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コラム - オピニオン -

がれきからの再生

岩手大学 名誉教授・特任教授 菅原正和 氏

掲載日:2011年5月17日

岩手大学 名誉教授・特任教授 菅原正和 氏

菅原正和 氏

 

冬が長い東北の人々にとって、桜の開花と散り際に対する思いはまた格別である。

岩手米内浄水場の桜は弘前城より南にありながら開花が遅く、天然記念物の石割桜が散った5月の連休すぎに見ごろを迎える。新渡戸稲造の歌に『見ん人の為にあらで 奥山に 己が誠を咲く櫻かな』とある。これと対照的に、大船渡市の赤崎小学校の校庭に咲いた桜は、満身創痍(そうい)、枝は折れ、津波の漂流物が絡まっていても必死に咲いて人々の傷ついた心を癒(いや)し、生きることのつらさと尊さを語りかけている。津波で壊滅した名勝(めいしょう)高田松原で、1本だけ奇跡的に生き残った樹齢200年の松を、陸前高田の人々は塩害から守ろうと力を合わせている。

国敗れて山河有り。巨大津波で街ががれきと化した跡を見て、第二次世界大戦の空爆で焼け野原と化した光景と重複してしまうという古老が少なくない。世界一の防潮堤も無残に津波で打ち砕かれた釜石湾は、かつて戦争の艦砲射撃で破壊されつくした。

私が生まれたのはミッドウェー海戦で日本が敗れ、焦土と化していく時代であった。空腹と貧しさのみが記憶に残り、便所にはティシュはおろか新聞紙もなく、代わりに藁(わら)と縄がよく置いてあった。小学校1年生の時の白黒写真を見ると、洋服を用意できない和服姿の子どもが多く、ベルトの代わりがひもではなく縄で縛っている。

しかしこの子たちは後に15歳で中学を卒業してから、今回の地震で寸断された東北本線とその支線の夜汽車に乗って都市部へ集団就職し、日本の高度経済成長の担い手となって、今日の高度な技術と教育水準を有するわが国の礎を築いていったのである。

第二次世界大戦で310万人の戦死者を出しながら、原爆でもはや草木も育たないかもしれないと言われたほど焦土と化した広島・長崎をも美しい街に復興させた先人に倣(なら)い、生き残ったわれわれ一人ひとりが被災者に『己が誠を尽くす』ときにのみ、わが国はがれきから再生できる。

 

岩手大学 名誉教授・特任教授 菅原正和 氏
菅原正和 氏
(すがわら まさかず)

菅原正和(すがわら まさかず)氏のプロフィール
岩手県立一関一高卒。1976年北海道大学大学院文学部教育学研究科博士課程修了、1988-91年カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)医学部神経精神医学研究所研究員、1991-2009年岩手大学教育学部教授、2009年尚絅学院大学大学院研究科長、教授、2011年同大退官、現在に至る。日本学術振興会奨励研究員・研究者養成事業審査員(心理学)。専門は生理心理学、神経心理学、PTSD(心的外傷後ストレス傷害) の心理療法。著書論文はPrestimulation-induced modulation of the P300、 component of ERPs accompanying startle in children(1994)。 An analysis of stimulus procedures for EMDR(2001)。 A comparative study of psychological well-being(2010)など。

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