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夢を追い続けて 第1回「フルブライト留学が大きな転機」(根岸英一 氏 / パデュー大学 特別教授、2010年ノーベル化学賞受賞者)

2010.12.03

根岸英一 氏 / パデュー大学 特別教授、2010年ノーベル化学賞受賞者

サイエンスアゴラ2010閉幕セッション(2010年11月21日)特別メッセージ、日本記者クラブ主催昼食・記者会見(2010年11月25日)講演・質疑応答から

パデュー大学 特別教授、2010年ノーベル化学賞受賞者 根岸英一 氏
根岸英一 氏

 皆さんにお伺いしたいことがある。一体われわれ1人1人は何を目的に、何を目標にして、この世の中で過ごしているのかということだ。私は、究極の目的は幸せになることだと思う。東京大学の3年生の時に病気で1年留年した。その時、大事なことは4つあると考えた。第一はなんといっても健康。次は民主主義。どんな社会にいても個人主義がまずしっかりしていなければいけないし、人道主義も非常に重要。それから集団全体としては国も含め民主主義が大事だ。

 そのほかに一体何が重要かと言えば、やはり仕事だと思う。それから趣味を忘れたくない。仕事と趣味が第3と第4となる。望ましいのは、その第3と第4をできるだけマージ(融合)させることだ。仕事が趣味になった時、しかもそれがうまくいく時、人生は非常に豊かなものになる。そう思って努力している。

 ところで若い方に聞きたい。皆さん、ノーベル賞受賞を狙っていますか? 計算してみると、過去100年くらいの間に地球上に生きていた人は約10の10乗人ぐらいになる。ノーベル賞をとった人を合わせると今までに7百数十人だそうだ。1、000人としても10の3乗だから、生きている人がノーベル賞をとる確率は(10の10乗分の10の3乗で)10の7乗分の1となる。1、000万人に1人だ。宝くじで1億円当てるようなものだろう。私は宝くじを2、3回買ったことあるが、当たらないからやめた。宝くじを買うような調子でノーベル賞をとろうとしたら、多分当たらない(笑い)。では、どう考えたらよいか。

 ノーベル賞を受賞する確率は10の7乗分の1だが、これを1、000万分の1ということではなく、10分の1を7回掛けた数と考えてはどうだろう。例えば小学校のクラスで2、3番になったとする。30-40人、あるいは40-50人のうちの2、3番ならその段階で10分の1だ。1、000万分の1から100万分の1ぐらいに確率は大きくなる。階段を一つ上がったと考えてよい。私は神奈川県の出で湘南高校に入った。今は知らないが、当時は成績のよい生徒が集まる高校だった。ちょっと入るときに苦労したが(笑い)。そこでもう1桁バーをクリアしたと考えてもいいかもしれない。それから、ある種の大学に入ったら、またバーを1つクリアできた、と。

 東京大学では工学部の応用化学を専攻したが、あまり勉強しなかった。音楽やスポーツにうつつを抜かして、後から考えてみると非常に不幸なことだったのではないかと思う。帝人に入社すると「高分子の化学反応の研究を君にはしてもらう」と言われた。「ところで、どなたが指導してくださるんですか」と聞いたら、「いや、指導者はいないよ。君がやるんだ」と言われ、これは大変なことになったな、と思った。

 それで自己分析をした。「これは到底、今の自分にできることじゃない。大学に戻り修士課程くらいのことを修めないと」。そう思ったが、親が本当に貧乏だったから学部を終えた後も親に授業料をせびる気持ちにはなれない。当時、帝人の社長をしておられた大屋晋三さんから「君たちは30年かけて3カ国語をマスターするんだ。最初の10年は英語、次の10年はドイツ語かフランス語で、その次の10年はフランス語かドイツ語だ。そうすれば国際的に通用する人間になれる」と言われていた。さらに「フルブライト奨学生の全額支給に合格すれば、会社は優先的に休職という形にして補助も出す」という言葉をかけていただいたので、英語を、約1年勉強し、フルブライトを受けた。

 フルブライト全額支給生の競争率は50-100倍。私は広島のアメリカ文化センターで試験を受けたが、150-200人ぐらいの中で合格するのは2人くらいという。そのバーをくぐり抜け、米国に行った。これは私の人生で非常に大きな、本当に大きな転換期になったと思う。その段階でノーベル賞受賞の確率も、10の何乗分の1かに上がっただろうか。

 米国ではフィラデルフィアのペンシルベニア大学に行った。そこで私は大学院レベルの、あるいはプロとして必要な化学を有機化学も含め基礎からそっくり教えてもらった。今、非常に感謝している。そのころ私はほかの学生に比べると1、2歳上だったということもあり、せっぱ詰まった気持ちで猛烈に勉強した記憶がある。米国の大学院にはcumulative examinationというのがあり、ペンシルベニア大学では1年に8回通らなければいけない。その8回を通るのが大変な難関で、教室にいる以外での勉強、図書館での勉強、と本当に真剣になってやった。8回すべて連続してexcellent(優秀)というマークをとることができた。時には私だけがexcellentで、その次のランクのpass(合格)もだれもとれないということもあった。

 「これなら自分ももうちょっとこの分野にのめり込んでいいのではないか。企業から学問、学界の方に少し進路を変えてみよう」。そんな気持ちになった。そのころ、1960年代初期の米国はすごかった。私がいた3年の間に、ノーベル賞をとった人が化学者だけで恐らく10人近くペンシルベニア大学に来て講演をした。そのほかにも10人以上のノーベル賞をとりそうな人たち、実際に何人かその後受賞しているが、そういう人たちも講演に来られた。その中の1人が、私の後で恩師となるパデュー大学のH・C・ブラウン先生だ。話が非常にすばらしかったということもあり、最終的にブラウン先生の門をたたき、1966年以来、途中7年間シラキュース大学に移った時期を除き、ずっとパデュー大学で研究を続けている。

 ブラウン先生の門をたたいて、ブラウン先生に受け入れてもらえた段階で、恐らくノーベル賞受賞の確率は100分の1か1,000分1ぐらいのところまで上って来ていたのではないかと思う。

 50年前、初めて米国に行った時点でノーベル賞を受賞した日本人は湯川秀樹さん1人だけだった。雲の上、あるいはET(地球外生物)のような存在と思われたノーベル賞受賞者が、ひょこひょこと次々にペンシルベニア大学に来るわけで、自分も努力をしたらひょっとして、という程度の夢は持ち始めた。その夢を追い、幾つかゲートをくぐり、階段を上っていった先に今の私がある。そのように実感している。

 私が若い方に申し上げたいことは、まず自分が好きなことは何なのか、その次にその好きなことを自分はよくできるかどうか、自分の資質をある程度客観的に見てみることだ。その2つがクリアできれば、とことんそこにのめり込んでいく。大きな夢を持つことも大事だ。夢は大きければ大きいほどいい。高ければ高いほどいい。そしてその夢を追い続けること。これが今日の究極的なメッセージだ。

パデュー大学 特別教授、2010年ノーベル化学賞受賞者 根岸英一 氏
根岸英一 氏
(ねぎし えいいち)

根岸英一(ねぎし えいいち)氏のプロフィール
神奈川県立湘南高校卒。1958年東京大学工学部応用化学科卒、帝人入社。60年帝人を休職しフルブライト奨学生として米ペンシルベニア大学に留学、63年同大学院博士課程修了、Ph.D取得。66年帝人を退社、米パデュー大学、ハーバート・ブラウン教授の研究室へ。パデュー大学助手、シラキュース大学准教授などを経て79年パデュー大学教授。99年から同特別教授。有機合成におけるパラジウム触媒クロスカップリングの業績で鈴木章・北海道大学名誉教授、リチャード・ヘック米デラウェア大学名誉教授とともに2010年ノーベル化学賞受賞。同年文化勲章も受章。

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