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魅力的な授業法の公開・共有化を-大学大衆化と多様化の時代に(小田隆治 氏 / 山形大学 地域教育文化学部 教授)

2009.11.04

小田隆治 氏 / 山形大学 地域教育文化学部 教授

山形大学 地域教育文化学部 教授 小田隆治 氏
小田隆治 氏

 2009年5月25日、われわれが制作した授業改善のためのビデオ教材「あっとおどろく大学授業NG集」が読売新聞の夕刊でセンセーショナルに取り上げられた。新聞の見出しには「イケメン学生ひいき、自慢話で授業を中断、これがダメ教師」の言葉が踊っていた。その日の夜にはこの記事がYahoo! Japanのトップページに引用され、全国の大学関係者ばかりでなく多くの国民の知るところとなった。私の研究室の電話には、全国のテレビ局からビデオの貸し出しの依頼が殺到した。私はこのビデオ教材が世間に面白おかしく扱われることに危険性を感じ、すべての申し出を断った。その後、このビデオはNHKで取り上げられ、日本のみならずNHKワールドで世界へ発信されていった。

 私はここ10年間、大学教育の改革や改善に携わり、大学教員を対象とした授業改善の研修会を企画し実施してきた。その活動の一環として今回のビデオ教材の作成があった。ビデオ教材はわれわれの演技による12のNG事例から構成されている。これは決して世間を騒がせるような代物ではなく、教員が授業で犯しがちな事例を取り上げ、それを授業の振り返りに活用してもらおうと考えたものだ。

増加した低学力学生

 大学の授業改善は何もわが山形大学の専売特許ではない。今まさに日本中の大学で教育改革や改善が急速な勢いで進んでいる。なぜ今、日本の大学は教育改革を推し進めているのであろうか。そこには大学の大衆化という、これまで大学が経験したこともない事態に直面しているからだ。

 2009年、日本の大学(学部)進学率(過年度高卒者などを含む、以下も同様)は50.2%となった。短期大学(以下、短大と略す)を含めると56.2%、専修学校専門課程等を含めた高等教育機関への進学率は77.6%となり、いずれも過去最高となった(文部科学省の2009年度学校基本調査速報による)。日本の大学は18歳人口の半数が大学に進学する大衆化の時代に突入した。

 大学の大衆化はわれわれ大学人の前に難問を投げかけている。その一つが、以前ならば入学できなかった学力の低い学生が大量に入学してくるようになったことだ。低学力の学生を大学卒(学士)というレベルにまで引き上げることは至難の業である。そこで、そもそもこうした学生を入学させなければいいではないか、というもっともらしい意見が出てくる。

 20年前ごろから規制緩和によって新設大学が急増し、既存の大学も学部の新設などによって学生定員を飛躍的に増加させてきた。こうしたことが進学率の増加に結びついてきた。だが、大学の新増設が過度に進み、近年、学生定員と受験者数の需給バランスが崩れてきた。進学率の上昇にもかかわらず少子化によって受験者数は頭打ちとなり、2009年には46.5%の私立大学、69.1%の短大が定員割れを起こした(2009年度の日本私立学校振興・共済事業団の調査による)。学生定員の確保は大学経営の根幹であるので、多くの大学の入学試験制度は、学力を問うことのない、選抜機能を伴わない無意味な制度と化してきた。入学者を選抜していたら学生を確保できずに財政的に破綻し、大学そのものが存続できなくなる。学生は大学を選ばなければいずれかの大学に入れる全入時代に突入した。それでも、受験生はより良い大学を目指しているので、受験競争がなくなることはない。

 大学の大衆化を一大学の問題としてではなく国家全体の問題として考えるならば、大学という名にふさわしい学力を持った学生の確保を第一義と考え、国全体の総定員数を抑制して大学進学率を低く抑えることも一つの案である。もちろんこういう策をとると、多くの大学や学部、学科がつぶれていく。

問われる教育の内実

 入学者の質の確保はそのまま卒業生の質の保証に直結する。これがこれまでの日本の卒業生の質を保証するシステムそのものであった。そこでは、大学の教育の内実はほとんど問われてこなかった。従来、大学はモラトリアムの期間であると揶揄(やゆ)されてきたが、大学関係者は暗にそれを認めてきた。それが野放しになり、社会から強い非難をこうむってこなかったのは、入学者の質が高かったことに依拠している。

 目を世界に転じると、戦乱にまみれている子供たちはテレビカメラに向かって、平和になったら学校に行って、医師・教師・エンジニアになりたい、と言っている。歴史をひも解くと、身分制社会から抜け出すためには、大学に行って自分が望む職業につくことが、貧しい人たちの希望だった。このように誰でもが入学できる大学の大衆化は、昔から望まれていたことである。それがまさに現代の日本で実現している。このような歴史認識の下に、私は大学の大衆化を肯定的に受け止め、積極的に評価したい。私は大学への進学率を低下させて大学をエリート段階に戻すような懐古趣味にくみすることはない。

 誤解のないように断っておかなければならないが、私は大衆化が含意する堕落や均質化にくみするものではないし、悪貨が良貨を駆逐することにも大いに反対する。それでも私は、大衆化が生み出すであろう多様性に基づいたダイナミズムを尊重し、それに期待するものである。本コラムでは学力の低い学生への対策を強調することになるが、この方策に併せて、これからの大学は優秀な学生をさらに伸ばしていくような教育システムや授業法を考えていく必要があることも付言しておく。このためには、国内外の大学間での交換留学の促進など、一つの大学でできないならば大学間連携によって新しい教育システムを作っていく必要がある。

 21世紀は知識基盤社会(knowledge-based society)であると唱えられている。この知識や知性を系統だって学ぶ社会的装置は学校であり、その最上位にあるのが大学である。大学は研究者や技術者などの創造的な生産者を生み出す使命を有するだけでなく、民主主義を高めていく良質な市民の育成に努める責務がある。21世紀に生きる市民はより良い社会を生み出すための知識と知性を必要とされる。こうした力を向上させるのも大学に期待されるところである。高度に専門化が進んだ学問の修得と同時に、21世紀の高度に文明化された市民になるためには、教育期間の延長は歴史の必然でさえあると思う。

 教育で身に付いたものは、金品とは違って、誰からも盗まれることはない。われわれの一生の財産となる。このように学生に無形の財産をたくさん持たせてやることが現代の大学に求められている。学生にとっても、大学の大衆化によって大学卒というだけで恩恵を受けられる時代は終わった。学生は卒業証書の他に自分の人生に役立つ力を大学時代に身につける必要があるし、かれらはそれを切望するようになっている。

学生の評価にもこたえる授業

 以上のような状況にあって、近年、大学の教員には教育への貢献が強く求められるようになってきた。しかし、教員が教育に多くの時間を割くようになったとしても、それに比例して教育や授業の質が向上することを保証してはくれない。そこで国は十数年前からFD(Faculty Development)を推進し、2008年にFDを義務化した。大まかに言うと、FDは大学教員の教育力向上のための組織的な取組である。つまり2008年から日本のすべての大学は教育改革や改善に取り組むことが義務となったのである。

 全国の大学で展開されているFDの主な活動には、1) 講演会、2) ワークショップ、3) 合宿セミナー、4) 学生による授業評価、5) 公開授業、6) 授業検討会などがある。FDは組織的であることを前提としているが、日常的な学生の教育の場である授業の改善は、個々の教員にゆだねられている。教員一人ひとりが授業改善に主体的にならなければ、FDは形式化され空洞化されていく。これまで研究者としてアイデンティティを確保し、誇りを持ってきた教員が教育に重心を移動していくことは、心理的にかなりきつい作業である。こうしてFDは教員からなかなか支持を得にくい構図となっている。

 しかし、FD以前から多くの教員が人知れず授業の改善に努めてきたこともまた事実である。それがこれまで組織の中に表出されることがなかっただけである。われわれは個々の教員に蓄積してきた授業法などを公開してもらい、それを組織的に共有化することがもっとも望ましいFDであると考えた。そこで山形大学では、peer reviewが教育改善を進めるための健全かつ望ましい装置であると考え、FDの理念を相互研鑽(さん)とした。こうした公開・共有化による切磋琢磨(せっさたくま)の改善システムは、大学の教員が実際に研究の場である学会などで行っていることと何ら変わりはない。

 山形大学では、ここ10年間、毎年、教員たちが合宿して互いが蓄積してきたノウハウを交換しながら授業設計や教授法のスキルを向上してきた(http://www.yamagata-u.ac.jp/gakumu/kaizen/ksite/)。すべての授業が学生によって評価され、それを授業改善に結び付けてきた。さらには他の教員に授業を参観してもらい、その後で授業の内容や方法について話し合ってきた。こうした教員間の切磋琢磨によって授業改善が進んで行くと同時に、大学で行われている授業の実態が組織として把握できるようになっていった。

 日本の大学は熾(し)烈な生き残り競争をしている。だが、一大学で教育改革や改善を進めていくのは非効率である。大学間で教育資産の公開・共有化を進め、切磋琢磨していくことが日本全体の教育力の向上に結びついていくし、国際競争にも立ち向かっていける。そこで、2004年に山形大学が中心となって山形県の国公私立の6つの大学・短大が連携して「地域ネットワークFD“樹氷”」を設立し、協同してFDを進めてきた。2008年にはこれを東日本全域に拡大し、国公私立の41大学・短大・高等専門学校(以下、高専と略す)からなる「FDネットワーク“つばさ”」を設立し、公開・共有化によるFDを推進している。

 こうした一連の流れの中で、冒頭に上げた授業改善のビデオ教材「あっとおどろく大学授業NG集」4大学の教員と連携して制作し、他大学の教員にも利用してもらうためにホームページ上で公開している。こうしたさまざまなFD活動が自大学だけでなく日本のひいては世界の高等教育の発展に資することを願っている。大学の教育改革は世界同時進行であり、世界の大学人は今日も教育改革に悪戦苦闘している。

teachingからlearningへ

 大学の教育改善は既存の授業の改善だけでは十分ではない。グローバル社会の到来によって、日本人が苦手とするコミュニケーション能力やプレゼンテーション能力を向上させていかなければならない。問題発見能力や問題解決能力の育成も社会から強く求められている。こうした能力の育成のためにも新しい授業を新設していく必要がある。教員はこれまではなかったアクティブ・ラーニングなどの新しい授業法を身につけることが望まれている。こうしたことも一教員の努力に任せておける状況にはなく、組織的に取り組んでいかなければならない。

 大学教育においてもっとも重要なことは、teachingからlearningへの転換である。つまり教授者中心から学習者中心への転換である。われわれが何を教えたかではなく、学生が何を身につけたかが問われる時代に変わったのだ。教員は教えたのだけれど多くの学生は理解できなかった、学生のレベルが低い、という言はもはや肯定されないのだ。こうした事態は学生側の責任ではなく、教員側の責任だというのである。意欲や学力が低いことを言い訳にはできない。大学はこうした学生を入学させているのだから。意欲がなければ意欲をつけさせ、基礎学力がなければ基礎学力を付けさせていかなければならない。泣き言を言っても始まらないのだ。teachingからlearningへの転換は深刻である。このことを教員が個人的に乗り越えることは難しい。teaching中心はこれまでずっと大学のパラダイムだったのだから。

 learning中心の困難さはその主体である若者の変容にもある。現代の成熟社会にあって若者は勉学の意欲や知的好奇心がかなり低下している。高度情報化社会の進展によって、リアルな社会からバーチャルな社会に比重を移し、若者は実体験が乏しくなってきている。

 研究の世界の住人であった大学教員が、新らたに重心を移すことが求められている教育の実態は過去のものとはかなり違ってきている。教育や学生の変貌(ぼう)に現代の大学教育改革の困難さの本質がある。ただ単に教員のエフォートを教育の方にシフトすれば解決するというものではない。

 FDによって大学の授業が画一化されるわけではない。大学の授業は多様であり、それが魅力である。FDは組織的と言いながら、個性的で魅力的な授業を推奨し、その手助けをしているのだ。研究が個人の活動であると同じように、教育も魅力的で献身的で個性的な教員の営みであるのだから、授業の中で新しいチャレンジをして行ってほしい。それが大学の魅力となるし、変化に対応する力の源泉ともなる。

 大学の大衆化を止めることはできない。それは歴史の必然であるとさえ私には思える。T型フォードの出現によって車が大衆化したように、コンピュータが一人一台の所有となったように、大衆化は産業を成長させ、経済を発展させてきた。大学はモノの大衆化に少し遅れて大衆化してきただけなのだ。この時代の先端にいて、大学大衆化には矛盾や負の側面があることも事実である。だが、それに積極的に立ち向かい解決していくことが、現代の大学人の使命であると私は考える。大学が自由を尊ぶ創造的な場である限り、21世紀においても大学が素晴らしい社会を作っていくための装置であり続けることを私は信じている。

山形大学 地域教育文化学部 教授 小田隆治 氏
小田隆治 氏
(おだ たかはる)

小田隆治(おだ たかはる) 氏のプロフィール
筑波大学大学院博士課程生物科学研究科修了(理学博士)。北里大学医学部助手、山形大学教養部助教授を経て2003年から現職。高等教育研究企画センター・企画マネジメント部門長を兼務。05-07年山形大学学長特別補佐。04-07年山形県の国公私立6大学・短大からなる大学間連携組織「地域ネットワークFD"樹氷"」の議長、08年から東日本地域の国公私立36大学等からなる大学間連携組織「FDネットワーク"つばさ"」の議長を務める。専門は、生物学、大学教育改革。著書に「生物学と生命観」(培風館)など。

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