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リスクマネジメントに対する正しい理解を!(宮林正恭 氏 / 東京都市大学客員教授)

2015.06.01

宮林正恭 氏 / 東京都市大学客員教授

東京都市大学客員教授 宮林正恭 氏
宮林正恭 氏

 東日本大震災および福島第一原子力発電所事故以来、急に各方面でリスクマネジメントの重要性が叫ばれ、いろいろな場において言及されることが多い。筆者はリスクマネジメントおよびクライシスマネジメントの基本論(リスク危機マネジメント論と呼んでいる)を専門とする。これまで、「リスク危機マネジメントの考え方が十分知られていたらこのような酷いことにならなかったのに!」と思うことが幾度となくあったので、リスクマネジメントへの理解が深まることは大変喜ばしいことだと考えてきた。しかし、伝えられるリスクマネジメントの議論の中には、リスクマネジメントへの不適切な理解と思われる点が少なくない。本稿では、これについて述べる。関係者の議論のきっかけにしていただければ幸いである。特に現在、気になっているのは以下の諸点である。

リスクを減らすことだけに焦点を当てて議論が行われがちなこと

 リスクはいろいろな形で存在する。一方であるリスクを減らせば、他方でほかのリスクが増えることは常にありうることである。リスクマネジメントでは、目的や使命の達成、リスクの発現(危機)のタイミング、危機の質的内容などを総合的に考慮して、リスクを取り扱うのであり、必要なら、リスクを放置、あるいは、積極的に取ることもある。焦点を当てた領域のリスクばかりに着目し、それを最小化する「部分最適」は、リスクマネジメントの趣旨ではない。

 リスクはゼロにはならないから、ある程度のリスクの発現(危機)は許容し、それが、致命的なものにならないことを確実なものとするとともに、危機の際の被害を最小化するクライシスマネジメントを含めて総合的に考えることが必要である。

リスクは人間の判断に依拠する認識の問題

 リスクは本質的に認識の問題である。リスク科学では、リスクを客観化して取り扱うが、それは、それが可能な条件を仮定して取り扱うこととしているからである。リスク科学のそのような知見は有益ではあるが、リスクマネジメントでは、リスク論の客観的要素に加えて、主観的要素を含み、人により組織により捉え方が異なる可能性があることを前提にして考える。最終判断は人間が行うのであり、その判断者に負うところが大きい。

計算できるリスクと計算できないリスクを総合的に考える必要性

 リスク科学の発達は、リスクを定量的に考える見方を生んだ。しかし、多くの場合、それが可能なのはある条件下においてであり、しかも、推定値である。さらに、確率で示されることが多いが、実地での適用においては、判断材料としては使えても、全体としての不確実性は避けられない。リスクマネジメントにおいては、そのような認識に立って、リスクを取り扱う。特に、リスクマネジメントは、現実社会において行うマネジメントであり、その際には、人間の能力、時間的余裕、資金的障害、技術的限界などによって実行可能性に限度があることを認識せざるを得ない。

リスクマネジメントとリスクコントロールの差異の理解の必要性

 リスクコントロールはリスクを制御することである。リスクマネジメントは、マネジメントであるので、人に働きかけたり、指示をしたり、組織の枠組みを設定したりすることによって、リスクの取り扱いにおいて関係者が最適の行動をとるように誘導することである。

 しかし、リスクマネジメントを「リスクをマネジメントすること」とした議論がされることが少なくないように見える。そのような認識の結果、組織のリーダーの責務が不明確となり、テクニック論になりがちのように思われる。

リスクマネジメントにおける「経営者はトップダウンとすべき」の内容の理解

 リスクマネジメント、(その関連においてクライシスマネジメント)についてトップダウンの重要性が語られることが多い。わが国では「トップダウン」と言うと行動内容についてかなりの程度、指示があると考える傾向が強い。その結果、下部構造は指示待ちとなり、上部構造は指示をするために詳細な情報を集めようとする。

 しかし、危機においては、現場優先である。限られた時間、現有勢力や設備等の範囲内で、現場についての知識やリスク危機マネジメントの考え方に習熟しないことの多い上部経営層ができることは限られている。俯瞰(ふかん)的に見て大きな方向性を示し、当事者が気付かないことに配慮し、また、下部が判断に困った時に判断を下して責任を取ることが責務である。むろん、その能力があり、自分自らが最前線に立って、直接指揮命令をする場合はその限りではない。

 むしろ、リスクマネジメント段階において、しっかりとしたリスク解析と対応、危機の際の対応能力の維持管理、行動の倫理観の涵養(かんよう)維持、リスクの監視などについて確固たる方針を示し、組織がそれらの能力を確保しているよう指揮監督することが重要である。東日本大震災、福島原発事故などにおいてこの理解の不十分さが各所において問題を生じさせたのではなかろうか。

リスクマネジメントは専門家に委ねておけばよいとの風潮

 リスクマネジメントの担当部署の明確化や新組織が置かれるケースも増えている。それに伴って、経営者も職員も、その部署やその担当者任せということになっているように見えることがある。リスクマネジメントは、上述のように人の判断による要素が大きく、また、日頃の業務と表裏の関係にあることが多いから、組織のあらゆる階層においてリスクマネジメントの一翼を担うという気持ちが必要である。特に、リスクマネジメントの失敗はトップの経営判断の失敗であることになるから、リスク危機マネジメントの基本的素養を身に着け、専門家スタッフを活用して、常にリスクに気配りしていなければならない。

リスクコミニュケーションの趣旨の正しい理解の必要性

 リスクコミュニケーションは、リスクの存在およびその内容を明らかにし、それが発現し、危機となった際の対応措置計画を示すことによって、相手方の信頼を得るとともに、相手方が利害関係者である場合はその危機に備えた心構えを持ち、必要な対応をとることを期待するものである。従って、相手方に理解をしてもらうことに力点が置かれるとしても、一方通行ではなく、双方向のコミュニケーションの性格が強い。

 そして、これを行うためには、しっかりとしたリスク認識およびそれに対する責任意識や覚悟があり、また、リスク対応の考え方が整理され、その実行体系が整い、危機に備えた準備なども進んでいる必要がある。ところが、言葉による説得術として何か特別な方法論があるかのように考えて議論されているように見えることが少なくない。

 なお、リスクコミュニケーションとクライシスコミュニケーションをほとんど同じような性格のものとして捉え、ひとまとめにした議論を行うことも散見される。しかし、クライシスコミュニケーションでは、危機の状況、その進展の見通し、取られている対応措置などを説明することによって、相手方に安心感を与えるとともに、その危機に対する相手方の行動が協力的なものとなるよう働きかけることに主たる狙いがある。従って、コミュニケーションのやり方についてはリスクコミュニケーションとかなり異なるところがある。

東京都市大学客員教授 宮林正恭 氏
宮林正恭(みやばやし まさやす) 氏

宮林正恭(みやばやし まさやす) 氏のプロフィール
富山県立高岡高校卒。1967年東京大学工学部卒。科学技術庁原子力安全局長、同科学技術政策研究所長、科学技術振興局長、理化学研究所理事、千葉科学大学教授・副学長兼危機管理学部長、などを経て2014年から現職。工学博士。通商産業省時代に三井グループのイラン石油化学プロジェクト失敗の後始末を担当、在米日本大使館一等書記官時代にスリーマイルアイランド原子力発電所事故に遭遇するなど早くから危機管理に関わる。リスクマネジメントと危機管理(クライシスマネジメント)を統合して一体的に取り扱う「リスク危機管理」を提唱。その基礎を「リスク危機管理論」としてまとめる(その後、「管理」が統制管理として理解される弊害があることから、「リスク危機マネジメント」として再提唱)。現在は、組織のリスク危機管理、人間行動とリスク危機管理、日本の抱えるリスクとその取り扱いの在り方などに焦点を当てて活動中。著書に「リスク危機管理 - その体系的マネジメントの考え方」(丸善)、「リスク危機マネジメントのすすめ」(丸善)など。

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