19世紀は第一次産業革命に代表されるように鉄と鋼を代表とする金属系ハードマテリアルの時代であった。20世紀になるとStaudingerにより高分子という新しい材料の概念が提案されその本質が議論され始めた。20世紀後半になると高分子はさまざまな応用分野において伝統的な「硬い」材料(ハードマテリアル)を、プラスチックという形で置き換えていった。さらにこの高分子に代表される軟らかい素材(ソフトマテリアル)自体の機能性を生かした材料が、液晶デバイス、ゲル、有機電子デバイス、生体材料などといった形でさまざまな分野に展開されている。
このように、日常生活の中で高分子を用いた「ソフトマテリアル」が果たす役割は極めて重要になってきている。また最近では、生産から利用・リサイクルまでを含めた循環型社会において環境などへの負荷が少ない材料としても注目されている。
一方、無機材料であるシリコン系半導体も20世紀の後半に出現し、第2次産業革命(情報技術(IT))の基盤となっている。金属や無機材料といったハードマテリアルの場合、その構造と物性(物理的性質)がさまざまな解析手法と理論で系統的に解明されているのに対して、ソフトマテリアルについては系統的な研究と構造・物性解明が難しく、ようやく研究が本格的にスタートしたばかりである。これまで研究が遅れていた理由はその複雑な階層構造や動的特性の解明が遅れたためである。ソフトマテリアルの特徴は、まさに多彩な分子間の相互作用により形成される複雑な階層構造が、その階層構造に対応した動的な特性を示し、それにより特徴的な機能を示す点にある。
さて、材料の性質や機能は材料の中身もさることながら表面や界面の状態や性質にも大きく左右されている。ソフトマテリアルにより形成される表面と界面(「ソフトインターフェース」)は身の周りの至る所に存在し、主として有機高分子で形成され、有限の厚みと、特徴的な動的特性を有している点が大きな特徴である。またソフトインターフェースそれ自身もさまざまな機能を担っている。これまでの研究でソフトマテリアル自身の濡れ、摩擦・摩耗、接着、電気物性、光学特性、生体適合性などの重要な機能特性がソフトインターフェースの構造と物性に大きく支配されていることが推測されている。
従って、ソフトインターフェースの特性を最大限に発揮させるためにはその構造と物性を意のままに操ることが必要不可欠である。しかしながら、それを生み出すのに必要な、その背景となる科学は十分解明されてなく、ソフトインターフェースの精密な構造制御と構造・物性の系統的な研究が強く望まれている。
自然界に見いだされるソフトインターフェースは、人工材料のソフトインターフェースに比べてさまざまな特徴的な挙動と優れた動的応答性を示す。例えば自然界の高機能性ソフトインターフェースとして(1)抗血栓性を有する血管表面のリン脂質膜、(2)股関節の潤滑表面、(3)超撥水(はっすい)性と自己清浄性を示すハスの葉表面、(4)表面エネルギーの勾配で水を集めることができる砂漠の甲虫の表皮、(5)ハエ取り草の刺激応答性表面、(6)イガイの接着性(水中で接着する接着剤)、(7)漆樹液から作られる天然漆の美しい薄膜—などがあげられる。これらの表面と界面はユニークな特性を示すが、合成材料ではこれらを完全に再現することができていない。またその科学的解明ですら不十分である。
このような背景の中で私が研究総括を務めるプロジェクト(科学技術振興機構戦略的創造研究推進事業「ERATO」)が昨年、スタートした。このプロジェクトは3つの方向からソフトインターフェースの特性解明を目指している。小林元康 氏をグループリーダーとするチームは、自然の単なる模倣ではなく、新しいソフトインターフェースを創り出す分子設計に関する研究を進めている。
第2のチーム(渡邊宏臣グループリーダー)は、自然界にある特徴的なソフトインターフェースの表面階層構造の役割を明らかにし、高性能のソフトインターフェースを創り出す階層構造制御手法の確立を狙う。3番目のチームは、表面での分子の運動、摩擦・接着などの仕組みを散乱・分光学的な手法で解析するとともに、大型放射光施設「SPring-8」の放射光や大強度陽子加速器「J-PARC」の中性子を利用してソフトマテリアル界面で起きている動的な動きを分子レベルで解明する手法を開発し、ソフトインターフェースで生じている現象、機構を明らかにすることを目指している。
ソフトインターフェースに関する基礎的な研究は緒に就いたばかりである。このプロジェクトの目的は、学術的、工学的に重要なソフトマテリアルの表面と界面であるソフトインターフェースの本質を明らかにするための科学的基盤を創ることである。また世界最高性能の大型実験施設であるJ-PARCやSPring-8を利用した装置や、他の独自の装置を試作することにより、新しいソフトインターフェースの構造と物性の関係が明らかにされ、この分野の研究が急速に展開すると考えられる。
さらに、工学的な観点からは、10-15年後にこれらの研究成果を「有機溶媒を用いない環境に優しい水潤滑システム」「さまざまな環境下でも汚れや微生物が付着しない表面の創製」「意図する摩擦特性を持たせることができるナノコーティング技術」「自己潤滑性ガイドワイヤーを用いた冠動脈形成術(ステント治療技術)」「水中でも使える天然物起源接着剤の開発」「日本漆などの伝統工芸へ最新のナノテク手法導入」のような環境負荷の少ない、安心・安全な社会を実現するための新しい技術へと応用できるものと考えられる。
以上のように、学際的な研究により、「ソフトインターフェースの材料科学」という新しい学問分野が確立され、応用面では医用材料、電子材料、自動車材料、マイクロ/ナノマシン、表面材料科学、伝統工芸などのさまざまな分野にも寄与できると確信している。
高原 淳(たかはら あつし) 氏のプロフィール
1978年九州大学工学部応用化学科卒、83年九州大学大学院工学研究科博士課程修了。九州大学工学部助手、同助教授、米ウィスコンシン大学マジソン校客員研究員、九州大学有機化学基礎研究センター教授、産業技術総合研究所高分子基盤技術研究センター主任研究員(併任)を経て、2003年九州大学先導物質化学研究所教授。08年から科学技術振興機構戦略的創造研究推進事業ERATO「「高原ソフト界面プロジェクト」研究総括も。高エネルギー加速器研究機構客員教授、理化学研究所播磨研究所・客員研究員、理化学研究所和光研究所・客員研究員も兼務。日本学術会議連携会員。工学博士。専門分野は高分子物性、ソフトマテリアルの表面・界面科学。