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鳥から見える地球環境の変貌(立川 涼 氏 / 愛媛大学 名誉教授、元高知大学 学長)

2008.10.02

立川 涼 氏 / 愛媛大学 名誉教授、元高知大学 学長

山階芳麿賞贈呈式(2008年9月23日、山階鳥類研究所 主催)受賞記念講演から

愛媛大学 名誉教授、元高知大学 学長 立川 涼 氏
立川 涼 氏

 私は1966年、東京から愛媛大学への赴任あいさつに「環境化学をやりたい。化学から環境問題を攻めたい」と書いた。もともと土壌学者だったので農薬汚染から手を付けた。先輩から「農民の気まぐれを追いかけるだけだ。行政は食品や米の汚染を調べて公表する必要があるが、大学で研究なんかするのはやめろ」といわれたものだ。

 73年に環境庁(当時)の委託を受け、松山市周辺の鳥類の残留性有機塩素化合物に関する研究を始め、74年には重金属調査を実施した。これが野生動物調査研究の方法論を生むきっかけとなる。研究は瀬戸内海から外洋、極地へと、化学物質の運命を追っているうちに仕事は地球規模に広がった。

 愛媛大学沿岸環境科学研究センターのスペシメンバンクは、4階建てのビルで零下25度の保存庫、外科手術の無影灯がある解剖室、解剖のため大型動物を運び込むクレーンなどを備えている。現在までに世界各地から収集した10万種類の試料を保管している。特に大型動物、あるいは年齢が分かっている、足輪が付いているなどのデータがあるものについてはできるだけ詳細な解剖を行った。重さ、長さ、組織ごとに重金属や化学物質の濃度を測り、全体の負荷量も測る。これを基本的な作業としているので、場合によっては一つの試料から多くの試料ができ、10万種類になってしまったということだ。鳥類だけでも364種、28,251点の試料が保管されている。

 有害化学物質は、水銀、カドミウム、鉛など重金属類と人工の有機化合物に大別される。人工有機化合物の代表的なものが、PCB、DDT、ダイオキシンなどの有機ハロゲン化合物だ。これら有害化学物質の生物蓄積は、化学物質の特性と生物の側の要因で決まる。例えば、北太平洋のクロアシアホウドリでは、PCBは100ppmを超し、ダイオキシンもヒトの蓄積量より2けた高い。何らかの毒性の影響を示唆している。人間の活動域から遠く離れた生物にこれほど高濃度の蓄積があるのは興味深いことだ。

 DDTはマラリア防除のため熱帯低緯度地方での使用が続いており、経済の発展とともにPCBの使用とその汚染も上昇している。そのことが現地での鳥類の汚染にも影響する。さらに、東アジアでの渡り鳥は、北上中にも有機塩素濃度が上昇し、繁殖地に到達した時に最高濃度となる。北の地域で繁殖する間に、卵胚に有機塩素化合物の毒性影響が現れる可能性がある。汚染が見られなかった地域で毒性影響が現れることを暗示しているわけだ。

 学界というのは楽なところで、分からないことは分からないと言ったほうがよろしい。変なことを言うと信用を失う。ところが市民社会に行って講演をすると「母乳がPCBあるはBHCで汚染されているのなら、それを飲んでいいのか、赤ん坊は大丈夫か、ちゃんと言ってくれ。分からんじゃ困る」と言われる。確かに逃げることはできない。ぎりぎりの情報の中でやけどを覚悟で、ある種の判断をしなければいけない。

 それに反し、学界というところはわれわれがどういう専門かを知っているから、知っていることしか聞かない。市民の方は私どもの専門をご存じないから、どこからでも弾が飛んで来る。考えてもいなかった質問が出てくる。そういう意味では、市民社会に出ることによって、学問が鍛えられたということもあると思う。これは多分、農薬をテーマにしたことが大きい。

 球と円筒と円錐を真上から見たらどれも丸にしか見えない。横から見たら丸と方形と三角になるが。こんな単純な問題さえ、けっこう視点が変われば判断が分かれる。ただし、われわれがいま前にしているのは複雑な自然環境と、それにややこしい人間関係が重なったものだ。その全貌(ぜんぼう)を私どもが理解することはほとんど不可能かもしれない。従ってある種の予見性とか、あるいはある種の政治的なスタンスが、これから人間と生物系を守っていく場合に必要になってくるだろう。

 科学で問題提起はできるけれども科学が答えは出せない。科学者によって答えが違う。そういう問題はいっぱい出て来る。従ってある意味では科学や技術のシビリアンコントロールと言うか、そういうことさえ必要になってくるかもしれない。そうなると一般市民の科学的な素養、教養が問われるのではないだろうか。専門家だけに任せていたのでは、多分、安全性を実現することはなかなか難しいと考えている。

愛媛大学 名誉教授、元高知大学 学長 立川 涼 氏
立川涼 氏
(たつかわ りょう)

立川涼(たつかわ りょう)氏のプロフィール
1953年東京大学農学部農芸化学科卒、58年東京大学農学部大学院研究奨学生後期満了、東京大学農学部助手、66年愛媛大学農学部助教授、76年同教授、93年同農学部長、95-99年年高知大学学長、2000年から愛媛県環境創造センター所長。農学博士。著書に「環境化学と私 -道後平野から世界へ-」(創風社出版)「これからの大学 これからの地球 -高知大学と私」(南の風社)「21世紀を想う-教育・環境・諸事」(創風社出版)など。現在、NPO法人「ダイオキシン・環境ホルモン対策国民会議」代表、NPO法人「黒潮実感センター」理事長も。

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