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歴史的世界観確立したダーウィン−生誕200年、「種の起源」出版150周年記念によせて(小川眞里子 氏 / 三重大学 人文学部 教授)

2009.03.25

小川眞里子 氏 / 三重大学 人文学部 教授

三重大学 人文学部 教授 小川眞里子 氏
小川眞里子 氏

 2009年はダーウィン生誕200周年、彼の主著である『種の起源』出版150周年という記念すべき年である。すでに昨年3〜6月に国立科学博物館で、7〜9月には大阪市立自然史博物館で「ダーウィン展」が開催された。この展覧会は2005年からアメリカ自然史博物館を皮切りに、ブラジルやニュージーランドを経て日本で開催され、現在はロンドン自然史博物館に会場を移し、4月19日すなわちダーウィンの祥月命日まで開催される。

 ダーウィンが私たちの世界観にもたらした新しい知見は何か。それは単にヒトの先祖がサルであったというセンセーショナルな事柄ではなく、この地球上のすべての生物が歴史的所産として存在していること、そしてそれらすべての生物は、過去にさかのぼれば共通の祖先から分岐してきたものであるという深い洞察である。しかもダーウィンは、生物の身体構造のみならず、その精神の働きも歴史的所産としてとらえるべきことを提示しようとした。そして、そのような生物の進化が、自然選択という方途によって、言うなれば、まったくの自然の成り行きで成し遂げられてきたということを示したのである。驚くばかりの合目的的な身体構造も、崇高な精神の営みも、すべてが自然なプロセスを経て備わることになったと。

 先に世界観という言葉を用いたが、ダーウィン進化論の意義は上述の生物学上の知見を超えて、世界が長大な歴史を経て形成されてきたものであるとする歴史的な世界観を確立したと言うこともできる。世界の中心に位置するとされてきた地球を太陽系の1惑星にすぎない存在と主張して、地球の相対化の端緒を開いたのはコペルニクスであり、その後の天文学は広大な宇宙空間を次第に明らかにしてきた。しかし、地球中心の世界観が崩壊しても、人間の相対化は難事中の難事であった。人間が神による特別な被造物ではなく、他のあらゆる生物と同じ歴史的所産とする認識はダーウィンを待って初めてもたらされたものである。

 図はピーター・ボウラーが、18世紀のリンネの自然の分類群とそれらの近代的説明として提示したものである。図(a)は、類似点に着目して生物をグループ分けした様子を示している。図(b)は、それらに歴史的経緯が張り付いていることを示しているのであるが、いわばダーウィンはテーブルの下に10億年から30億年の時間を想定したのである。ボウラーのこの図を用いて説明するなら、ダーウィン以前の科学はほぼテーブルの上での科学と言っていいだろう。近代科学の幕開けを告げる1543年のヴェサリウスの解剖学もコペルニクスの天文学も、現時点での身体構造であり宇宙の構造である。運動学となると時間軸が持ち込まれるので、厳密にテーブル上とは言えない。しかしその時間的射程は、過去に遡及(そきゅう)し未来を予言するといっても、範囲はテーブル上下近傍としてよいであろう。ガリレオもケプラーもニュートンも、聖書で前提とされる6,000年を超える過去を考えてはいなかった。18世紀を通じてテーブルの大きさは急速に拡大していったが、例えば化学などは文句なくテーブルの上である。ラヴアジェもドルトンもファラデーも。科学技術と呼ばれるものは、ほぼ間違いなくテーブル上である。ワットの蒸気機関も今日につながるさまざまな技術も、すべてテーブル上、つまり人間の歴史の範囲内のことである。

自然の分類群とそれらの近代的説明
図. 自然の分類群とそれらの近代的説明

 一部は地質学者によって先鞭(せんべん)が付けられていたにせよ、この地球に長大な時間を持ち込み自然な歴史的所産として生物を、そして人間を位置づけて、はじめてこの世界に壮大な時間軸を持ち込んだのがダーウィンであった。物理学者でさえ、地球の歴史をせいぜい1億年と見積もっていた時代において、彼は10億年から数十億年を見積もっていたのである。ダーウィンの進化論がもたらしたインパクトが、他の科学理論のそれと違うところは、彼の進化論が(西洋の)世界観に大きくかかわることであったからだ。この点は、地動説の登場と似通っていて、キリスト教的世界観との軋轢(あつれき)が顕著である。コペルニクスの地動説は、彼が臨終を迎えるころに世に出たので、本人は迫害を免れているが、地動説を支持したガリレオは迫害を受けている。ダーウィンは自然選択による進化論を公表したときにもたらされる影響を十分に量りつつ準備を進めていた。着想を得てから20年以上の年月をかけて用意をしたのはそのためであった。『種の起源』の公表で、神による創造の否定と、人間がおぞましい獣と祖先を共有するというところへ人々の批判は集中することになったのであるが、ダーウィンがもたらした身の毛もよだつ凄(すさ)まじい想像は、この世界の背後に何十億年という歴史を齎(もたら)したことであった。

 私たちが抱く疑問は、科学の進歩とともに変化する。ダーウィン進化論の成立は科学研究の問いの立て方にも大きな影響を与えた。なぜ紙が燃えるのか、なぜ石を投げれば落下するのか、なぜ地球温暖化がおこるのかなど、科学的な問いの多くは原因を問うものである。しかしなぜ病気になるのか、なぜ老化するのか、なぜ死ぬのかといった生物に関係する疑問は、必ずしもその直接の原因を尋ねるだけではなく、なぜそもそも病気や老化や死が存在するのだろうかという根源的理由を問うことも含まれてくる。なぜ性の違いが存在するのかは、性染色体の違いを言えば済むということではなく、性そのものがなぜ誕生したのかを問う。こうした問いは進化論的考察によらなければ答えようのない疑問である。

 テーブルの上が解決を迫られる難問山積であることは十分承知しているが、ダーウィンの記念すべき年に根源的な問いの宝庫である「テーブルの下」から科学をみていくことも重要なのではないかと考えるのである。

図の出典:ピーター・ボウラー『環境科学の歴史 上』小川眞里子・財部香枝・桒原康子訳 朝倉書店 2002年

三重大学 人文学部 教授 小川眞里子 氏
小川眞里子 氏
(おがわ まりこ)

小川眞里子(おがわ まりこ) 氏のプロフィール
1974年東京大学大学院理学研究科科学史科学基礎論修士課程修了、78年同人文科学研究科比較文学比較文化博士課程中退。86年三重大学助教授、93年から現職。日本学術会議連携会員、お茶の水女子大学ジェンダー研究センター客員教授、科学技術振興機構社会技術研究開発センター評価委員。専門は科学史・科学論、研究テーマは、進化論の文化的基底、19世紀伝染病の社会史、科学とジェンダーなど。著書に「フェミニズムと科学/技術」(岩波書店)、「甦るダーウィン」(岩波書店)、訳書に「女性を弄ぶ博物学」(工作舎、共訳)など。

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