インタビュー

第1回「教科書は世界の最低レベル」(滝川洋二 氏 / NPO法人理科カリキュラムを考える会 理事長、東京大学 特任教授)

2008.06.02

滝川洋二 氏 / NPO法人理科カリキュラムを考える会 理事長、東京大学 特任教授

「望ましい理科教育とは」

滝川洋二 氏
滝川洋二 氏

昨年12月に公表された経済協力開発機構(OECD)の国際的な学力調査(PISA)結果から、日本の高校生の学力、特に応用力が低下していることが明らかになった。教育再生会議(1月に最終報告者)も理科教育は英語と並び抜本的な改革が必要と提言、中央教育審議会もまた、理数系と英語の授業日数増を提言している(昨年10月)。日本人の科学技術に対する関心の低さに危機感を持つ日本学術会議も3月「日本人が身に付けるべき科学技術の基礎的素養に関する調査研究」(科学技術の智プロジェクト)最終報告書を公表した。文部科学省は同じく3月、9年ぶりに見直した小中学校の学習指導要領を公表、理科教育重視の姿勢を示している。これらの動きとその影響について教育現場はどう見ているのか。理科教育改善に長年取り組んでいる元高校教師で現在、NPO法人理科カリキュラムを考える会理事長などを務める滝川洋二・東京大学特任教授に聞いた。

―新しい学習指導要領で、理科教育は改善されるのでしょうか。

理科カリキュラムを考える会で世界中の理科教科書を比較する仕事をしています。新しい学習指導要領の前、つまり今使われている学習指導要領ですが、これは世界中の教科書のミニマム(最低レベル)なのです。教える内容をこれほど削った教科書はないというほどです。新しい指導要領でも、よく授業日数を増やしたものだとは思いますが、いまだ世界の最低レベルに変わりありません。

それぞれの国の教科書はもっといろいろな特徴を持っているのです。例えば英国ですと、科学リテラシーを持つ市民になるための教育をかなり重視しています。日本でいうと中学3年と高校1年、ここまでが義務教育なのですが、科学リテラシーを持つ市民になるための教育という視点で教科書が構成されています。ナショナルカリキュラムがそうなっているのです。日本はそうした視点より、どちらかというと昔ながらの学問のベースになるというところだけを取り扱っているのですね。

例えば、プラスチック、高分子といった中身は、実は生活の中でたくさん接するわけです。日本では高校の3年、「化学Ⅱ」にならないと扱われません。生活に非常にかかわっているにもかかわらずです。概念としてちょっと難しいから、これは無理としています。しかし難しいから教えないか、それとも社会にとって必要なものだから教えるか、は教育をする人が判断すべきです。日本ではここが十分に行われてなく、新しい指導要領でも対応できていません。

英国では、コースワークというのがあり、理科だと探求実験というのがそれに当たります。指示通りの実験をするのではなく、自分で考えて実験をしてデータをとり、そのデータが意味があるかをしっかりと考えてレポートを作り上げる。こうしたことを中学で全員がやり、高校でも理科系はしっかりやることで、大学進学時の評価が決まるのです。

日本では、物理だと高校3年で学ぶ物理Ⅱに課題研究がありますが、大学入試で全く評価されないのでほとんど実施されていません。学習指導要領を変えるのと同時に、教育の方向を皆で共有していくことをしないと文字面を変えてもできないということになってしまいます。探求しろと言われても、学校の先生にしてみれば今まで時間もなかったし、実験材料もないわけですから。日本の公立中学の状況は厳しく、理科の予算は都内の中学で1校年間5万円というのが現実です。これでは子どもに工夫を求めるという以前に、実験そのものができません。

―この理科予算では、英国のようになるのはすぐには無理ということは、よく分かります(笑い)。教科書に盛り込まれているレベルについてもう少しうかがえますか。

どこの国でも熱についてはかなり丁寧に教えています。地球温暖化を防ぐためにも基礎的な知識ですから。熱とは何か、熱はどうやって伝わるか。熱が伝わるのをどうやって防ぐことができるか、など中学までにかなり丁寧に学ばせます。今度の指導要領改定でも、小学4年で「温度と熱」が今まで通り行われます。しかし、そこで教えるのは、熱が伝わるのは対流・伝導があるから。その対流が起きるのは膨張して軽くなるためというくらいです。熱の伝わり方には放射もあることや、どうやって断熱するか、などは含まれていません。1990年代の英国で、熱の授業に熱心に取り組んでいた中学の先生は、地球環境を日常生活でまもる市民を育てるのだと力説していました。日本の中学で熱は全く扱わないという実態は、今回の指導要領改定によっても変わりません。世界基準に近づくのはまだまだです。

フィンランドは、OECD学力調査(PISA)結果などでも非常によい成績を上げている国としてよく例に引かれますが、授業の時間は多くないではないかという指摘があります。しかし、中学生の理科の授業時間は多いのです。日本が新しい指導要領で増やしたと言っても追いつきません。

これから大事なことは、先生をどのように支援できるか、だと思います。教える人の力がつけば、いろいろ工夫もしてくれるのでは、と期待するからです。

どういうことを教えるのか、というリテラシーの幅を決めることが大事なのですが、その観点から言えば、今回、報告書が公表された日本学術会議の科学技術の智プロジェクトは大変意味のあることだったと思います。研究者が科学全体を見て、21世紀を生きるために普通の人はこのくらい理解してほしいということを示しています。日本版の科学技術リテラシーの範囲を示したと言っていますが、世界標準を目指してもいますから、これが今の教育の弱点を取り除いてくれる可能性があります。

このような大きな枠組みを基に、学校教育が受け持つ部分を議論すればよいのです。これまでは文部科学省や教育関係者だけが学校教育の中だけで考えていました。次の指導要領改訂では、これまでと違い社会との接点の中で学校教育が受け持つ部分がはっきりしてくるのではないかと期待できます。

(続く)

滝川洋二 氏
(たきかわ ようじ)
滝川洋二 氏
(たきかわ ようじ)

滝川洋二(たきかわ ようじ)氏のプロフィール
1949年生まれ。埼玉大学理工学部物理学科卒、国際基督教大学博士課程修了、1979年から国際基督教大学高等学校教諭、2006年から東京大学教養学部附属教養教育開発機構特任教授。教育学博士。高校教諭時代からNPO活動を通した理科教育の改善に取り組み、この功績で05年文部科学大臣表彰。「青少年のための科学の祭典」2006全国大会実行委員長、NPO法人理科カリキュラムを考える会理事長、NPO法人ガリレオ工房理事長。専門は概念形成研究、科学カリキュラム研究、物理教育。『どうすれば理科を救えるのか-イギリス父子留学で気づいたこと』(亜紀書房)、滝川・吉村編『ガリレオ工房の身近な道具で大実験第4集』(大月書店)、「発展コラム式中学理科の教科書第1分野」(講談社ブルーバックス)など著書、編著書多数。

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