宇宙大国米国で初めて地球周回に成功した元米宇宙飛行士で8日に95歳で死去したジョン・グレン氏の葬儀が米時間17日、故郷のオハイオ州のオハイオ州立大学公会堂で行われた。グレン氏は米上院議員を24年も務め、77歳だった1998年には日本人宇宙飛行士の向井千秋さん(現・東京理科大学副学長)とスペースシャトル「ディスカバリー」(STS−95ミッション)に搭乗している。米航空宇宙局(NASA)は葬儀の模様を「NASAテレビ」で中継。同テレビによると、バイデン副大統領ら大勢の政界の著名人、宇宙開発関係者、友人らが臨席し「アメリカンヒーロー」の死を悼んだ。
NASAテレビの中継によると、NASAのボールディン局長は「われわれはこれからジョンの肩に乗って火星を目指す」などと弔辞を述べた。遺体はワシントン郊外のアーリントン国立墓地に埋葬される。グレン氏はオハイオ州内の病院で8日死去したが、その直後にオバマ大統領は「勇気と探求心があれば高いところに到達できることをグレン氏は教えてくれた」などとする声明を発表している。
グレン氏は、オハイオ州出身で、第2次大戦では海兵隊戦闘機のパイロットとして従軍。その後1958年に米国の宇宙飛行士の先駆けとして「マーキュリー計画」に従事し、62年2月に有人宇宙船「マーキュリー6号/フレンドシップ7」で米国で初めて地球周回軌道を回った。旧ソ連のユーリ・ガガーリン飛行士が地球を1周した翌年にグレン氏は3周回ったため、一躍アメリカンヒーローになった。グレン氏の宇宙飛行成功はその後のアポロ計画を大きくけん引する結果となった。74年には民主党の上院議員に初当選し、以後24年間務め、その間民主党の大統領候補指名争いに出馬したこともある。
98年10月から11月にかけてグレン氏は、ディスカバリーに向井さんらと約9日間搭乗。自ら「被験者」となって血液を提供、無重力が老化現象に与える影響研究などに貢献し、宇宙飛行の最高齢記録を打ち立てた。地上に帰還後は元気な姿で記者会見に臨み、向井さんの奮闘をたたえながら「年齢に関係なく自分が何をしたいかで行動すべきだ」などと語っていた。翌年99年1月 には来日して当時の科学技術庁長官だった有馬朗人氏を訪問、その際有馬氏はグレン氏に「高齢者に夢を与えてくれてありがとう」との言葉をかけている。
関連リンク
- NASAホームぺージ
- NASAプレスリリース「NASA Television to Air Programs Celebrating Space Pioneer John Glenn」
- NASA-STS-95プレスリリースMission Archives
- The White HouseOffice of the Press Secretary「Statement by the President on the Passing of John Glenn」
- NASAホームページから「Profile of John Glenn」