日本は大学の研究者が減少し、世界の中でイノベーション力が弱まっているのではないかと指摘されている。そうした問題の解決策を考え、共有する場として、「ベンチャー」「インキュベーション」をテーマにした学術フォーラムが10月10日、日本学術会議が主催して開かれた。貴重な体験、実感が伝わる講演や、産官学のさまざまな立場のパネリストによる討論会が行われ、熱いやり取りが続いた。
開会のあいさつは日本学術会議会長・京都大学総長の山極壽一さん。イノベーション力が低下したと言われる現在、産業界と学界が一緒になって世界をけん引するためにどのようなサポートをすべきかを考える機会にしたいと述べ、この日のフォーラムに期待を寄せた。
続いて日本学術会議副会長で科学技術振興機構(JST)副理事の渡辺美代子さんは、この学術フォーラム開催の経緯や位置付けなどを説明した。
日本学術会議は「科学と社会委員会」の下に「政府・産業界連携分科会」を設けている。そこでの議論を基に昨年11月、「産学共創の視点から見た大学のあり方—2025年までに達成する知識集約型社会—」と題して4つの提言をまとめた。その後経団連・学術会議共同シンポジウムが今年3月に経団連会館で開かれた。学術会議のシンポジウムを経団連会館で開催したことは極めて珍しい、と渡辺さん。今年5月には人材育成をテーマに学術フォーラムが開かれた。そこでは「若者がどれだけこれからの社会に新しい事業を打って出るかが大事」であることを共有した。今回は大学発ベンチャーに焦点を当てた議論がなされることになった。
大学発ベンチャーには大学のサポートシステムが重要
講演は、最初に東京大学総長の五神真さんが登壇した。五神さんによると、これまでの社会は資本集約型で、例えば性能が良くて格好がいい車は非常に価値があり、それを所有したいから経済が回る。一方で知識集約型はそれをどう使うかというビジネスモデル自体に経済的価値があり、特にここ数年大きく社会を変えた要因の一つは第三次AIブームだという。そして「知恵が価値を生み、個を生かす」ような「良い未来社会になる」ことがこれから議論になっていくだろうと述べた。
五神さんはまた、良い未来社会を勝ち取るためには「科学技術イノベーション」「社会システム」「経済メカニズム」の3つがリンクされたかたちで議論できる場所が必要で、それが大学であると指摘。「大企業やベンチャーとの連携を戦略的に進めていくことが重要だ」と指摘している。
大学の優秀な学生が社会課題解決のためにベンチャーを起こす場合、五神さんによると、大学のサポートシステムが極めて重要という。東京大学では成功モデルとなっているベンチャーキャピタル(ベンチャー企業投資会社)のUTEC(ユーテック;東京大学エッジキャピタル)などがあり、東大発ベンチャーは今や330社を超え、上場は17社、そして上位5社の時価総額は1兆1千億円に上るという。
ビジネスエコシステムに重要な3本柱
次に登壇したのは筑波大学准教授でピクシーダストテクノロジーズ(株)代表取締役CEOの落合陽一さん。落合さんは2011年に筑波大学情報学群を卒業後、メディアアーティストとしても活動している。2015年に東京大学大学院学際情報学府を修了し、ピクシーダストテクノロジーズを設立。2017年からJSTの戦略的創造研究推進事業(CREST)の研究代表者を務めている。2017年から2年程は筑波大学の学長補佐としても大学運営に携わった。
研究者、起業家、メディアアーティスト、学長補佐などさまざまな経験や経歴を持つ落合さん。旧来のアカデミックキャリアではないキャリアの成功者を何人輩出できるかが、大学のエコシステムを考える上ではすごく重要だという。博士課程から教授へと昇進していくアカデミックの王道といえるキャリアではなく、アカデミックを巻き込みながらキャリアを積む具体例をたくさん集めるべきだ、と落合さんは主張する。自らその具体例をつくろうとしているようだ。
落合さんは、自分が代表取締役CEOを務めるピクシーズダストテクノロジーズと筑波大学が結んでいる産学連携システムを紹介した。大学と会社の利益相反の問題があったために一度筑波大学を辞め、企業の共同研究者として会社から大学に教員として送り込む形をとったという。そのことにより、大学が持っていたIP(知的財産権)が会社に移され、その代わり、大学にはストックオプション(経営者や従業員が自社株を一定の行使価格で購入できる権利)が付与されるようになった。会社は資金が調達でき、大学は知財の代わりに株が取得できる。大学は将来、株の評価額が上がると、その分の利益が得られるという利点があるという。
落合さんが自ら設立した会社の特徴として紹介したのは「発明と改善の過程のすべてをビジネスエコシステムに変える」という会社のモットーだ。これを実現させるためには、大学の研究室と連携しながら新しいものを作っていく「リサーチ機能」、それを製品にしていく「開発機能」、製品を消費者のニーズに合わせて素早く市場に乗せる「事業開発機能」の3本柱をしっかり作ることが重要と落合さんは強調している。
日本の優秀な人材が安心して起業できるようにする
シリアルアントレプレナーの久能祐子さんが最後に登壇した。久能さんは、現在は京都大学経営管理大学院特命教授兼総長学事補佐も務めている。シリアルアントレプレナーとは連続して何度も事業を立ち上げる起業家のこと。
久能さんは1989年に(株)アールテック・ウエノ(日本)、1996年にスキャンポ・ファーマシューティカルズ社(米国)を医薬発明家の上野隆司さんと共同創業して新薬開発を行った。その新薬は非常にいい薬だという自負はありながらも「せいぜい10億人しか対象にはならない。80億人に届く医療をしたい」と、ワクチンを開発するための創薬ベンチャー、VLP Therapeutics社(米国)を共同創業したという。
その後、米国でハルシオン・インキュベーター、そしてウィキャピタルを設立した。ウィキャピタルの設立の動機は、ベンチャーを立ち上げたい起業家の男女比はほぼ半々なのに、なぜか資金の99パーセントは男性起業家のほうへ流れることに疑問を抱いたことだという。調査して得られた答えは、「投資する側もダイバース(多様)でなければいくら頑張ってもだめだ」。こうした思いを基に設立したのが女性投資家を育てるためのウィキャピタルだった。
久能さんは2017年に日本に23年ぶりに帰国した時、イノベーションを生む日本型モデルはないかと考えた。日本にいる優秀な人材が安心して起業できるようにと考えて創業に携わったインキュベーターが(株)フェニクシーだ。ここにはイノベーションを起こすために大事な「自分で考え、自分で決めて、自分でやって、自分で結果を認める」の4つができる空間、「toberu(トベル)」が用意されているという。
これまでアントレプレナーとしてさまざまな取り組みを行ってきた久能さん。最後に未来へ向けてのメッセージを披露した。「2050年は誰も知らない世界で何が起こるのか分からないが日本にはいろいろな課題もあるし、いろいろな考え方で世界に貢献できるところもある。キーワードは『今、日本は、世界のフロンティアになる』」。
産学官がどのように連携していくのかが今後の課題
学術フォーラムの後半は「ベンチャー・インキュベーションはいかにして生み出されるか」をテーマに、パネル討論が行われた。産官学のうち産からはベンチャーを立ち上げた(株)Preferred Networks代表取締役CEOの西川徹さん、ウォンテッドリー(株)代表取締役CEOの仲暁子さんが登壇。官からは文部科学省文部科学審議官の芦立訓さんと経済産業省産業技術環境局長の飯田祐二さん、そして学からは大阪大学教授の小林傳司さんが登壇した。ファシリテーターはANAホールディングス(株)社外取締役等の小林いずみさんが務めた。
起業に必要なものの一つに資金がある。経済産業省のベンチャー政策としては、スタートアップ企業の育成支援プログラム「J-Startup」などがあり、税制の面でも、ベンチャー企業に投資した個人投資家に対する税制上の優遇措置としてのエンジェル税制などがある。飯田さんは、「(国は)ベンチャーを一生懸命応援する仕組みを設けている。(研究開発面で)大学に期待するところは大変大きい」と述べた。
西川さんは、大学時代にスーパーコンピューター(スパコン)を作るプロジェクトに参加し、それがきっかけで、スパコンを作る夢を叶えるために起業したという。起業した理由は、夢を叶えるために必要なお金を作ることだった。「コンピューターを作る予算はだんだん膨れてくるんですね。そうすると計画の変更を余儀なくされる。例えば、20億円を何とか手に入れたいと考えると、そのために一番早い方法は会社を作って大きくすることだと思って起業することでした」。
西川さんの大学時代の指導教官でスパコンのプロジェクトを手掛けた平木敬さんは、現在は西川さんの会社の社員として働いている。大学で研究してきた平木さんの「知と技術」が産業界で生かされているというわけだ。西川さんは「産学官の連携がうまくいったといえる」。自身の起業をそう評価している。
一方、仲さんは官の資金を利用しなかった。事務処理の煩雑さのためだという。「事務処理はかなり大変でそのために1人雇わなくてはならない」。仲さんはインターネットベンチャーを起業した。自分が知りたいことを検索する時代から自分が共感する情報が拡散されていく時代に移り、情報伝達の力学が大きく変化したことに大きな影響を受けてインターネットベンチャーのビジネスをやりたいと思った。ビジネスをやっていく中で、「ヒト、モノ、カネ」のうち一番足りないのは「ヒト」だそうだ。仲さんは「コンピューターサイエンスのエンジニアの供給は本当に少ない」と供給と技術力の両方の人材育成を大学に期待している。
大学側の視点として小林傳司さんは、「目指す先に何があるか分からなくても、とにかく(前を向いて)突っ込んでいくような精神力を持つ人間は一定程度いるが、現代ではそのような学生は減っているのではないか。そういう学生に対して大学は何ができるか、あらためて考える必要がある」と指摘した。芦立さんは、これからの日本は人口減少の問題もあるため海外から優秀な人材を獲得することも視野に入れていくべきだ、としている。
産学官の取り組みはそれぞれに充実していても、どのように連携していくかが今後の課題になりそうだ。小林さんは「大学で何が行われているかを示す工夫が必要で、産業界向けにどこの研究科がどのようなテーマで研究しているのかがすぐに分かるような仕組みを準備すべきだ」。飯田さんもこの指摘に賛同しつつ「企業からも探しに行きましょう」と述べていた。
最後にこの学術フォーラムを企画した経団連イノベーション委員会産学連携推進部会長・JXリサーチ(株)代表取締役社長の五十嵐仁一さんは次のように語り締めくくった。
「産業界も大学も、そして今日のベンチャーもそれぞれ違うことをやっている。だからこそ連携もできるし、違うものを持ち寄って新しいことも創造できる。同じことをやっていたら幅がどんどん狭くなっていく。われわれは今そういうことを真剣に考えるべきだ」。
(サイエンスライター 早野富美)