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VRの飛行体験で高所恐怖症を軽く 「落ちても飛べる」予測を獲得、NICT

2025.06.12

 バーチャルリアリティ(VR)で低空を自由に飛行する体験をすると、高所恐怖症傾向にある人の生理的、主観的な恐怖反応がともに軽減することを情報通信研究機構(NICT)が明らかにした。脳で「自分の行動により安全な状態に移行できるという予測」をすることが、恐怖を消去する新たなメカニズムとなる可能性が示された。VRが高所恐怖症治療法に使えるかもしれないと期待できる。

VR実験で被験者はヘッドセットを付け、コントローラーを持った手でどれだけ汗が出るかを皮膚の電気抵抗で計測した。足の動きもフットトラッキング装置で追った(NICT提供)
VR実験で被験者はヘッドセットを付け、コントローラーを持った手でどれだけ汗が出るかを皮膚の電気抵抗で計測した。足の動きもフットトラッキング装置で追った(NICT提供)

 NICTの春野雅彦脳情報工学研究室長(計算論的神経科学)によると、人が恐怖を克服するために、これまでは恐怖を引き起こす状況を繰り返し体験する方法が主流だった。「この状況は危険ではない」という記憶を学習していくメカニズムによって克服しているとみられる。

 しかし、高所恐怖症のような場合、実際に高い場所に何度も行くのは現実的ではない。コンピューターが作り出した仮想的な空間を現実であるかのように疑似体験できるVRを使えば、「自分が行動すれば安全な状況に移行できる」と予測して恐怖を和らげる可能性があると春野室長らは考えた。

 研究室がある大阪大学の学生などに、高所恐怖症の度合いを測る質問をし、高所恐怖症傾向のある被験者を85人集めた。VRの体に慣れるためのタスクを行った後、VRで地上80階、300メートルの高層ビルから突き出た板の上を歩いてもらい、指に貼った電極で皮膚電気抵抗を測り、どれくらい「手に汗を握っている」かを生理的恐怖反応として数値化した。

 また、参加者に「全く怖くない(0)」から「ガマンできないぐらい怖い(10)」まで11段階のうちで、怖さの度合いがどのくらいかを選んでもらうことで主観的恐怖反応を数値化した。その後、VR空間を両手に持ったコントローラーで自由に方向操作をしながら高さ5メートル以下の低空飛行を7分間行う44人の飛行群と、自らは方向操作せずに他人のVR飛行映像を視聴する41人のコントロール群に分けた。さらに、飛行群とコントロール群ともに再びVRで高層ビルの板を歩いて生理的恐怖反応と主観的恐怖反応を計測した。

両手のコントローラーで方向操作をしながらVRで低空飛行を行った人(左)と、自らは方向操作せずに他人のVR飛行映像を視聴するだけだった人(NICT提供)
両手のコントローラーで方向操作をしながらVRで低空飛行を行った人(左)と、自らは方向操作せずに他人のVR飛行映像を視聴するだけだった人(NICT提供)

 飛行群とコントロール群ともに、VRで高層ビルの板の上を最初に歩いたとき(1回目の高所歩行)よりも2回目の高所歩行の方が皮膚電気抵抗から分かる発汗量も怖さの度合いも下がったが、飛行群は発汗量の低下が大きかった。同じような実験を飛行群46人、コントロール群28人で行っても同様の結果だった。

VRで高層ビルの板の上を歩く高所歩行タスクを2回行うと、発汗量(皮膚電気抵抗SCR)は、自分が操作してVR飛行体験を行った飛行群の方が、視聴しただけのコントロール群より下がった(NICT提供)
VRで高層ビルの板の上を歩く高所歩行タスクを2回行うと、発汗量(皮膚電気抵抗SCR)は、自分が操作してVR飛行体験を行った飛行群の方が、視聴しただけのコントロール群より下がった(NICT提供)

 実験後に行ったアンケートのデータを用いて生理的恐怖の減少量との回帰分析を行うと、2回目の高所歩行の時に「自分は飛行できるので落下しても危険ではない」と感じるほど生理的恐怖が下がっていることも明らかになった。

 今後はVRでの高所恐怖症の低減が現実世界で長期的な効果を持つかなどが確認できれば、VRを用いた実際の治療や支援の応用が期待できるという。研究は、科学技術振興機構(JST)の戦略的創造研究推進事業やJSTムーンショット型研究開発事業、文部科学省科学研究費助成事業の支援を受け、5月13日に米国科学アカデミー紀要(PNAS)電子版に掲載された。

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