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日本の産学連携も進んでいるが課題も〜ベンチャーや中小にもライセンスを(山本貴史 氏 / 東京大学TLO代表取締役社長)

2016.10.25

山本貴史 氏 / 東京大学TLO代表取締役社長

本田財団主催「第139回本田財団懇談会講演」「産学連携によるイノベーションの創出~人間性あふれる文明の創造へ~」(9月23日)から

写真1 講演中の山本貴史 氏
写真1 講演中の山本貴史 氏

 今日は、日本で産学連携によってイノベーションが起こりつつあるという話をしたいと思います。株式会社東京大学TLOは、現在東京大学の100%子会社で、大学の発明を全て特許出願し、それを知的財産として民間企業に移転するという、株式会社としては非常に珍しい仕事をしています。

 (実例として、東京大学先端科学技術研究センターの神崎亮平所長による嗅覚が鋭い蛾を使った遺伝子技術を駆使した高性能センサーの開発研究や、同大学大学院情報理工学系研究科の石川正俊教授による人間の目を超える動体視力などを持った高速・高精度の感覚器・運動器ロボットの開発研究の成果などを紹介)

「技術移転の父」ニルス・ライマースさんに学ぶ

 私はリクルート社に就職して、新卒採用の営業やリクルートブックの企画課長などをやっていたのですが、リクルートでは大学と企業と学生とのマッチングをしていました。(TLOの仕事は)学生を技術に代えただけです。当時調べてみると、アメリカは1930年代から技術移転の世界があり、私のアイデアは実は新規性はないことが分かって、「技術移転の父」と言われるニルス・ライマースさんという人に弟子入りし、ノウハウを学びました。彼はスタンフォード大学で「技術移転機関を作りましょう」と提案し、「オフィス・オブ・テクノロジー・ライセンシング」(OTL)というものを1969年に設立して、初代のディレクターになっています。日本の経済産業省がOTLからTLOという名前に変えたと思いますが、彼は当時35歳で、スタンフォード大学でTLOを作って大成功し、その後マサチューセッツ工科大学(MIT) に移って、MITでもTLO を作り、さらに出身地のカリフォルニアに帰ってUCバークレー校とUCサンフランシスコ校と合計4つのTLOを作りました。私は彼のノウハウを学ぼうと彼に会いに行く訳ですが、彼は「日本でやるのはかなり難しいのではないか」と言っていました。彼は日本の企業にかなりの数のライセンスの実績を持っていましたし、たいへんな日本びいきで日本の事を良くご存知だったのですが、大学の体制とか、様々なビューロクラシー(官僚制)があってなかなか難しいのではないか、と当時言っていました。

 私はライマースさんに気に入ってもらい、いろいろノウハウを学びました。ですから私のやり方は実はスタンフォードやMITと同じです。東京大学から「彼〔山本〕を引き抜いた方が早い」と(話があって)私は2000年にリクルートを辞めて東京大学TLOの職を得ました。少しPRをさせて頂くと、東京大学TLOというのは機動力と顧客接点と情報発信力で実績を上げていて、ライセンシング件数は861件、これは2014年末の実績なので今は900件を超えています。契約も今は3500件を超えて2014年末だと3169件で、出願件数も9000件を超えています。ロイヤリティー収入額は現在60億を超えています。

 日本の目指すべきお手本の一つはやはりアメリカの産学連携です。アメリカで産学連携が始まった背景に、アメリカの日本企業に対する脅威がありました。「ジャパン・アズ・ナンバーワン」という本が書かれた時代がありましたが、当時「このまま行けば日本の産業界にアメリカの産業界はやられてしまう」という見方がありました。それで、アメリカにはいくつかの策があり、産学連携が強化されたという経緯があります。

特許は発明者がイニシアチブを持てる

 「コーエン・ボイヤーの遺伝子組み換え特許」があります。これが当時300億円もの多額のロイヤリティーを稼いでいます。これはコーエン先生とボイヤー先生の二人による特許で、コーエン先生はスタンフォード大学の先生で、ボイヤー先生はUCサンフランシスコ校の先生です。実はボイヤー先生は、「大学教授たるもの特許でお金を稼ぐのはけしからん」と、特許出願に反対をしていた先生です。それを説得したのが先ほど話したニルス・ライマースさんです。特許については、特許イコール独占というイメージが強いと思います。特許と言うのは独禁法に触れない唯一の独占権が付与できるのが権利です。この技術はいろいろな産業に使える、あるいは医薬でいうといろいろな病気に使えるということがあります。

 特許を取ることは独占させる事ではなくて、独占させない事もできる。発明者がイニシアチブを持てるのですよ、とライマースさんがボイヤー先生を口説いて、ボイヤー先生も賛成されて、特許出願をしました。このため世界中の企業がライセンスを受けられたので多額のロイヤリティーになりました。そのロイヤリティーでボイヤー先生が作られたのがジェネティック社で、現在アメリカで大手製薬企業になっています。「大学教授たるもの特許でお金を稼ぐのはけしからん」と言っていた人がアメリカでも著名な大学発ベンチャーを作り、気が付いたら産学連携の先頭を走っていたという話です。あまり知られていませんが、日本のヤマハのシンセサイザーもスタンフォード大学からライセンスを受けています。

写真2 第139回本田財団懇談会講演「産学連携によるイノベーションの創出〜人間性あふれる文明の創出へ〜」(9月23日、本田財団撮影・提供)
写真2 第139回本田財団懇談会講演「産学連携によるイノベーションの創出〜人間性あふれる文明の創出へ〜」(9月23日、本田財団撮影・提供)

 グーグルの最初の特許もスタンフォード大学のTLOから生まれています。スタンフォード大学は最初、ライセンスをヤフーに持って行きましたがヤフーはライセンスを受けませんでした。なぜヤフーやネットスケープが当時ライセンスを受けなかったのか、についてですが、当時インターネットの検索エンジンは無料でしたので、ヤフーやネットスケープは新しい検索エンジンのライセンスを手に入れるよりも、いかにこれをマネタイズするか、事業として利益が上がるかという事しか関心がなかったためです。当時いくらグーグルの検索能力が高いと言っても1995年ごろは日本の大学生で自分のEメールアドレスを持っている学生は1%ぐらいしかいなかった。それぐらいインターネットが使われてない時代だったのです。このためインターネットで目的のホームページにたどり着くのは簡単だったのです。しかし、インターネット検索が世界中で普及して、100万、1億の中から目的のホームページを探すのはたいへんになり、ヒット検索順に出てくるようにしたのがグーグルの特許です。よく特許になったと思いますが、これはスタンフォード大学のOTL(日本のTLO)がちゃんとした明細書を作っていたから特許になったのだと思います。

オープンイノベーションで73万の雇用

 それと比べると、例えば光ファイバーの発明は東北大学の学長であった西澤潤一先生が発明されたのですが、その当時は日本には残念ながら、TLOはありませんでした。このため先生がご自身で明細書を書いていたこともあり残念ながら光ファイバーは特許にはなりませんでした。もし、光ファイバーが東北大学の特許になっていれば東北大学は今10ぐらいビルができていたと思います。スタンフォードにもしOTL、日本で言うTLOがなかったらジェネティック社もなければ、ヤマハ音楽教室もできてないかもしれませんし、グーグルという会社すらできてなかった。マイクロソフトがこのグーグルの最初の特許ライセンスを受けていれば、グーグルはマイクロソフトと一緒になっていたかもしれない訳です。

 日本の帝人も山形大学発ベンチャーですし、TDKは東工大発のベンチャーで、味の素や荏原製作所は東大発ベンチャーでそれぞれ始まっています。しかしアメリカはやはり進んでいて、特許出願件数は24,000 件ぐらいで、2013年のデータでライセンス件数が5198件、ロイヤリティー収入が1ドル100円と換算しても2,600億円。あと、産学連携による新製品の数は591件、大学発ベンチャー起業数は818件です。2年後の2015年になるとライセンス件数は7942件、ベンチャー起業数は1012社になっています。産学連携による新製品の数は900件を超えます。900件というと1日2つか3つは大学の技術を使った製品が世に出ている。そのぐらいオープンイノベーションが進んできているという話です。約73万人の雇用が生まれていると言われています。東京オリンピックで生まれる雇用が、150万人と言われていますが、1年間に73万人の雇用ですので4年で計算すると追い抜かれる数字です。

日本の産学連携は遅れていない

 日本の産学連携は全然だめという風潮があります。確かに発明の数と出願件数は横ばいですが、ライセンス件数は、2011年は1541件だったのが14年には2841件。ライセンス収入も11年は8.3億しかなかったのが14年には33億になっている。実は右肩上がりなんです。日本の産学連携は遅れているという状況ではありません。

 新規のライセンス件数を日米で比較すると、アメリカは1991年からデータがあって日本は当事のデータはありませんが、91年にアメリカでは約1,000件のライセンスがありました。それが2014年には約7,000件になっている。23年間で7倍です。アメリカでこの20数年間で大学の数や教員の数や大学の予算が7倍になっている訳ではなくて、大学の技術を生かそうという企業が7倍になったということです。日本はライセンスが2005年に約1,000件だったのが14年には3,000件近くになっています。これも9年間で約3倍になっている。成長曲線だけを比較すると日本もアメリカとそん色がないところまで来ていて、この9年間で日本もオープンイノベーションが3倍ぐらいに拡充していると言えます。日本の大学の技術が民間にどんどん移転されつつある状況です。

 ただ問題もあって、アメリカでは大学の技術は約15%がベンチャーに、約半分が中小企業にライセンスされています。大手にライセンスされているのは3分の1ぐらいです。過去10年のどこを取っても同じような割合で、約15%はベンチャーで半分が中小企業です。日本はベンチャーへのライセンスが2.7%しかなくて、半分が中小企業へのライセンス。残り46.1%が大手企業へのライセンス。どんな野球チームでもサッカーチームでも若手が出てこないチームは勢いがなくなって行くと思いますが、そのような意味では、日本全体で見るとベンチャーのライセンスは非常に少ないというのが大きな問題点だと思います。

 もう一つの問題は大学の格差が広がってきている事です。一部の大学は技術移転でしっかりと知的財産から収益を得ている。数多く特許出願をしているけれどなかなか収益につながっていない大学群と、出願件数も収入額もかなり低い群もあり、多くの地方の大学や私立大学がそこに入っています。これについては経済産業省と文部科学省が分析していまして、ライセンスに注目している大学は産学連携がうまく進んでいる。そうでない所はなかなか苦戦しています。大学の技術が良いものであれば、ライセンスをしてそれが商品になると何パーセントかは収益として還元されてくる。このため特許出願自体が目的ではなく、特許をいかに事業化するか、技術をいかに事業化するか、が分岐点だと思います。TLOは単に技術を企業につなぐだけではなくて、商品化を目指したい。

 ライセンスをしてもすぐに製品化されるのは非常に少ない。製品化されるまでにタイムラグがあります。スタンフォード大学は黒字になるまで実は18年を要しています。結構時間がかかるものなのです。国内で1998年に大学等技術移転促進法、いわゆるTLO法案が検討された時に、この話を踏まえ私は国会の委員会で、長い支援をしなければならないという話をしました。

技術移転のプロを育成

 世界で技術移転のプロフェッショナルを育てる動きが、欧米の大学中心に始まっています。略称「ATTP」という組織があります。これは「Alliance of Technology Transfer Professionals」 という組織で、言ってみれば技術移転界のMBAを作ろうという動きです。世界に7人のレフリーがいて、7人が「この人はプロ」と認めたら「RTTP」(Registered Technology Transfer Professional)という認定を与えるというものです。私は日本代表としてレフリー7人のうちの1人をやっているのですが、日本には残念ながらRTTPは14人しかいない。14人の半分が東大TLOという状況です。今後日本は技術移転のプロを育成して行く必要があると思います。

 もう一つ新しい動きがあります。東京大学で始めようと私が提案したのですが「GAPファンド」というものです。これは国によっては「プルーフ・オブ・コンセプトファンド」とかいろいろな呼び方がありますが、アカデミアと産業界のギャップを埋めるファンドです。大学では新しい原理の探求とかには研究費は出るんですが、大学で生まれた研究を事業化するためのお金は出ません。理論を基に実際に製品を組み立ててみたら、うまく行かないとうことは起きるのですが、試作品を作るためのお金はなかなか出てこない。大阪大学は既に開始していますし京都大学、東京大学も始めるという動きがあります。研究は重要ですが、研究の先の事業化のためにやっています。

 全国の大学のTLOは互いに親密な関係を持っています。私は、ほとんどの日本の大学のキーパーソンと親密な関係を持っています。毎年集まって2日間ディスカッションしています。今年はもう終わりましたが、5月に東北大学に集まりました。事前申し込みで参加が453人でしたので実際はそれ以上の人が来たと思います。2日間大学関係者がディスカッションします。13年続いていて来年は14回目になります。そこではイノベーションに成功した事例を報告します。関心がある方は誰でも参加できますので、ぜひ参加していただいきたいと思います。

(サイエンスポータル編集長 内城喜貴)

山本貴史 氏
山本貴史氏

山本貴史氏プロフィール
1985年中央大学卒業。(株)リクルート入社。採用関係の営業、企画などに従事した後、産学連携による技術移転スキーム提案、事業化。米スタンフォード大学のOTL創始者のニルス・ライマース氏と独占的なコンサルタント契約を交わし米国の技術移転を研究した後2000年リクルート退社。(株)先端科学技術インキュベーションセンター(現在東京大学TLO)代表取締役社長就任し現在に至る。

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