「グローバル人材」といえば、一昔前は世界を駆ける一握りのビジネスパーソンを表す言葉だった。しかし、21世紀も四半世紀が経とうとする現在、誰でも、どこからでも、インターネットを介してすぐ世界中とつながることができる。
誰もが地球規模でつながる時代だからこそ、国際的な視座に立ち課題解決をリードするグローバル人材は、日本の将来にとって極めて重要だ。そこで、長きにわたり大学教育の場でグローバル人材を育成し続けるお茶の水女子大学前学長の室伏きみ子名誉教授に、人材育成の現状や展望について聞いた。
開学以来、世界の風を取り入れてきた
―お茶の水女子大学におけるグローバル人材の育成は、どのような経緯で始まりましたか。
大きな契機は2004年の国立大学法人化です。各大学が特色を打ち出すために議論し、当時私も大学の理事や副学長として、多角的な議論を重ねていました。そこで打ち立てた方針が「グローバル女性リーダー育成」でした。
そもそも本学は、開学時から女性のグローバルな活躍を支援し続けてきた歴史があります。日本女性初の理学博士である保井コノさんや初の帝国大学女子学生である黒田チカさんなど多くの先輩が海外で学びを深め、その成果を日本に持ち帰ることで多くの学生を育ててきました。
さらにさかのぼると大学の前身、東京女子師範学校の附属高等女学校の設立理念にも「色々な国の人たちと交わりを持ち、文化や考え方を取り入れるべき」とあるくらいです。この“世界の風を取り入れる”という開学以来の方針を引き継ぎ発展させ、磨き上げようという話になりました。
また、世界各国で社会問題化しているさまざまな地球規模の課題に対して、私たちは何ができるのかも法人化に向けて議論しました。こうして法人化に際して「学ぶ意欲のあるすべての女性にとって、真摯な夢の実現の場として存在する」というミッションを掲げ、以来グローバルに活躍する女性リーダーを育成するための改革を進めてきたわけです。
相手を尊重し、一緒に行動できる姿勢を
―グローバル人材に必要な要素とはどういったものでしょう。
一番は多様性を理解し、国や年齢、さらには宗教や文化的背景の違う人と徹底的に話をして理解し合えることです。語学力も大事ですが、それは後からついてきます。互いの違いを理解した上で、相手を尊重し、共に行動できる姿勢を持つことがグローバルな人材に必要だと思っています。
例えば本学では、法人化以前からジェンダー教育を1つの柱としています。これはジェンダー・イクオリティ(男女の平等性)の実現を目的としていますが、同時に性の多様性について考えることも重要です。2018年にトランスジェンダーの学生受け入れを発表しましたが、その時も学内で反対する人はいませんでした。このような多様な人や考えを大事にする姿勢が身につく教育を、高く評価していただきたいと思っています。
―多様性を知るには留学も大きな手段ですが、昨今は留学を希望する学生が少なくなったと聞きます。お茶の水女子大学の状況は。
確かに近年、そのように見聞きします。しかし、本学入学後に開く留学説明会では、約7割の学生が留学を希望します。国立大学では東京外国語大学に次いで2位の海外留学率です。
留学率の高さは、海外に出て自分の可能性を探りたい、多様な人や価値観と触れ合いたいという強い思いや、それを具体化しようとする意欲の表れだと思います。学生の気持ちを大学が後押しすれば、おそらく他の学生たちも続くでしょう。もし学生の不安を挙げるならば帰国後の進路でしょうか。この不安に対しては、海外での学びや経験をプラスに評価し、むしろインセンティブと考えるような社会的環境を作らねばなりませんね。
自信につながるロールモデルを増やす
―グローバル人材の育成に向けて、具体的にはどのような取り組みを行ったのですか。
まず取り組んだことは、進路のロールモデルを作ることです。私が教授になった25年前の本学の女性教授数は全体の1割強でしたが、今は4割に迫ります。昨今の教員公募では多くの優秀な候補者からふるい落とさざるを得ないのですが、人事選考委員の方々に「最終候補に必ず女性を1人は残してほしい」とお願いしています。大学理事など役職者についても、男性ばかりで女性はわずかという状況が続いていました。そこで私が学長になった6年前、思い切って半分を女性にしました。
大学の女性教職員や企業で働く先輩には、結婚や出産を経験している人も多くいます。学生がキャリアパスと大きなライフイベントとの関わりについて悩む時、身近にロールモデルとなる人が増えたなら、将来の理想像を具体的に見通すことができます。「ああいう風になりたい、なれるのだ」と思えること、自信を持つことが大切です。
学生の経済的な格差や不安の軽減も重要です。奨学金は、通常の就学支援だけでなく、海外での学会発表や留学、海外からの学生支援なども充実させています。この資金には同窓会や企業によるご寄付が生かされています。
昨今のコロナ禍において、在学生の心が下を向いてしまわないよう、大学側による働きかけは大切です。ご実家や本人の経済状況が芳しくない場合、今のところ希望者全員を十分まかなえるだけの支援金が用意できています。自分ではどうにもできない理由で大学を辞めたなら人生が大きく変わってしまいます。学生には「いつでも相談に来てね」と伝えています。
博士課程人材=未来の国を支えるリーダー
―取り組みを続けてきた中で、大学や社会の変化を実感しますか。
変化はしていますが、スピードが遅すぎます。20年ほど前に日本学術会議で活動を始めた頃、海外の大学や学術会議に相当する組織、さらには文部科学省に相当する機関を訪れ調査しました。すると、その頃から多くの国が博士人材育成や大学の研究力向上に注力していたんです。国を背負う将来のリーダーを育てるため、性別を問わず能力の高い学生をどんどん集めて、手厚い経済的支援とリーダー育成のためのトレーニングを実施していました。素晴らしいと思いましたね。
日本では予算の関係もあってか、大学や博士後期課程の学生への経済的支援が海外と比べてまだ少ないです。ここには(大学に対する)寄付の問題もあるでしょう。十数年前にスタンフォード大学を訪問した際、多くの日本企業から寄付を受けていることに驚きました。一方、国内の大学に対する日本企業の寄付を調べると、足元にも及ばない規模でした。
博士課程人材の育成は「未来の国を支えるリーダーを育てる」ことだと、海外でははっきり社会に受け止められています。ですから学生は手厚い支援によって研究に専念でき、育成された人材は社会に対して責任を果たす構図ができ上がっています。日本の社会では、博士課程人材が社会の発展や課題解決のため先頭に立ち頑張る人だという意識がまだ薄いのではないでしょうか。日本はかなり遅れてしまっていると思います。
大学は、もっと外に開くべき
―日本の現状における課題に対して、特に力を入れている取り組みは。
国内のグローバル企業にお勤めの方々からいろいろな課題を提示いただき、大学院生や大学教員と一緒に解決を図る場を作り始めました。今はまだ大々的ではないのですが、少しずつ取り組みを増やしています。
また個々の企業にお願いして、博士後期課程学生をインターンシップさせていただく取り組みも進めています。その効果は、職業体験を通じて社会に必要とされるという自己肯定感を得ると同時に、社会から対価をもらうだけの働きをする覚悟ができる点にあると思うのです。
博士後期課程の学生は大学に囲い込むのではなく、いろいろな人や組織が連携する中でピカピカに磨き上げればよいですよね。お茶の水女子大学を背負って立つ皆さんに、ぜひ続けていただきたいと思っています。
―最後に、先生が描く理想の未来像とは、どういうものでしょうか。
グローバル人材とは、地球規模の課題や問題を見つけ出し、既存の枠にとらわれずに自分を外へと拡張して解決に向けて取り組める人材だと思います。学びも研究もオープンに協力し合い、互いの得意を寄せ集めるような形で支え合えば、グローバル人材がどんどん育つだろうと思っています。
欧州には、さまざまな大学間で学べる「エラスムス計画」があります。日本でも筑波大学が「キャンパス・イン・キャンパス構想」を打ち出し、海外の大学との間で学びを深化させています。とても良い取り組みだと思います。大学は既存の枠にとらわれず、もっと外に開くべきです。ゆくゆくは、国内外の大学や企業との連携・協力のもと、社会とともにグローバル人材を育成できるようになることでしょう。