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コミュニケーションが可能にするもの(バーバラ・ローズマリー・グラント 氏 / プリンストン大学名誉上級研究員、2009年京都賞受賞者)

2010.03.03

バーバラ・ローズマリー・グラント 氏 / プリンストン大学名誉上級研究員、2009年京都賞受賞者

第25回京都賞記念講演会(2009年11月11日、稲盛財団主催)から

プリンストン大学名誉上級研究員、2009年京都賞受賞者 バーバラ・ローズマリー・グラント 氏
バーバラ・ローズマリー
・グラント氏
(提供:稲盛財団)

 研究者としての心構えについて、私の考えを話しましょう。これまでに私は幅広く興味を持つことや、いろいろなジャンルの本を読むことが、研究にプラスになると学びました。このことを心がけていれば、十分に理解が進んでいる系に照らしてさまざまな分野のコンセプトを検討することができます。またそれによって新たな洞察を得ることができます。そして疑問の答えを導き出すためには、さまざまなツールを習得しておくことが重要です。

 さらに例外を尊重することも大切です。例外が、新たな知識をもたらす啓示につながることが少なくないからです。これは私の父が教えてくれた問題解決の論理でもあります。結論を急がずに、例外に目を向けて理解することの価値を忘れないようにと説いてくれたのは父でした。

 また、異なる文化的バックグラウンドを持つ人たちとコミュニケーションを交わすことは、イマジネーションあふれた独創的な問題解決の道へとつながるものです。人々と自由に意見交換することは大きな実りをもたらします。そして歯が立たないように見える問題に対して解決へと導いてくれるのは、コミュニケーションなのです。

 もちろんこのことは研究でも同じです。共同研究を恐れないでください。科学者同士で協力することは問題解決への近道となります。概して発見なるものは、多くの人々の共同作業の帰結です。同じ目標へ向かう場合でも、そこへたどり着く道筋はさまざまです。問題に相対する時にさまざまな角度からアプローチすることは大変効果が大きいもので、個々の人々の働きをまとめあげることで知識の広がりが可能になるのです。

 文化的、民族的にバックグラウンドが異なっていたとしても、コミュニケーションが相手への深い理解と尊敬とを可能にします。そしてそこから知恵を得られるのです。私には子供時代にそう思わせる基となった出来事がありました。第二次世界大戦中の思い出です。

 私はヒトラーについて両親に尋ねたことがありましたし、父がユダヤ人の一家を助けたことも覚えています。そのころわが家の近くで捕虜になったドイツ人たちが水道管の敷設作業をしていました。私は兄とその様子をうかがっていました。そしてある日、二人で勇気を出して彼らのところへ近寄って行きました。

 私たちはそのドイツ人捕虜たちと交流しました。捕虜の一人が見せてくれた写真には、彼の子供たちが写っていました。私たちと同じ年ごろのその子たちに「また会いたい」と語る彼の言葉は、私の耳に残りました。

 この体験の一方で、私はドイツ軍の空襲におびえていました。私と同じ年代の人々は、爆撃機の音におびえながら防空壕に避難した子供時代の記憶があると思います。私は空襲におびえつつも、ドイツ人捕虜に腕輪まで作ってもらいました。この矛盾が私を戸惑わせました。この記憶は鮮明に私の中にあります。

 捕虜となったドイツ人たちが私たちの両親と同じくらい善良な人間なのだと、私は知りました。彼らは社会的圧力によって強制的に戦わされたからこういう状況に置かれているのだ、と知ったのです。

 私が学生に伝えたいと願っていること、それは自分が好奇心を持って進めてきた研究により得た感動です。その素晴らしさを伝えたいのです。

 私には疑問がありました。生物学者という言葉すら知らなかったころから不思議に思っていたのは「どうして種と種の間に違いがあるの?」「なぜ同じ種の生き物の間にも違いがあるの?」ということです。生物の多様性について、もっと詳しく知りたいと思っていたのです。

 「すべての生き物の祖先はつながっているのだよ」。そう両親に教わりました。父はダーウィンの「種の起源」を読むように勧めてくれました。生物学への情熱や好奇心を抱いた私を後押ししてくれたのは、両親だったのです。父はまた、自分で考えることの大切さを私に言い聞かせました。

 10代の私は生物の多様性を理解するための基本的なアプローチが遺伝学で得られると考えていました。そして世界最先端の遺伝学部を擁するエジンバラ大学での勉強を望みました。しかしここでつまずきました。寄宿学校の女性の校長先生が、進学をあきらめるよう言ってきたのです。

 今までの私の研究人生は、この大学受験でのつまずきと、また育児での中断がありました。でもつまずきにくじけることもなく、育児を楽しみました。そして博士号を取得して研究と教職の仕事に復帰しました。そういう経験を経て、私は研究に専念できるようになったのです。

 私に大学進学をあきらめさせようとした校長先生の言い分は「男の兄弟が二人もいるような家のお嬢さんは、大学へ行かなくてもよろしい」というものでした。その校長先生を私は説得しました。両親にも助けられ、なんとか受験の許可はもらったのです。けれども、おたふく風邪にかかってしまい、この年の受験はできなくなりました。そのことを「神のおぼしめしです」と校長先生は断言したのです。私はこの学校を退学しました。

 このつまずきは、私をくじけさせるどころか進学への決意を固めさせました。働きながらも通信教育を受け、ついにエジンバラ大学へ入学を果たしました。

 大学の知識の幅や深みは並外れたものでした。また大学の恩師たちは科学者になる道を私に示してくれました。3年生の時のクラスはグループディスカッションが中心で、学生は国内外から集まっています。私は自分の限度を超えて考えるということに挑みました。この時期は人生でもっとも刺激的で意欲に満ちていました。

 私の博士号取得は、子育てのため予定よりも遅くなりました。しかし子育て期間中もある程度の研究は続けていましたし、育児は楽しいものでした。娘のタリアは生物学者になりました。彼女は科学イラストレーターでもあり、作家でもあります。私が子育てした当時は託児施設がなく、幼い子供二人が学校に入学するまでは家庭で世話をしていました。それでも週一回は家事を忘れてベビーシッターに子供を任せ、図書館で研究文献を読みあさっていました。このおかげでフルタイムの研究に復帰した時にはポストに恵まれました。

 「生物の個体群はどのように多様化していくのだろう?」「新しい種はどうやって誕生するのだろう?」という疑問はずっと私の心にありました。その探求に最も適した場所はガラパゴスです。そこで私は研究することができました。

 科学者を目指す若者へのアドバイスを述べましょう。人と意見を交換し合い、研究で必要とされる適切な手段や方法を、例えば数学、遺伝学、生理学、統計学など一つ以上の分野から学び取ることも含めて身につけて下さい。ある分野に情熱を感じているなら、自分の気持ちに従ってください。その分野で独自の概念的問題を見つけてみましょう。自らの研究課題を持つのはわくわくする挑戦ですし、自分が本当に科学の道を進みたいのかどうか、はっきり分かると思います。

プリンストン大学名誉上級研究員、2009年京都賞受賞者 バーバラ・ローズマリー・グラント 氏
バーバラ・ローズマリー・グラント 氏
(Barbara Rosemary Grant)

バーバラ・ローズマリー・グラント(Barbara Rosemary Grant)氏プロフィール
1936年英国生まれ。進化生物学者。2009年に夫のピーター・レイモンド・グラント博士とともに京都賞(基礎科学部門)を受賞。授賞理由は、ガラパゴス諸島でのダーウィンフィンチ類に関する野外研究を通じての「環境変化に応じた自然淘汰による急速な進化の実証」。

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