ハイライト

100年200年単位で必要な規制、投資を(中村英夫 氏 / 東京都市大学 学長)

2012.01.24

中村英夫 氏 / 東京都市大学 学長

連続シンポジウム「巨大災害から生命と国土を護る-24学会からの発信-」第2回「大災害を前提として国土政策をどう見直すか」 PDF(2012年1月18日、日本学術会議土木工学・建築学委員会、東日本大震災の総合対応に関する学協会連絡会 主催)基調講演から

東京都市大学 学長 中村英夫 氏
中村英夫 氏

 1755年にリスボン大地震がポルトガルを襲った。米国が独立した21年前のことだ。ポルトガルは15世紀から16世紀にかけて、インド航路を発見したバスコ・ダ・ガマ、ブラジルを発見したカブラルなどが活躍し、世界をリードする国だった。遠く極東の種子島に鉄砲を伝えたのもポルトガル人だ。リスボン大地震はマグニチュード8.5-9.0、リスボンだけで死者が55,000-62,000人、このうち津波の死者が10,000人といわれている。津波の被害はモロッコなどにも及び、死者の総数は90,000人に達したという。

 このリスボン大地震が、ブラジルや東洋との貿易などで栄えていたポルトガルの経済に大打撃を与えた。たくさんの人がポルトガルを捨ててブラジルなどへ移住し、海外植民地に依存する割合が高くなる。今でも大変優秀な国民だが、2010年の1人当たりGDP(国民総生産)は約180万円と日本の約2分の1で、失業率も11%と高く、欧州でも一番苦しい国の一つになっている。

 日本が、ポルトガルのようなことになっては大変だ。日本社会が持続可能な発展をするためには有効な経済政策とともに、その基盤としての国土政策が重要になる。国土政策とは、長期的、全国的な視野に立つ国土計画に即したものでなければならない。リスボン大地震がポルトガルに与えた影響、といった長いスパン(時間)で考えるべきで、5年、10年でどうこうするといった話だけではない。

 日本は美しい景観、豊かな生態系に恵まれ、エネルギー、鉱物資源は乏しいが、豊かな水、海洋、森林資源があり、これらがない国から見ればすばらしい国だ。国際性には欠けるものの、勤勉、規律、協調に富む1億人もの国民がいる。一方、ありとあらゆる災害が多発する国だ。長いスパンで見れば地震は必ず起きる。狭い平地に人口、産業が密集し、過疎、高齢化が進む地域も抱える。

 はっきりしていることは、日本国民はかつてのポルトガルのようにブラジルに移住するわけには行かず、未来永劫(えいごう)この国に住み続け、必ず大災害に見舞われるということだ。こうした日本の国土政策において目標とすべきことは持続可能性で、これは生活の安全性確保、環境の保全、安定した人口構造、地域間格差の縮小ということになる。

 17年前に起きた阪神淡路大震災の時、私は土木学会の会長をしていたが、完璧に壊れた神戸に行って、その破壊力に驚き、涙ばかりが出た。あれから17年たったが、今神戸に行ってみてほしい。東京のような巨大集積地以外なら神戸クラスの都市でも10数年たてば、物的被害は復興可能ということがよく分かる。日本にとって重要な大規模災害対策は、人命を損なわないことで、さらに被害を全国的に波及影響させないことだ。全国的に波及影響する施設を重点的に強化し、重要施設、機能の地域分散と代替施設を整備する必要がある。

 巨大災害に対し全て物理的に防御するのは社会経済的に不可能であって、2段階の対処を考えるべきだ。数百年に一度といった滅多に来ないけれど必ず来る巨大災害に対しては、人命の犠牲を無くすよう避難施設、避難路の整備、避難行動の教育、訓練で対応する。一方、数十年に一度の頻度で起こる大災害に対しては工学的に対応する。津波対策で言えば、数十年に一度の頻度で起こる津波で被災する可能性のある地区では高さ、強度の基準を満たす建造物のみ新設を許可し、基準を満たさない既設建造物は既存不適格として移転、更新を促す。数百年に一度という頻度で津波に被災する可能性のある地区では、避難場所が確保できれば、新設も許可する、というように。

 阪神淡路大震災の後に、首都機能移転や第二東名高速道路の必要性が議論されたが、首都機能移転などは既に検討の場は廃止され、今や影も形もなくなった。災害からの年月がたつとともに防災事業は無駄だと言い出す人が必ず出てきて、そのうち事業仕分けの対象にもなってしまう。

 国土政策に携わる者は、防災事業の必要を常にアピールしなければならない。強靭(きょうじん)な国土をつくるため、必要な規制、誘導、投資をしていく必要がある。100年、200年のスパンで考えて…。

東京都市大学 学長 中村英夫 氏
中村英夫 氏
(なかむら ひでお)

中村英夫(なかむら ひでお)氏プロフィール
京都市生まれ、同志社高校卒。1958年東京大学工学部土木工学科卒、帝都高速度交通営団(現・東京地下鉄)入社。東京大学生産技術研究所助手、シュトゥットガルト大学客員講師・教授、東京工業大学工学部助教授、東京大学工学部教授を経て、96年運輸政策研究所長。97年武蔵工業大学情報学部教授、2004年武蔵工業大学学長。武蔵工業大学から東京都市大学への校名変更により09年から現職。94-95年土木学会会長。98-01年世界交通学会会長。著書に国土調査(技報堂出版)など。

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