観光客に親しまれてきた奈良公園(奈良市)のシカは1000年以上前に祖先集団から分岐し、その後独自の遺伝子型を持つ系統として長く生き残ったことが、福島大学などの遺伝子解析の結果から明らかになった。研究グループは、奈良のシカが消滅することなく生存できたのは「神の使い」などとして手厚く保護された証とみている。
奈良のシカは、日本を代表する大型野生動物であるニホンジカの仲間。ニホンジカは国内では北海道から南西諸島に至るまで広く生息している。この中でも奈良公園周辺のシカは1957年に「奈良のシカ」として国の天然記念物に指定されている。奈良県の調査では昨年7月時点で約1200頭いるという。
福島大学共生システム理工学類の兼子伸吾准教授と理工学研究科大学院生の高木俊人さんや山形大学、奈良教育大学のグループによると、ニホンジカは古くから狩猟対象だったが、春日大社(奈良市)などでは古来信仰対象だった。現在では貴重な観光資源だが、奈良のシカの由来に関する遺伝的研究はほとんどなく、周辺地域のシカとの遺伝的違いも不明だった。
このため研究グループは奈良公園周辺のほか、京都、三重、和歌山の4府県の野生のシカ294頭分の筋肉や血液を収集。DNAを抽出し、母から子に伝えられるミトコンドリアDNAの遺伝子型(ハプロタイプ)などを分析した。ミトコンドリアDNAのハプロタイプ解析は同一種の集団分化を調べるときの有力な研究手法だ。
その結果、紀伊半島内ではミトコンドリアDNAのハプロタイプが18種確認されたが、奈良公園のシカは他地域では見られない1種だけが検出された。さらに、父親と母親の双方から伝わる核DNAの解析をしたところ、紀伊半島のシカは、奈良公園、紀伊半島東部、同西部の3集団に大別されることが判明した。
さらに祖先集団から1000年以上前、恐らく1400年程度前に奈良公園のシカ集団が分岐し、約500年前に半島東部、同西部の2集団に分かれたと推定できた。半島中央のシカは東部と西部双方のシカが混合していたという。
世界遺産にも登録されている春日大社は768年創建とされている。奈良のシカが独自の系統として分岐した推定年であり、恐らく飛鳥時代だったと思われる時期とほぼ重なる。このため研究グループは、狩猟や開拓によって多くのシカ集団が消滅する中で、奈良のシカだけが春日大社の「神の使い」「神鹿(しんろく)」として春日大社周辺で人間の手によって手厚く保護され、その結果、他のシカ集団と交流がないまま独自の遺伝子型を持つ系統として維持されてきたとみている。
兼子准教授らは今回の研究により、奈良公園のシカは1000年以上もの長きにわたって人々に守られてきた特殊な存在であり、生きている文化財のような存在だったことが明らかになった、としている。研究論文は1月31日付の米哺乳類学会誌電子版に掲載された。
関連リンク
- 福島大学プレスリリース「「奈良のシカ」の起源に迫る ―紀伊半島のニホンジカの遺伝構造とその形成過程―」