インタビュー

第1回「2次粒子ビームを基礎・応用両面に活用」(永宮正治 氏 / 日本原子力研究開発機構・高エネルギー加速器研究機構J-PARCセンター長)

2008.09.19

永宮正治 氏 / 日本原子力研究開発機構・高エネルギー加速器研究機構J-PARCセンター長

「めざすは国際的研究施設 - 多目的加速器「J-PARC」の魅力」

永宮正治 氏
永宮正治 氏

物質の根源を探る粒子加速器の建設競争が続く中、そのユニークさで内外から注目されている日本の加速器の完成が迫ってきた。高エネルギー加速器研究機構と日本原子力研究開発機構とが共同で開発を進め、茨城県東海村に建設した大強度陽子加速器「J-PARC」だ。原子核物理、素粒子物理、物質科学、生命科学など、基礎研究から産業界への応用までさまざまな分野での活用が期待されている。この大型研究施設の魅力と可能性について、永宮正治・日本原子力研究開発機構・高エネルギー加速器研究機構J-PARCセンター長に聞いた。

―J-PARCが生まれた経緯からうかがいます。

J-PARCが、高エネルギー加速器研究機構と日本原子力研究機構の共同企画として意識され始めたのは1998年の秋です。しかしながら、私の中では、その源流となるプロジェクトははるか昔にありました。

原子から電子を引きはがして原子核だけ加速する「重イオン加速器計画」の構想は70年代からありました。東京大学原子核研究所が中心になって作ったニューマトロン計画でした。当時、私は米国のローレンス・バークレイ研究所で研究生活を送っていたのですが、82年に東京大学理学部に戻ったころは計画の雲行きが思わしくなく、計画再検討のとりまとめ役を引き受けました。そこで、86年にまとめ上げたのが「大ハドロン計画」です。従来の重イオン加速器計画を高度化し、新たに大強度陽子ビーム加速も取り入れるという野心的なものでした。

しかし、この計画もすぐに認められるまでには至らず、88年に私はコロンビア大学教授として再び米国に移りました。しかし、日本の計画には常に責任を感じながら研究生活を送っておりました。コロンビア大学では日米混成チームで研究していたことや、その後、高エネルギー物理学研究所の研究成果のレビューを担当したりしたことで、再び「大ハドロン計画」を練り直す議論と作業にかかわることになります。そして、米国から再度帰国することを決心し、J-PARCの原型ともいうべき「大型ハドロン計画」を作る作業に没頭しました。こうした作業が進む過程で、東京大学原子核研究所だけでは無理だということになり、97年に原子核研究所と高エネルギー物理学研究所が合併し、高エネルギー加速器研究機構が発足しました。そして、この年に「大型ハドロン計画」を正式に概算要求するところまでこぎ着けたわけです。残念ながらこの年には、この計画は認められませんでした。

この時点では、当初の重イオン計画の部分も残っていましたが、陽子ビームの方にウエイトが移ってきておりました。陽子加速器の強度を上げることで、中性子、中間子、ミュオン、ニュートリノといった粒子がたくさん出てきます。これら2次粒子をビームとして利用し、さまざまな基礎研究や、産業界を巻き込んだ応用研究を促進できればと考えました。それまでの加速器というのは、目的が一つというのが常識だったのです。トリスタン(注1)は、トップクォークの発見が目的というようにですね。ですから当初、「多目的な加速器」という考え方は、官庁などの関係者にはなかなか理解されず、苦労したものです。

一方、日本原子力研究所(注2)でも、「中性子科学研究計画」と呼ばれる大強度陽子加速器計画の構想が練られていました。原子炉からは放射性核種がたくさん出てきます。このうち長寿命の放射性核種を消滅してしまおうという「核変換実験」が原研計画の中核でした。しかし、これ以外の目的は、高エネルギー加速器研究機構の「大型ハドロン計画」と重なりあっているところが多かったのです。

98年の秋、文部省(当時)から、「両方とも陽子ビームを使うのだから一緒にやったらどうか」という呼びかけがあり、99年春、2つの計画を統合して一つにする合意が成立しました。高エネルギー加速器研究機構の学問的な要請と日本原子力研究所の応用的側面を合流させて、両面に強い加速器を造ろう。陽子ビームの強度を上げて、2次粒子をビームとして利用しよう。こういった興味が一致してJ-PARCへの共同作業が始まりました。

文部省の統合呼びかけの背景には、2001年に原研の監督官庁である科学技術庁と高エネルギー加速器研究機構の監督官庁である文部省が合併し、文部科学省になることが決まっていたということがありました。

完成間近のJ-PARC航空写真
(提供:日本原子力研究開発機構・高エネルギー加速器研究機構 J-PARCセンター)
完成間近のJ-PARC航空写真
(提供:日本原子力研究開発機構・高エネルギー加速器研究機構 J-PARCセンター)
  • 注1)トリスタン:
    高エネルギー物理学研究所(当時)が、1986年に完成させた電子・陽電子衝突型加速器。
  • 注2)日本原子力研究所:
    2005年に核燃料サイクル開発機構と合併し、現在は日本原子力研究開発機構。

(続く)

永宮正治 氏
(ながみや しょうじ)
永宮正治 氏
(ながみや しょうじ)

永宮正治(ながみや しょうじ)氏のプロフィール
1967年東京大学理学部卒、72年大阪大学大学院理学系博士課程修了。東京大学理学部助手、カリフォルニア大学ローレンス・バークレイ研究所研究員、東京大学理学部助教授、コロンビア大学教授、東京大学原子核研究所教授、高エネルギー加速器研究機構教授、同機構大強度陽子加速器計画推進部長を経て、2006年から現職。1991-94年コロンビア大学物理学科長を務める。専門分野は原子核物理学実験。理学博士。日本学術会議会員・物理学委員会委員長。

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