「オーダーメイドがん治療目指し」
がんの治療法は年々、進歩している。しかし、一方では抗がん剤が全く効かなくなり、大病院からも見放された患者の数もまた増えている。「がん難民」とも呼ばれるこうした患者たちに希望を与えることはできないのだろうか。がん細胞をつくる遺伝子を見つけ、それをもとに治療薬を開発する努力を続ける中村祐輔・東京大学医科学研究所ヒトゲノム解析センター長に新しいがん治療薬開発の見通しや、開発を妨げている問題点を聞いた。
―先生のこれまでの研究歴を拝見しますと、がんペプチドワクチンなど現在の主要ターゲットに至るまでにさまざまなことに挑戦されておられますね。
話せば長くなりますが、もともと私はがんの臨床外科医として働いていました。患者の半分ぐらいは手術をしても再発し、亡くなられてしまいます。何の治療法もない患者さん、あるいは副作用に苦しんでいる患者さんの治療にずっと携わっているうちにいろいろな疑問が当然わいてきます。なぜがんができるのか、なぜある人はあっという間にがんが広がってしまうのか。薬が効く人、効かない人。とんでもなく強い副作用に苦しまれる患者さんや命を奪われてしまう患者さん。非常に若くしてがんになり、婚約者、あるいは小さい子供を残して旅立っていかれる患者さん…。こうした人たちを診ているうちに、がんの根本的な原因の解明に挑む気持ちが強くなり、きっかけとして遺伝するがんの原因を見つけたい、と考えました。そこを突破口に新しい診断法、治療法が開発できればと思って留学して、この分野にかかわるようになったわけです。
ですから、研究を始めてからの十数年は、がんを抑える遺伝子を中心に研究していたのですが、診断には使えても治療に応用することが難しいことが分かってきました。がん遺伝子、要するに細胞を積極的に分裂させる役割を果たしている遺伝子がつくるタンパク質を標的に薬をつくりたいと、十数年前から方向転換を図りました。ヒトの遺伝子、ゲノムを全部調べて、がん化、要するにがん細胞をつくるのに決定的な役割を果たしている遺伝子を見つけて、それを基に薬をつくろうとしてきたわけです。
ただ無差別に標的を選んでも副作用が出ますから、副作用が出ないような薬をつくるためには、がん細胞で特別に働いている遺伝子を見つけることが重要だと考えました。がんペプチドワクチンがその出口の一つですけれども、ワクチン以外にも、いわゆる飲み薬、低分子化合物などの治療薬のスクリーニング(選別)も行っています。それらの一つである抗体薬は、早ければ来年の初めぐらいには実際に患者さんを対象に治験ができることを目指しています。
―先生が書かれたもの中に「がん難民」という言葉が出てきますが、数少ない抗がん剤が効かなくなってしまって、医療機関から見捨てられた患者がたくさんいるということなんですか。
東大病院の放射線科のグループが行ったアンケート結果ですと、末期がんと言われた人でも80%の人たちは最後まで治療を受けたいと思っています。これに対して最後まで治療法を提供したいと思っている医師は20%しかいません。この意識ギャップというのは大変、大きいのです。われわれのところにたくさん電話がかかってきます。私の夫、私の子供、私の家内・主人を何とかしてほしい、という切実な訴えです。そういう気持ちの人が国内に何十万人もいるのに何も手を打とうとしない国というのは、医療政策からみれば3等国、4等国です。
こうした「がん難民」を減らす対策は2つあると思います。1つは、新しい治療法を試みる機会をたくさん提供することです。やはり希望なく死ぬのを待つというのは、人間にとってすごくつらいことです。緩和ケアなど、心安らかに死を待ちなさいというのが、患者さんや家族の気持ちを本当に満たしているとは思えません。たとえ1%のチャンスでも希望をもって生きられる環境を国としてつくることが重要です。
だから、われわれはワクチンを含めていろいろな抗がん剤をつくりたい、と努力しているのです。わずかな希望をつないでいる患者さんの中に、一定の割合ですけれども、非常に延命効果のある可能性のある人が実際にいるわけですから。
がん難民対策のもう1つは、がんを再発させない、ということです。再発させないという観点からは、ワクチンはとてもよい治療薬になると思います。抗がん剤に比べれば、はるかに副作用は軽いわけですし、今、何らかの治療を受けても2人に1人程度は再発しているわけですから。今、日本だけでも年に60-70万人ががんと診断され、約34万人、すなわち1日に1、000人弱の方ががんで亡くなっています。仮にその3分の1の再発を減らせても、数万人から10万人の単位で患者さんを再発とその後の苦痛から救うことができるわけです。
(続く)
中村祐輔 (なかむら ゆうすけ)氏のプロフィール
1971年大阪府立天王寺高校卒、77年大阪大学医学部卒、大阪大学医学部付属病院第2外科、大阪大学医学部付属分子遺伝学教室を経て、84年米ユタ大学ハワード・ヒューズ医学研究所研究員、87年ユタ大学人類遺伝学助教授、89年癌研究会癌研究所生化学部部長、94年東京大学医科学研究所分子病態研究施設教授、95年から現職。2005年から理化学研究所ゲノム医科学研究センター長を兼務。ブルガリア科学アカデミー会員。大規模DNAシークエンシングを行うシステムを構築し、疾患関連遺伝子の存在する領域を中心に年間3-400万塩基配列を決定し、がん、遺伝性疾患、循環器疾患、骨系統疾患、代謝異常などの発症あるいは増悪に関係する遺伝子の同定なども行っている。著書に「がんペプチドワクチン療法」(中山書店)、「これからのゲノム医療を知る―遺伝子の基本から分子標的薬、オーダーメイド医療まで」(羊土社)、「ゲノム医学からゲノム医療へ -イラストでみるオーダーメイド医療の実際と創薬開発の新戦略」(羊土社)など。