【文理融合】の第2回は「歴史鳥類学」。理系の鳥類学と文系の歴史学を結びつけているのは、古文書や古典籍などの歴史資料だ。意外にも、鳥類に関する記録は少なくないという。主に江戸時代の文献からタンチョウを調査しているのが、北海道大学大学院文学研究院准教授の久井貴世さん。鳥類学と野生動物管理学の知見をベースに、歴史鳥類学を切り開いてきた。
江戸時代の「鶴」の正体と生態を探る
―歴史鳥類学とはどんな学問ですか。
歴史鳥類学は、鳥類を研究する手段として歴史資料を用いる学問と位置づけています。先人たちの残した記録を読み解き、歴史的な観点から鳥類の生態や分布を調査しています。過去の生息状況が分かれば、現在の野生鳥獣の保全にも役立つからです。
私は、主に江戸時代の文献から鶴(編注:歴史資料由来は鶴、生物そのものはツルと書き分けます)を研究しています。当時、武家のしきたりとして、訓練したタカ類に狩りをさせる鷹狩、その獲物などを贈り合う贈答儀礼がありました。そのため、幕府や諸藩の記録をめくっていると、鶴をはじめさまざまな鳥類が見つかるのです。ただ、獲物や贈答品としての鶴なので、情報は限られてしまいます。
生き物としての鶴が詳しく記録されているのは、博物誌です。例えば、江戸後期に刊行された『本草綱目啓蒙(ほんぞうこうもくけいもう)』にはツルを指すと考えられる名称が10以上記載されています。図は描かれていませんが、説明文をもとに5種までは同定できました。
―文章から鶴の同定ができるのですね。
同定の決め手となる特徴が書かれていれば、推測は可能です。『本草綱目啓蒙』には、羽や尾、脚などの色の記述があります。なので、その色をコンピューターで再現して、ツルの輪郭図を塗り、文字情報を視覚化しました。それから、再現図と実際のツルの色を比較したところ、「鶴」はタンチョウ、「白ヅル」はソデグロヅル、「鶬鶏(そうけい)」はマナヅル、「陽烏(ようう)」はナベヅル、「ア子(ネ)ハヅル」はアネハヅルと推定したのです。
「本の森」にこもって続けた調査
―歴史鳥類学を研究するきっかけは。
大学のときの恩師です。その先生は、野生動物管理の専門家として長らく北海道の野生動物に関わっていました。その経験から、歴史を知らずに適切な保全はできないと考えるようになったといいます。
あるとき、先生が懇意にしている郷土史家から紹介された古文書を読む機会がありました。といっても、全然読めませんでしたが……。幼稚園の頃から続けてきた書道の先生の助けを借りて解読したところ、それは明治27(1894)年の広島村(現在の北海道北広島市)の史料で、捕獲した鶴を宮中に献上したという内容でした。
釧路湿原など道東にしかいないと思っていたタンチョウが、明治期には札幌近郊にも生息していたという事実が非常に驚きでした。自分の住んでいる地域のごく近くにタンチョウがいたのかと。これは面白いと思い、歴史のなかの動物にも興味を持ちました。それまでは、いま生きている猛禽類、特にワシの研究をしてみたいと漠然と思っていたのです。当時はツルを意識したことがなくて、北海道にいながら野生のタンチョウを見に行ったこともないほど。でも、有名な鳥なのに歴史についてはほとんど研究されていないと知って、タンチョウに興味が湧きました。
当時は「北海道におけるタンチョウと人との関係史」をテーマに研究に取り組みました。しかし、「動物と人の関係史」研究自体がまだ珍しく、研究手法も確立されていません。初めはとにかく手探りで、先ほどの郷土史家をはじめ、博物館の学芸員や図書館の司書の方々にアドバイスや協力をいただきながら、動物の出てきそうな史料をひたすらめくって鶴を探しました。研究室の仲間たちが森で野生動物の調査をしている間、私は図書館という「本の森」にこもって鶴の調査を続けたのです。
いろいろな史料を見ていると、至るところで出くわすのが「塩鶴」。これは塩漬けにしたツルの肉で、江戸時代には本膳料理などの食材とされていました。現代では考えられない食文化に衝撃を受けつつ、その違いが面白くて、どんどん研究にはまっていきました。
鳥類の視点から人間との関わりを考える
―久井さんとは逆に、歴史学から歴史鳥類学を研究する方もいますか。
歴史学が専門で、近代の公文書や新聞などを使って野生生物の研究をしている研究者がいます。日本近代史に軸足を置き、カラスやキジのほか、ヒグマ、オオカミ、エゾシカなどを調査していて、研究対象を特定の動物に限定していません。私は、年代は限定せずに動物を限定しているので、対照的な方法ですね。
―その他に、鳥類学者と歴史学者の違いは。
目の付けどころが違うと感じます。動物の研究は、鳥類に限らず、種の同定なしには成り立ちません。なので、資料を具体的に解釈していく前提として、まずは種を同定する作業が重要です。ところが、歴史学や文化人類学の場合、同定をそれほど重要視しない場合も多いように思います。鶴と書いてあれば、それはあくまでも鶴であり、ツルの種は重要ではないようです。それは当然かもしれません。歴史学や文化人類学は、人間の営みを研究する学問ですから。あくまでも主体は人間であり、「動物に歴史はない」ともいわれます。
でも、歴史鳥類学では鳥類を主体に考えるように心がけています。「人間はタンチョウをどのように利用していたか」ではなく、「タンチョウは人間にどのように利用されていたか」という視点になるわけです。この視点の違いによって、史料の読み方が変わり、得られる情報も異なると思っています。また、鳥類学をはじめ動物学では、動物名はカタカナ表記です。そのルールに従い、歴史鳥類学でも同定できた鳥名はカタカナで書きます。
歴史、美術、鳥類生態学の専門家と共同で
―歴史鳥類学は、異分野の知見が融合しているのですね。
お互いの視点の違いを補い合うことで、新しい発見があると実感しています。2016年から20年にかけて、「日本列島における鷹・鷹場と環境に関する総合的研究」が行われました。日本史をはじめ経済史、美術史、民俗学、地理学などさまざまな分野の研究者による鷹狩の共同研究です。私は、狩られる側のツルの専門家としてお声がけいただきました。
その研究会での一例を挙げると——。ある史料に出てくる鶴は、表記の仕方からマナヅルと考えられると発表したところ、非常に驚かれました。鶴の種類までは気にしていなかった、鶴といえばなんとなくタンチョウを想像していたと言われたのです。でも、鷹狩に使われるオオタカの獲物としてタンチョウは大きすぎます。頑張って狙えるサイズは、ツルの中では小型のナベヅルか、もう少し大きなマナヅルです。
後日、研究会メンバーで釧路の現地調査をしたとき、タンチョウを見ました。異口同音に「鷹狩の獲物としては無理がある」と。鶴や鷹を文字としてではなく、動物として見る大切さを理解していただけました。逆に私は、史料の読み方など歴史学の手法を学ぶことが多いです。
また、別の勉強会では、学生たちのほか、歴史・文化の観点から動物を研究する仲間たちと一緒に江戸時代の鳥類図譜を読んでいます。このとき、鳥類生態学の専門家に入っていただきました。鳥類全般に詳しいうえに、日本の歴史や文化にも造詣が深く、文献に出てくる鳥類を現代の種として解釈するとき、的確なご意見をくださいます。
野生動物と歴史の連携強化、新研究会を発足へ
―歴史鳥類学の可能性は。
ひとつに、研究対象の幅はさらに広げることが可能です。私の研究室にはワシを研究している学生、シマフクロウやカラスを研究した院生もいます。私は鳥類を研究対象にしているので歴史“鳥類”学といっていますが、野生動物に関する歴史を研究するにあたっては対象を鳥類に限定する必要はありません。
ですので、ほかの分類群を対象にすることもできます。実際にクジラを研究対象にしている院生や、卒業生にはエゾシカを研究していた学生も。私の大学院時代の仲間にはエゾオオカミを研究している方もいます。このように少しずつ広がり始めている分野なので、先ほどのような内輪の勉強会とは別に、野生動物研究と歴史研究の連携を強化するべく、動物に関する歴史を対象とする研究会を発足しようと計画中です。
もうひとつは、歴史に限らず、いろいろな分野と連携できると考えています。鷹狩の研究会には美術史の専門家がいましたが、文献史料だけではなく、絵画を用いた鳥類の研究もできるかもしれません。あるいは、剥製標本や民俗資料などを用いた研究もできるはずです。
例えば、江戸時代の鷹狩では、ツルは重要な獲物でしたが、捕らえたツルの足を素材とした根付や刀の鞘が作られていたことがわかっています。文献で「鶴の根付」としか書かれていない場合には、種の同定はできません。でも、博物館に所蔵されている根付やツルの羽と現生のツルの標本を突き合わせて比較したり、DNA解析などを行ったりできれば、種がわかる可能性があります。