インタビュー

第4回「物理の履修率上げないと」(西村和雄 氏 / 京都大学 経済研究所長)

2010.03.26

西村和雄 氏 / 京都大学 経済研究所長

「基礎学力低下防ぐために」

西村和雄 氏
西村和雄 氏

10年前『分数ができない大学生』という本が社会に大きな衝撃を与えた。編著者でその後も基礎学力低下が招く深刻な影響に警鐘を鳴らし続けてきた西村和雄氏(現・京都大学経済研究所長)が、小学生の学力向上、モラル向上活動にも取り組んでいる。高校生、大学生への対応では手遅れと考えたのだろうか。1月に「京都からの提言 これからの社会のために-子どもを導く切り札」というシンポジウムを東京で開催した氏に現状と取り組みを聴いた。

―先日、東京で開催されたシンポジウム「京都からの提言 これからの社会のために-子どもを導く切り札-」を傍聴させていただいたところ、先生がこれからやろうとされているのは基礎教育に限らず、もっと広いところを見据えておられるように感じましたが。

算数・数学だけを勉強するようになっても駄目なんです。理系の学生の母集団をもっと大きくしないといけません。文系に比べ理系がすごく小さくなっています。それも、理系の学生の学力が低下する大きな理由になっているのです。ですから高校の理科の履修率を上げることが必要です。昔は全科目勉強していましたから、いつでも文科から理科へ転向できたんです。今は理科を勉強しない大量の学生が存在します。特に物理は履修率が10%ぐらいでしょう。これを上げていかなければなりません。どうやって理科の履修率を上げるか、それが重要な課題です。

―相手は学校ですから、これは容易でなさそうですね。

やはり政策的に何か考えなければ駄目です。こんなことをやっていたら日本はおしまいです。問題はいくつか残っていますが、まず小学1、2年生の生活科を何とかしないといけません。生活科というのがある以上は、1、2年生のときに理科を学ばないのですから、理科のカリキュラムを良くしようとしても限界があります。

もう1つ、子供のモラルの問題ですが、教育改革が行われる原因には、いじめ、校内暴力、家庭内暴力というのが進行してきたということがあると思います。何とかして子供のモラルをもう少し改善するような方向づけが必要です。ところが、いくら道徳の時間を増やし、補助教材をつくっても子供のモラルはどんどん低下していって止まりません。ということは、いくら時間を増やしても効果がないということです。

勉強しすぎるからで勉強量を減らせばいい。これは逆で勉強しなくなったら、もっとひどくなります。まず学力低下を止めないことには、モラルの低下は止まりません。学力低下を止めることが先です。

モラルはその次なのですが、例えば宗教心がないから駄目、愛国心がないから駄目だと言っても、結局、特定の宗教心をこれから植えつけることは、国民全員に対してはできることではありません。愛国心はある意味では重要だと思いますが、愛国心を右の立場から言ったら左は反対するし、国民のコンセンサスを得られません。これもやっぱり駄目だということになります。

でも、本来はモラルというのはそういう問題じゃないと思うのです。すべての人間が同意するようなものがあるはずです。当たり前のことができないからモラルが低下しているのであって、決して特別なことじゃないと思います。

しかも、基礎学力や言葉を覚えるのと同様、基本的なモラルというのは子供のうちに覚えているから、それが働き出すのであって、小学校高学年、中学で道徳の時間を設けて、そこで身につけられるものとは、また別のことです。考えてやっとできるようなことというのも大切ですが、基本的なモラルとはそれとは違います。すべての人間が同意できるような当たり前のこと、昔はみんなが言っていたことです。

―よりよい社会を築くために、4つのマナー「人に親切にする」「うそをつかない」「法を犯さない」「勉強をする」を守ることを子どもたちに呼びかけておられますね。

やらなければいけないこと2つと、やってはいけないこと2つで、たった4つですけれども、それを実行するのは難しいです。子供はそんなことは守れないだろうけれど、少なくともそれを繰り返し聞いたことがあるということが重要なのです。それをだれもが言わなくなっているということが問題だと思うのです。マスコミ報道でも、そういったことをあまり言わなくなっています。小さな子供たちが聞いて、どこか記憶に残っている。何かのときに、それが1つの物差しになるということが重要なのです。

―活動に助成金でも出ているのですか。

『分数ができない大学生』のときもそうですけど、お金はどこからもほとんど出ていません。それから主体となる団体もありません。

ある財団に、前から道徳に関する委員会をやってくれと言われており、そういう委員会ができているというようには書いてはいますが、実際はボランティア的に集まっている人たちです。NPOもできていますが、つくりたいという人がつくっただけで私たちがつくったわけではありません。ただ、今度のシンポジウムは文部科学省も後援してくれましたし、これまで京都府や京都市の教育委員会も協力してくれていますので、後援はだんだん広げていけると思っております。

われわれの始めた自学自習の教科書『学ぼう!算数』についても、文部科学省の上の人から、次期指導要領案の作成にあたって、「随分参考にさせていただきました」と言われました。ずっと続けていけばだんだん分かってくれるのでは、と思っています。実際、今度の新しい指導要領の算数のカリキュラムは、われわれの提案したものとかなり似ているのです。

―理科はまだ教科書をつくるところまで行っていないのですか。

問題は理科です。特に物理の履修率が低すぎます。仮にだれもが数学を習い、しかし物理はだれも習わなかったら、日本の技術、経済はどうしようもなくなります。でも、現実はそれに近いのです。恐らく物理Ⅱまでやっている高校生は10%以下です。われわれが高校生のころはマスターはしてしていなくても物理の履修率は95%でした。最近、米国の学会に行っても、アジアの学会でも、とにかく中国人の若い研究者が非常に優秀だという声を聞きます。日本人はさっぱり登場しません。米国の複雑系の学会に出たのですが、たくさんの若い研究者は中国人と少数の米国人ばかりで日本人はゼロでした。 韓国はほとんどの学生が物理を勉強しています。シンガポールも、中国も同様です。大体、人口が減少しているのに10%しか勉強していなかったら、何をやっても無駄です。もっと理科を学ぶ母集団を底上げして母集団を大きくすることで、エリートをもっとよくすることが必要です。もう一度、とにかく物理の履修率を上げる政策をとらないと、日本の将来はないと思います。

(完)

西村和雄 氏
(にしむら かずお)
西村和雄 氏
(にしむら かずお)

西村和雄 (にしむら かずお)氏のプロフィール
札幌市立旭丘高校卒、1970年東京大学農学部卒、72年東京大学農学部大学院修士課程修了、76年ロチェスター大学大学院経済学研究科博士課程修了、ダルハウジー大学経済学部助教授、78年東京都立大学経済学部助教授。ニューヨーク州立大学経済学部客員助教授、南カリフォルニア大学経済学部客員准教授なども経て87年京都大学経済研究所 教授、2006年から現職。国際教育学会会長、日本経済学教育協会会長も。2000-2001年日本経済学会会長。NPO日本経済学協会会長、NPO Sustainable Fellowship International理事長、NPO これからの教育を考える会理事 。『学力低下と新指導要領』(岩波書店)『「本当の生きる力」を与える教育とは』(日本経済新聞社)、『ゆとりを奪った「ゆとり教育」』(日本経済新聞社)『学力低下が国を滅ぼす』(日本経済新聞社)『子どもの学力を回復する』(共著、数研出版)『学ぼう!算数』(共著、数研出版)など著書多数。

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