「勉強するには食前がよい」とも言われる。東京都医学総合研究所の平野恭敬主任研究員や齊藤実参事研究員、首都大学東京などの研究グループは、空腹状態になると記憶力がアップする仕組みを、ヒトの記憶メカニズムと共通性をもつショウジョウバエを使った実験で明らかにし、25日の米科学誌「サイエンス」に発表した。
研究グループは、記憶についてショウジョウバエを用いた過去の研究を検証した。ハエに1つの匂いと電気ショックを同時に与えると、その匂いを電気ショックと関連付けて学習し嫌いになる[嫌悪学習]。しかし、嫌悪の記憶が“長期記憶”として保存されるには、1回だけの学習では不十分で、15分間隔で何度も復習させることが必要となる。一方、1つの匂いと砂糖水を与えると、ハエはその匂いが好きになる[報酬学習]。この報酬の記憶は1回の学習だけでも長期記憶になることが分かっていた。ところが報酬学習の実験では、効率的に砂糖水を飲ませるために、ハエを空腹状態にしていたことに気がついた。
「空腹状態が長期記憶を作るために重要ならば、空腹状態にしたハエに嫌悪学習をさせれば、1回の学習でも長期記憶ができるはず」。研究グループは、ハエを絶食させた後に1回だけ嫌悪学習させて1日後に記憶を確かめてみると、予想通り長期記憶として保存されていた。記憶していたハエの割合は9-16時間絶食させた時が最も高く、満腹状態の約2倍あったという。
長期記憶のメカニズムはショウジョウバエから哺乳類まで共通しており、脳の神経細胞では「CREB」というタンパク質が必要となる。CREBが機能するためには、さらに「CBP」と「CRTC」というタンパク質が必要となることから、これらの機能を抑える実験をしたところ、満腹時の複数回の学習による長期記憶にはCBPが重要で、空腹時の1回の学習で作られる長期記憶にはCRTCが重要であることが分かった。神経細胞の観察では、CRTCは空腹時には細胞質から細胞核に移動し、CREBと結合していた。
空腹時には血液中の糖分(血糖値)が低下し、その結果、すい臓からのインスリンの分泌が低下する。インスリン低下によって逆にCRTCは活性化することから、遺伝的にインスリンの働きが低下しているハエで調べたところ、満腹状態でも1回の学習で長期記憶が作られた。
これらのことから、満腹時には複数回の学習により、CREBがCBPと結合して活性化することで長期記憶が作られるが、CRTCはインスリンによって核外の細胞質にとどめられているために長期記憶形成に関係しない。空腹時にはインスリン分泌量が少ないために抑制が外れ、CRTCが核内に移動してCREBと結合しているために、1回の学習でも長期記憶が作られるというメカニズムが明らかとなった。
研究グループは、ショウジョウバエでは適度な空腹状態ではどんな記憶でも長期記憶になるが、過度の空腹で飢餓状態に陥ると、食べ物の「報酬記憶」だけが長期記憶になり、他の記憶は長期記憶にならないことも発見した。「空腹で記憶力をあげる時には注意が必要だ」としている。