障壁が立ちはだかります。しかし、両方の言葉や文化が一応わかる人、例えば応用数学者が通訳をすることで、意思疎通が可能になります。放射線科医は、画像診断に用いる磁気共鳴画像装置(MRI)やコンピューター断層撮影装置(CT)の3D(三次元)データをワークステーション上で日常的に扱い、フーリエ変換などの数学的技術を使うことも多いので、応用数学者とは比較的容易に意思疎通することができるのです。

 そのような応用数学者が通訳することによって、抽象世界を扱っている純粋数学者と放射線科医が話をすることができるようになります。また、臨床医と一口に言っても幅は広く、例えば外科医と応用数学者が意思疎通するのはやはり最初は困難です。そういうときは、両方の言葉がわかる放射線科医が間に入って通訳をしてくれるとよいのです。このような二段階通訳によって、純粋数学者から外科医までがつながることになるわけです。

 このような通訳もやはり、単なる翻訳者ではなく、必要な情報の追加、不要な情報の削除を行っているということが重要です。「数学者も社会の現場の問題に積極的に取り組むべし!」と言われても、多くの数学者は戸惑うだけですが、このような通訳環境が構築できていさえすれば、その数学を存分に社会に生かすことができるようになるというわけです。

 さて、このように書くと逆に、純粋数学者と外科医は二段階通訳を介さなければ話すことすらできない、ずいぶんと離れた存在であると主張しているように聞こえるかもしれません。しかし、実はそうではない、ということを、私は数学者と臨床医の協働研究を通じて実感してきました。まず、数学者の間では有名な、吉田耕作(よしだ こうさく)先生(1909-90年)の言葉「われわれにわかりよいように……抽象的に願います」を紹介しましょう(彌永昌吉「数学のまなび方」ちくま学芸文庫、pp. 68-69 より引用)。

 これは数学者にとってはとてもしっくりくる言葉です。残念ながら「具体性こそが正義であり、抽象的にものを言うことは真実を隠蔽(いんぺい)する悪である」と思いがちな一般の人とは全く逆の、抽象的なことを好む(好まざるを得ない)「数学者の性(さが)」のような文脈で、一般社会とは相容れない面として受け取られることも多いかもしれない言葉です。

 しかし、数学者と臨床医の関係において、私はどうもそうではないように思うのです。臨床医たちは、非常に複雑な「人間」というものに日々向き合っています。同じ病気にかかっていても現れてくる症状はさまざまで、病気そのものに加えて、さまざまな合併症、既往歴や家族関係、社会問題までもが渾然(こんぜん)一体となって重畳しています。臨床医たちはその中から何がその病態の本質なのかを見極め、一番大事な部分を抽出しようとしています。それが最も効果的な治療につながるからです。

 その姿を見ていると、「あれっ、これって数学者と同じじゃないか!」と思うのです。つまり、「直接に理解するにはあまりに複雑な対象から本質的な部分のみを抽出する」。この営みを臨床医と数学者は共有しています。

 本稿ではわれわれが経験してきた数学者と臨床医の協働を例として、その一見全く異なる分野の間の非自明な共通点と二段階通訳による協働戦略を述べてきました。このようなことは特に臨床医学と数学との協働に限ったことではなく、そのほかのさまざまな分野と数学の協働について言えることだと思います。対象から一歩引いて抽象化する、つまり本質的な部分のみを見ることによって、その概念は一気に普遍化し、幅広い対象に適用可能になるのです。どんどん細分化していく科学技術の共通言語としての数学、その共通言語を操る通訳者として数学者の果たす役割はいっそう大きくなっていくことと思います。

 なお、本稿ではいわゆる「ニーズ駆動型」研究を主に想定してきました。これは諸分野の現場にある必要性をスタート点にして、地道に数学研究を進める立場です。これとは逆の方向として「シーズ駆動型」があります。こちらは、特に応用を考えることなく生み出された美しい数学的概念や手法から、思いがけなく幅広い応用が花開いた、というタイプです。そうしょっちゅうあることではないかもしれませんが、とても魅力的なタイプです。こちらについて紹介するのには、私より他に適任者がたくさんおられますので、そちらにバトンを渡したいと思います。

水藤 寛 氏
水藤 寛 氏(すいとう ひろし)

水藤 寛(すいとう ひろし) 氏のプロフィール
1961年長野県上田市生まれ。86年千葉大学理学部物理学科卒。(株)計算流体力学研究所勤務などを挟み、98年千葉大学大学院博士後期課程修了、博士(工学)学位取得。2002年岡山大学環境理工学部助教授、10年大学院環境学研究科教授、組織改組を経て現職。15年から同研究科副研究科長(研究担当)も。07年10月から11年3月まで、科学技術振興機構戦略的創造研究推進事業CREST「数学と諸分野の協働によるブレークスルーの探索」研究領域(研究総括:西浦廉政東北大学教授)で、さきがけ研究員、10年10月から同領域で研究代表者(16年3月まで)。15年10月から同事業「現代の数理科学と連携するモデリング手法の構築」(研究総括:坪井俊東京大学教授)研究代表者(21年3月まで)。

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