コラム - オピニオン -

最先端の光「放射光」で科学捜査にナノの革新を

理化学研究所 播磨研究所 放射光科学総合研究センター 副センター長 高田昌樹 氏

高輝度光科学研究センター 利用研究促進部門 ナノ・フォレンシック・サイエンスグループ リーダー 二宮利男 氏

掲載日:2012年8月15日

理化学研究所 播磨研究所 放射光科学総合研究センター 副センター長 高田昌樹 氏

高田昌樹 氏

高輝度光科学研究センター 利用研究促進部門 ナノ・フォレンシック・サイエンスグループ リーダー 二宮利男 氏

二宮利男 氏

 

1998年に発生した「和歌山カレー毒物混入事件」のことを、まだご記憶の方は多いと思われる。しかし、この事件の容疑者特定が、当時、世界最先端の科学技術を駆使した科学捜査によって行われたことは忘れられつつある。その科学捜査とは、カレーに混入された「亜ヒ酸」を、容疑者の所有する「亜ヒ酸」と鑑定したX線分析技術である。X線は波長が原子の大きさほどの、我々の目には見えない電磁波で、光の一種である。光で物を見るのと同じように、輝度が高ければ高いほど、"極微量"なものでも検出できる(見える)ようになる。

そのX線として、当時、播磨科学研究都市に建設されて間もない世界最大の大型放射光施設「スプリングエイト(SPring-8)」が作りだした「放射光」という、太陽の10億倍もの輝度を持つ最先端の光が用いられた。この「放射光」は、あのヒッグス粒子の存在を検証したスイスにある大型の「加速器」と同じ原理を用いて電子を光速近くまで加速し、強力な電磁石により、電子の進む向きを変える際に発生する高輝度のX線である。この高輝度X線である「放射光」が"極微量"の分析の検出限界の壁を破った。

その後、2010年までに42件の重要な事件解明に利用され、現在に至っている(警察庁統計)。その間、「放射光」技術も、急速な進歩を遂げ、光のビームを100ナノメートル(nm:1nmは100万分の1㎜)の大きさにまで集光し利用する技術が開発され、2011年より研究者に共用されている。物理、化学、物質科学、ナノテクノロジー、環境科学、生命科学まで、さまざまな研究分野で用いられるこの最先端の光技術が、これまでの"極微量"という特長に加えてナノレベルの極微小領域の分析を可能にし、科学捜査に"ナノの革新"をもたらそうとしている。スプリングエイトでは、昨年12月に、科学捜査への「放射光」の先端計測技術の利活用を促進することを目的として、公益財団法人高輝度光科学研究センターに「ナノ・フォレンシック・サイエンス(Nano Forensic Science)」グループを発足させた。

 

X線がもたらした近代科学捜査の幕開け

科学捜査の幕開けとして、ランドシュタイナーによるABO式血液型の発見(1901年)が挙げられることが多い。しかし、科学捜査の近代化に、最も大きなインパクトを与え、新しい道を切り開いたのは、レントゲンによるX線の発見ではないだろうか。

1895年11月8日、レントゲンは、新しい光"X線"を発見し、ヒトの手の骨や金属製ケース内のコンパス(羅針盤)の目盛と磁針がどの方向を示しているかをレントゲン写真として示し、物体内部を、X線を利用することで非破壊的に透視できることを示した。この技術は、当時としては画期的な科学捜査技術として注目され、発見後、数カ月もしないうちに、英国で発生した銃による殺人容疑事件における弾丸の人体内の検索に利用されている。ただし、この事件では、1枚のレントゲン写真を撮影するのに60分から70分もかかったことが報告されている。

一方、このX線の特性は、基礎科学的にも応用され、X線による物質の原子配列を解明する構造解析、物質がどのような元素から構成されているかを調べる蛍光X線分析法の開発、そして医学分野で多用されている病巣の検査に利用するX線CT技術などへ発展して現在に至っている。生命科学の基礎をなすDNAの二重らせん構造も、1953年にX線構造解析により明らかにされている。このDNAの特徴的な二重らせん構造を利用して、ごく微量のDNA型物質を大量に増幅させ、個人識別などに利用する"DNA型鑑定法"は、現在の科学捜査の極めて強力な手段となっている。

このように、数々のノーベル賞受賞にも寄与してきた、X線を利用した基礎科学的成果の蓄積は、現在の種々の科学捜査の礎となっている。

 

「放射光」とナノ・フォレンシック・サイエンス

そのX線に革新をもたらしたのが「放射光」の登場である。そして、科学捜査に「放射光」の有用性を実証して見せたのがスプリングエイトといえる。このスプリングエイトは、1997年、兵庫県播磨科学公園都市の一角に世界最大の大型放射光施設として建設された。この山深い地に建設されたのは、この広大な地域が堅牢で巨大な一枚岩盤で、将来、ナノスケールのX線ビームを創り出すことに必須となる、安定な地盤として最適であると考えられたからである。

建設当初の「和歌山カレー毒物混入事件」当時は、まだ「高輝度X線」ということばかりが注目されたが、15年の年月を経て、ナノスケールの「放射光」ビームを安定に創り供給する技術が確立した。今では、スプリングエイトの産業利用も、材料評価や品質保証の分析だけでなく、昨年12月に東京モーターショーで発表された(株)住友ゴムによる低燃費タイヤ「エナセーブ」の開発に活用されるなど、製品開発に直結する先端活用の時代に移行しつつある。そして、国家基幹技術であるX線自由電子レーザー施設「サクラ」も隣接する形で建設され、スプリングエイトよりも10億倍近い輝度で、世界で2番目に発振したX線レーザーとして、今年3月から供用が開始された。

しかし、スプリングエイトが、毎年2,000件前後の研究課題について利用されていることに比べれば、科学捜査における利用件数は、決して多いとはいえない。その一因は、スプリングエイト自体が極めて大きな施設であり、各都道府県警察の捜査鑑定機関に導入、設置することができないことにある。そのため、スプリングエイトが発する「放射光」の強力な特性と、その技術革新とが、科学捜査のニーズとのマッチングとの観点から、捜査関係者と科学者との間で十分に共有されなかった。

これを受けてナノ・フォレンシック・サイエンス・グループは、「放射光」の科学捜査特有の先端活用法を開発し、「真実を明らかにする光」としての「放射光」利用を促進するために発足した。Forensic Scienceとは、「法科学」と訳され、一般に警察の科学捜査よりも広い意味を持ち、「裁判(法)に関係するあらゆるサイエンス(科学)を扱う学問」として欧米では定着している。このグループでは、「放射光」の特性を活かし、例えば100nmのサイズの微小な証拠物からも真実を解明する科学捜査への利活用を犯罪捜査関係者と共有し、従来の"ミクロの物差し"から、さらに1,000倍も微小な"ナノの物差し"で証拠資料などを観察・分析し、真実を明らかにする新しい手法の開発を目指す。そして、「放射光」の科学捜査における利用制度、ナノスケールの証拠精度の信頼性についての標準化を確立していく。

 

司法改革と国際貢献

このグループの創設の契機となった要因に、司法における改革がある。2011年に、市民が裁判に参画する裁判員制度が導入されたが、この新しい制度に前後して、2010年に法律第26号によって、重要凶悪事件の公訴時効が廃止または延長された。それに伴い、未解決の重要凶悪事件に関わる遺留資料の再鑑定の実施が検討されている。必然的に、従来の分析手法では事件解決の糸口を見いだせなかったことを受けて、より高度な科学技術などを新たな捜査手法として活用することが求められている。

このような状況の中で、これまで、捜査機関サイドの研究所が中心となって行われてきた刑事事件に関する法科学的技術の開発を、スプリングエイトが中立的な機関として「放射光」を利用したナノ・フォレンシック・サイエンスの分野として開拓し、それを標準化し、刑事実務に還元する役割を担うことは重要である。さらに、国内だけでなく、国際協力を必要とする薬物乱用の阻止や撲滅への取り組みといった国際貢献への展開も、検討を開始している。このように、「安全・安心な社会構築」という課題解決に、スプリングエイトの創りだす「放射光」の活用が始まっている。

 

理化学研究所 播磨研究所 放射光科学総合研究センター 副センター長 高田昌樹 氏
高田昌樹 氏
(たかた まさき)

広島県生まれ、広島県立呉三津田高校卒。1982年広島大学理学部物性学科卒、97年広島大学大学院理学研究科博士課程修了、名古屋大学工学部応用物理学科助手。97年島根大学総合理工学部助教授、99年名古屋大学大学院工学研究科助教授。2003年高輝度光科学研究センター利用研究促進部門主任研究員、05年高輝度光科学研究センター利用研究促進部門長。06年理化学研究所播磨研究所放射光科学総合研究センター主任研究員、10年同副センター長。07年から東京大学大学院新領域創成科学研究科物質系専攻教授も兼務。理学博士。

高輝度光科学研究センター 利用研究促進部門 ナノ・フォレンシック・サイエンスグループ リーダー 二宮利男 氏
二宮利男 氏
(にのみや としお)

大阪府生まれ、大阪府立北野高校卒。1966年大阪大学理学部卒、71年大阪大学大学院理学研究科博士過程修了。71年大日本塗料株式会社技術開発部。82年兵庫県警察本部科学捜査研究所主任研究員、95年兵庫県警察本部科学捜査研究所次長、2000年兵庫県警察本部科学捜査研究所長。03年財団法人地球環境産業技術研究機構。05年財団法人高輝度光科学研究センター産業利用推進室特別研究員、コーディネーター、11年から現職。理学博士。

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