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東電事故調・最終報告書の要旨〈その2〉

2012.07.05

第5章 災害時の対応態勢の計画と実際

 〈今回の事故における対応状況〉

    1. 非常態勢並びに緊急時態勢の確立
      • 福島第一原子力発電所では、地震直後、非常態勢の要員等が免震重要棟で活動を開始するとともに、一般職員は避難場所である免震重要棟脇の駐車場において人員確認を行った上で免震重要棟へ入った。
      • 大津波の襲来による全交流電源喪失事象の発生を受け、3月11日15時42分に原災法第10条通報を行ったため、本店内に緊急時対策本部(原子力災害)が設置され、以後、非常災害対策本部(一般災害)と緊急時対策本部(原子力災害)の合同本部体制となった。
      • 原子力発電所の事態の進展に伴う原災法第10条通報、第15条報告は、遅滞なく実施できたが、交流電源のみならず直流電源さえも1号 機、2号機ともに喪失し、プラント情報が見えない、プラント情報を把握するには時間を要する、地震の継続、津波警報の継続など、様々な要因からプラントに 関する情報がなかなか得られない状況に陥った。
      • 本店では小森原子力・立地本部副本部長が、本店緊急時対策本部の本店対策本部長代行を務めていたが、官邸、原子力安全・保安院等との 電話対応に追われた。また、後述する格納容器ベントの政府への申し入れで、海江田経済産業大臣への説明に伺うなど離席することもあり、本店緊急時対策本部 の席で事故対応に専念しにくい状況であった。
      • 事故規模の大きさの問題や、プラントデータが少ないことによるプラント状態の把握の難しさなどから、当社が行うプレス発表などにおけ る説明要員として技術系社員で対応せざるを得なかったことから、この間、時間単位ではあるが事故対応にあたれないという、事故対応の面からは好ましくない 結果を招いた。

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    1. 国への情報提供
      • 通報連絡のほかには、原子力安全・保安院の緊急時対応センター(ERC)に3-5名を連絡者として派遣し、本店対策本部とのコミュニケーションを図った。派遣した連絡者はERCプラント班のテーブルに同席し、パイプ役として原子力安全・保安院からの問い合わせに対応した。
      • 調査が必要でその場で回答できなかった問い合わせは、本店緊急時対策室の各班や発電所に問い合わせを行って回答した。経路は、本店対 策本部官庁連絡班から本店対策本部情報班を経て、発電所対策本部情報班から発電所対策本部各班となっており、本店-発電所間の窓口をひとつにすることで、 発電所への問い合わせが錯綜しないようにした。
      • 原子力安全・保安院からの質問は記録として残っているものだけで、3月11日から15日までに224件にのぼった。
      • 原子力安全・保安院の次に問い合わせが多かったのは、官邸からである。現在、記録が残っている件数は15日までに32件あるが、発災 初期の問い合わせはほとんどなく、14日頃から増えている。原子力安全・保安院を通じないで直接聞くという確認経路が定着してきたものと思われる。
      • 官邸からの要請により、13日6時20分に官邸から発電所へ直接かかる電話回線を構築した。それまで、発電所へは一般回線はかかりに くい状況であったが、これにより、直接官邸から電話が発電所へ行くようになった。発電所長によると、総理を始め官邸にいるメンバーからたびたび問い合わせ があったとのことである。本店、発電所の対策本部では、このような問い合わせへの対応のため一定程度の要員が割かれる事態となっていた。
      • 官邸では本来のルートから情報が得られなかったため、当社から直接情報を入手するという方法に至ったものと推測される。
      • しかし、全電源喪失に伴い採取可能なプラントデータが限定的であり、さらに、発電所対策本部と現場の通信手段が少なく、情報を得るこ と自体に時間を要する状況であったことから、本店対策本部、発電所対策本部ともにプラントに関する情報量が絶対的に少なく、伝達できる情報は限られてい た。
      • 本来であれば、原子力災害対応の拠点であり、政府や原子力安全・保安院の関係者も集まるオフサイトセンターにも発電所の情報は集約さ れ、オフサイトセンターからも経済産業省や官邸の原子力災害対策本部へ送られることから、当社の対策本部への問い合わせが多くなることは考えにくい。関係 機関との間の情報流通を難しくした要因の1つは、オフサイトセンターが機能しなかったことにあると考えられる。
      • 当初は福島第一原子力発電所の免震重要棟に詰めていた国の原子力保安検査官は、3月12日朝に全員がオフサイトセンター側に移動し、 13日に一旦発電所に戻るが14日夕方以降再度オフサイトセンターに移動、翌日の原子力災害現地対策本部の移転に伴い福島県庁に移動した。このため、3月 12日以降、復帰する22日まで、国の保安検査官は福島第一原子力発電所にほとんど不在であり、最前線である福島第一原子力発電所から経済産業省への情報 は当社から提供するものに限られた。

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    1. 周辺地域への情報提供
      • 今回の地震発生以降の福島第一原子力発電所から関係自治体への通報については、福島県、立地4町へファックスまたは電話にて連絡を行った。浪江町については、通信手段の不調により、結果として電話連絡がとれなかった。
      • 原子力発電所の所在4町には、3月11日から当社社員が帯同し、状況説明等を実施した(帯同できない日も適宜当社社員が訪問)。浪江町には13日から社員が訪問し、状況説明を実施し、15日からは帯同した。
      • 周辺地域への情報提供としては、原子力災害時には、国等による一元的な広報活動となることから、社内ルールの適用外としていたが、今 回の事故ではオフサイトセンターが機能しなかったことから、臨機の対応として社内ルールを準用し、当社独自に住民の方への情報提供活動を実施した。
      • 具体的には、3月11日の夜から福島県内局のラジオ放送を使った情報提供、県内民放各局のテレビテロップによる情報提供、福島第二原子力発電所の広報車両を使った巡回による住民の方への周知を実施した。

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    1. 情報公開
      • 今回の事故においては、当初予定していたオフサイトセンターでの一元的なプレス発表ができなかったことから、官邸、原子力安全・保安 院、福島県及び当社が各々にプレス発表を行う形となった。また、プラント状況や通信事情などにより限られた情報しか得られず、プラント状態が把握できにく い状況の中、広報活動については、様々な問題が生じた。
      • 3月12日に福島第一1号機の原子炉建屋が爆発したが、その状況を、爆発後の原子炉建屋の写真を用いて、当社福島事務所が福島県に説明している様子が全国ニュースで放送された。この写真の使用については、本店、官邸ともに把握していなかった。
      • 特に官邸はこのニュースに対して、官邸が知らない写真を使って広報している経緯を説明するよう、官邸で対応の当社社員に求め、事実関係を確認の上回答したところ、官邸から「由々しき問題」との指摘を受けた。
      • この問題で、清水正孝社長は3月13日午後2時頃に官邸を訪問し、強い注意を受けた。清水社長は社内関係者に対し、「今後広報する時は、まず官邸にお伺いをたてて、官邸の許しが出るまでは、絶対に出してはいけない」と指示した。
      • プレス発表の内容を官邸及び原子力安全・保安院に事前に送付し、了解を得た後にプレス発表を行うことで徹底したが、その事前了解のプロセスにより、プレス発表のタイミングや内容に一定の制約が生じた。
      • 統合本部が設置された3月15日以降も、原子力事故に関するプレス発表は、官邸、原子力安全・保安院及び当社の3者で行われていたが、それぞれの会見における説明内容にずれが生じ、報道機関から指摘を受けることもあった。
      • プラントの状態や通報連絡の内容については、当社から原子力安全・保安院にタイムリーに報告していた。プレス発表資料については、そ の完成がプレス発表直前となり、官邸及び原子力安全・保安院との調整に十分な時間がとれないこともあった。官邸及び原子力安全・保安院からは「プレス発表 資料の提供が遅い」との指摘があったため、資料の作成段階から、官邸及び原子力安全・保安院に事前連絡を行うように改めた。
      • 「統合本部としての一体的な広報」を行う意向が細野豪志内閣総理大臣補佐官より示され、その結果として、当社のプレス発表前に課長ク ラスの社員が原子力安全・保安院広報班に発表資料の説明を行い、事実関係における両者の認識の「摺り合わせ」を行うよう、原子力安全・保安院から当社に指 示が出された。
      • 「摺り合わせ」という表現ながら、実際は当社プレス発表資料に対する一方的な確認が行われるのみであり、原子力安全・保安院のプレス発表資料については、「規制当局の見解が含まれうる」との理由から、当社が事前に確認することは認められなかった。
      • これを受け、当社プレス発表の内容を国と調整する専任のチームを社内に設置し、国との調整機能を強化せざるをえなくなった。
      • 政府、原子力安全・保安院、当社の三者別々による記者会見のスタイルでは、各々の会見内容に若干の相違が生じる。これを問題視した細野補佐官からの打診により、会見の一本化に向けた調整が行われた結果、4月25日から統合会見が始まった。

       〈社外からの指摘〉

       ■ 情報公開に時間を要した要因

        • 今回全電源喪失に伴って、中央制御室ではプラント監視機能のほとんどを喪失し、確認できるプラントデータが限定的であり、また、その入手に時間を要したことが、情報公開までに時間を要した。
        • 通信環境の悪化に伴い、中央制御室と発電所対策本部間の情報伝達は困難を極めた。このため、発電所と本店対策本部間はTV会議システムなどを通じて情報共有ができていたものの、本店からプラントの事故状況を迅速に伝達できる状況にはなかった。
        • 今回のような原子力災害時に「どのような情報をより迅速にお伝えしていくのか」、社内に具体的な定めがなかった。
        • 複数のプラントで同時に事象が進展するなか、報道に携わる者が、周辺住民や国民の安全に関わる「特に迅速にお伝えすべき情報」について、その内容や評価を十分に把握できないまま対応を余儀なくされた。
        • 当社がプレスするにあたり、官邸や国への説明など、事前調整が必要だった。

       ■ 「情報隠し」の指摘

        • 当社は過去に「データ改ざん」などの不祥事を起こしたことがあり、報道においては、この不祥事の事例を引用しながら、当社の情報公開姿勢に疑問を呈するものが見られた。
        • 情報を隠蔽したり、改ざんしたりする意図はなく、そのような事実はなかったが、情報公開や記者会見におけるデータ公開時の説明不足、作業環境などの問題、リソース上の限界など、当社の対応にも至らない点はあった。

       ■ 「炉心溶融を認めず、事態を矮小化しようとした」との指摘

      • 憶測や推測に基づく説明を記者会見で行うことは極力控えていた。
      • 「炉心溶融」や「メルトダウン」といった用語については言葉の定義自体が共通認識となっておらず、あたかも「炉心全体が溶融し落下している状態」を断定するかの意味合いで用いられる懸念もあった。
      • 限られたデータからできるだけ正確に分かっていること、すなわち「格納容器雰囲気モニタ(CAMS)」の計測データにより「燃料棒被 覆管に損傷が生じていることは、ほぼ間違いない事実」と認められるので、その状態を「燃料損傷」の用語で説明し、「ペレット等が一部溶けて被覆管からむき 出しになっていることはあると思う」などと、具体的表現を用いるよう心掛けていた。
      • 正確な表現に努めようとしたことが、かえって「事象を小さく見せようとしている」との指摘につながった可能性がある。
      • 「炉心溶融を否定し続けてきた」といった報道もあるが、記者会見などでは当初から「具体的に断定・判断するだけの材料がない」→「可能性はある」→「被覆管が溶融している可能性も含めて対応を検討していく」などと回答しており、否定し続けた事実はなかった。

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      1. 人員派遣と活動状況

 ■ 政府、総理官邸

  • 3月11日19時03分、官邸に原子力災害対策本部が設置された。その設置以前に、「原子力について話を聞きたいので誰か来てほしい」との漠然とした要請があった。本店対策本部のスタッフながら、特定の機能班を受け持っていなかった原子力部門の部長を派遣することとした。
  • 説明には菅直人内閣総理大臣も同席するとの話があったために、より上位職の者を出すことになり、直接的には福島事故対応をしていなかった武黒フェローをも派遣することとし、他に2名を加えた4名を急遽、技術補助者として派遣した。
  • 官邸での説明の後、帰社する途中で、官邸から「戻ってきてほしい」という連絡が本店にあったとのことから、武黒フェロー以下全員が急遽もう一度官邸に向かった。
  • これらの者は、官邸地下階にある官邸危機管理センターの関係機関の控え室を見下ろす位置(中間階)にある部屋で待機した。(その後、15日までの間、一部の時間を除いて官邸に常駐し、必要に応じて総理執務室などに呼び込まれる形で時々の質問に対応した)
  • 官邸の危機管理センターや待機した中間階の部屋においては、携帯電話の通信が遮断され、外部との連絡もできなかった。危機管理セン ターから情報を与えられることもなかったために、派遣された4名の情報源は基本的に部屋に設置されていたテレビしかなかった。途中、危機管理センターにあ る固定電話を借りて外部と連絡をとったが、得られた情報は限られていた。
  • 3月12日、原子力部門の部長は、菅総理から呼ばれて官邸にいたという「総理の知人」から米国スリーマイルアイランド(TMI)原子力発電所の事故について聞きたいと要請があり、説明した。
  • 総理から発電所長に電話があり、総理及び「総理の知人」から「TMI事故の原因はタービン設備へ導くべき蒸気を止めたために起こった 事故である」として、タービン復水器に蒸気を送り原子炉を冷却することの提案があった。これに対して福島第一、第二原子力発電所のそれぞれの発電所長は、 この時のプラントの状態ではタービンの復水器では冷却できないことを説明している。
  • この電話対応には数十分費やした。現場実態と乖離した指導の中にはこのようなものもあった。なお、この「総理の知人」は後日(3月20日)に、内閣官房参与に任命されたとのことである。
  • 派遣者らは、12日(土曜日)昼頃から14日(月曜日)未明までは、官邸5階の部屋に移され、外部との通信状態も改善された。この頃から、当社からの派遣者らは、官邸5階の総理大臣応接室などで開催される会議に参加し、本店から得られた情報を説明するようになった。
  • 派遣者らは14日未明から、危機管理センターとは離れた位置にある官邸地下階の部屋に移され、徐々に危機管理センターを中心とした対 応をすることとなった。15日には東電本店に統合本部が設置されたが、官邸にいる当社からの派遣者には、それまでに議論になったとされている「全面撤退」 の話も含めて、事前に問い合わせなどはなかった。
  • 官邸については、原子力災害時に当社から要員を派遣することにはなっていなかったが、上記4名とは別に、官邸の危機管理センターへの 要員派遣の要請があった。このため、3月13日以降、官邸2階に4-5名程度社員の派遣を増員するとともに、3月14日以降は地下の危機管理センターにも 4名程度の社員を派遣し、24時間体制で常駐させた。
  • 官邸への情報提供についても、経済産業省を通さず当社へ直接提供を求められることが多かった。情報提供内容については、官邸側の質問に対応する他、モニタリングポストの線量やプラントパラメータなど、順次定例的な情報も提供していくこととなった。
  • 官邸への直接的な人員派遣以外にも、前述した格納容器ベントの実施に関する国への申し入れについては、既に1時30分頃、1号機及び 2号機のベントについて了解を得ていたが、3月12日2時34分、小森原子力・立地本部副本部長などが海江田大臣を訪問し、プラント状況の説明を行い、2 号機を優先してベントを実施することについて申し入れを行った。菅総理には海江田大臣から説明をすることで政府として了承され、同日3時に格納容器ベント の実施について、海江田大臣同席で格納容器ベントに関するプレス発表をした。
  • 3月12日6時14分、菅総理は班目春樹原子力安全委員会委員長とともに官邸をヘリで離陸し、7時11分に福島第一原子力発電所グラ ウンドへ着陸した。オフサイトセンターの要員として現地にいた武藤原子力・立地本部長が出迎え、吉田所長は発電所対策本部を約20分間離席し、プラント状 況や格納容器ベントに関する作業状況の説明を行った。菅総理は8時04分に同発電所を離陸した。
  • 当社は原災法や原子力事業者防災業務計画に基づき、プラント情報などを国などの関係機関(原子力安全・保安院はもとより、官邸内危機管理センターなど)へ随時提供していたほか、原子力安全・保安院に派遣した連絡者を通じて、国からの質問等にも答える態勢をとっていた。
  • 官邸は、予め定めている原子力安全・保安院からの連絡経路を利用せず、また、一部情報は危機管理センターに送信されていたがそれらの 利用もせず、直接原子力発電所と連絡をとれる方法を要請してきた。菅総理の命を受けた細野補佐官の強い要請で、官邸から発電所長へのホットラインが開設さ れた。官邸からの質問には、基礎的な質問や官邸・国が担うべき退避範囲の妥当性に関する質問が含まれていた。
  • 吉田所長には、細野補佐官の携帯電話番号や細野補佐官の秘書の携帯電話番号が知らされ、社内電話回線を使って直接連絡をとることと なった。吉田所長が直接報告した内容としては、「3号機の水素爆発直後に1号機と同様に格納容器圧力に変動がないこと(=損傷がないと思われること)」 「負傷者の状況」「2号機の原子炉への注水がうまくいかない中で、場合によっては大きな炉心溶融になる可能性があること」などを適宜、細野補佐官に連絡し た旨が吉田所長の証言として得られている。
  • なお、3月15日4時17分頃に官邸に呼び出された清水社長は、菅総理から直接に「撤退するつもりであるか否か」についての真意を問われた。それに対して、清水社長は全員撤退については考えていないと回答した。(撤退問題の詳細については別途記載)

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    1. オフサイトセンターでの活動状況
      • 当社からの3月11日16時45分に行われた原災法第15条報告により、約2時間後の同19時03分に、内閣総理大臣から「原子力緊 急事態宣言」が発令されるとともに、官邸に「原子力災害対策本部」が、現地の緊急対策拠点であるオフサイトセンターに「原子力災害現地対策本部」(原子力 災害合同対策協議会)がそれぞれ設置された。
      • オフサイトセンターの原子力災害現地対策本部は、その開設時には、福島第一、第二原子力発電所からの要員派遣のほか、本店からは原子 力・立地本部長などが派遣され、即座に判断できる体制としていた。しかし地震による外部電源の停電や非常用ディーゼル発電設備の故障の影響もあって当初活 動ができない状態となっており、一部要員を除き、オフサイトセンターが開設される翌12日まで待機となった。
      • 11日深夜に原子力災害現地対策本部の本部長である池田経済産業副大臣が「オフサイトセンターに入る」との連絡を受け、福島第一原子 力発電所は、事情をよく把握しているユニット所長1名を池田副大臣への説明者としてオフサイトセンターへ派遣した。派遣されたユニット所長は、1号機のベ ントの必要性について状況を説明した。情報については、繋がりにくい携帯電話で本店や発電所と連絡をとり、何度か池田副大臣に説明した。
      • 本店から派遣された原子力・立地本部長などは、前述したように18時頃には福島第二原子力発電所に到着しており、内閣総理大臣から原 子力緊急事態宣言が出された19時03分にはオフサイトセンターへの要員派遣の準備は整っていた。しかしながら、オフサイトセンターが開設されなかったた めに、翌12日未明まで待機となった。
      • オフサイトセンターは、周辺住民に対する広報活動や住民避難、屋内待避区域の設定、避難誘導などを行う拠点となるものであったが、3 月11日20時50分には福島県による一部周辺住民への避難指示、同21時23分には政府による福島第一原子力発電所半径3㎞圏内の住民に対する避難指示 など、オフサイトセンターが開設する前に避難措置などが動き出した。避難指示については距離を変えて何度か発出されたが、本来オフサイトセンターで決める べき事項でありながら、実際にはテレビで枝野幸男内閣官房長官の発表を聞いて知るような状況に陥っていた。
      • オフサイトセンターは当初開設されなかったため、全面的な人員派遣は見合わせられていたが、12日3時20分に活動が開始されたとの 情報を受け、当日中には合計28名(14日は最大で38名)が同所での活動を開始した。この人数には、本店対策本部から発電所支援のために来て、活動開始 以降12日中にオフサイトセンターへ入った原子力・立地本部長以下5名の要員も含まれている。
      • 本店から派遣されていた武藤原子力・立地本部長は、オフサイトセンターの運営の実情などを勘案して本店対策本部へ戻ることとし、本店から新たに派遣された小森原子力・立地本部副本部長と14日に交替した。
      • その後、原子力事故の進展によって、オフサイトセンター内や周辺の放射線量の上昇や食料不足が生じ、これに伴い継続的な活動が困難になったとの判断がなされ、15日に原子力災害現地対策本部は福島県庁に移動した。
      • オフサイトセンターの福島県庁への移動に伴い、福島第一、第二原子力発電所から派遣されていた人員も、福島第一ユニット所長以下、放 射線管理業務を行うメンバーなどが発電所での事故対応に当たるべく、小森原子力・立地本部副本部長の了解を得て発電所に戻ることとし、オフサイトセンター 対応者の再編成を行った。

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  1. 撤退問題
    • 一部報道において、東京電力が福島第一原子力発電所から全面撤退しようとしているという官邸内の認識のもとに、総理が「撤退を食い止 めるためには東電に乗り込むしかない」として、当社本店で発言するに至る経過が連載され、また、民間の事故調査報告書を踏まえ、「福島フィフティーが残留 したということは、ある意味では菅首相の実は最大の功績であったかもしれない」などとの主張も見られる。
    • 当社は全面撤退しようとはしておらず、本件については2011年12月2日に公表した中間報告書別冊において解明・報告済の事項と考えていたが、このような情勢に鑑み、改めて事実関係の調査・整理を行った。
    • 当社としては「事態収束のため社員が残って対応した」あるいは「自ら戻って対応した」という厳然たる事実があり、決して「全面撤退し ようとしていたこと」はない。結局のところ、撤退問題とは福島第一原子力発電所の現場が事故対応を継続したという事実が、はたして「総理の撤退拒否の言動 の結果であったのか否か」ということである。

     ■ 清水社長から海江田大臣への電話連絡

    • 津波発生後4日目の3月14日、2号機の原子炉水位が低下していることから、当社は13時25分、原子炉隔離時冷却系の機能が喪失し たと判断した。有効燃料頂部(TAF:燃料集合体の発熱部上端)到達は同16時30分頃と見込まれた。しかしながら、1号機、3号機の建屋爆発(各12 日、14日)の影響もあり、原子炉への注水作業が困難を極めたことや、格納容器のベントも圧力抑制室側(大弁)からのベントもできないことなど、非常に厳 しい状態となった。
    • 炉心が露出して損傷する危険性に加え、圧力抑制室側からのベントができず、圧力抑制室にある水によるフィルタ効果(スクラビング効 果)がないドライウェル側からのベントしかできない場合やベントができず格納容器が過圧破損した場合には、放射性物質が放出される危険もあり、発電所にと どまる者に制御できない被ばくを与える可能性のある状態に近づく危機的な状況になった。
    • このとき、福島第一原子力発電所には、数百人(およそ700名)がとどまっており、これら全員が危険にさらされることになる。その中 には、事務系職員や女性、当座の緊急作業に直接関わらない者も含まれており、皆が昼夜のない連日の作業に従事し体力的にも極限状態にあった。吉田所長は、 「何度も死んだと思ったが、この時は本当に死んだと思った。原子炉を安定させる復旧要員は残すとしても、それ以外の人は退避がよいと思った」と述べてい る。
    • 国の保安検査官は、2号機の状況が緊迫化する中、全員がオフサイトセンターに移動したため、14日夕方以降、福島第一原子力発電所から国関係者はいなくなった。
    • 福島第一原子力発電所においては、危機回避のために注水やベントのラインを構築する等の事故対応の継続は当然行うとしても、発電所にとどまっている多数の職員の身体の安全確保を考慮しなければならない局面であった。
    • 3月14日19時30分前後に、2号機の危機的状態に関連して、本店と福島第一原子力発電所間で退避基準について議論されている。本 店、発電所ともに、事故対応に必要な人間は残し事故対応を継続することは大前提であった。19時45分頃、武藤原子力・立地本部長が「退避の手順」を検討 するように部下に指示し、退避の手順書が作成されている。
    • 当該の手順書には、退避の決定からの手順が記載されており、協力会社へのバス手配の協力願い、国・自治体への通報、緊急時対策室内の職員に対するアナウンスメント、受け入れ先、事前の準備事項(リスト、避難受け入れ態勢など)が記載されている。
    • アナウンスメントには具体的に「避難決定が出ました。全員(緊急対策メンバー以外は)直ちに退避行動をとって下さい」と、避難する人員は緊急対策メンバー以外であることが明記されており、危機回避のための活動は継続する意志が示されている。
    • 当該退避手順書の作成履歴(プロパティ)を確認したところ、最終更新は3月15日3時13分であって、菅総理が清水社長を呼んで「撤退の有無を確認」し、また、本店に来社して「撤退を封じた」とされるいずれの時刻より以前の作成である。
    • 当然のことながら、プラントが厳しい状況にあることは、本来の通報連絡ルートによって通報するだけでなく、電話等によって国に随時通 報・連絡をしている(なお、14日18時41分から20時34分に至る時間帯、及び、15日1時30分頃に、清水社長(秘書からの電話を含む)から経済産 業大臣秘書官などに電話をかけていることが確認されている)。
    • 清水社長が電話で海江田大臣に伝えた趣旨は、「プラント状態が厳しい状況であるため、作業に直接関係のない社員を一時的に退避させることについて、いずれ必要となるため検討したい」というものであり、全員撤退などというものではなかった。
    • しかし、この電話で、清水社長が海江田大臣に「一部の社員を残す」ということを、同大臣の意識に残るような明確な言葉を持って伝えたかどうかは明確でない。
    • 海江田大臣は、清水社長が「撤退」ではなく「退避」という言葉を使ったことは認識していたものの、「全員が発電所からいなくなる」との趣旨と受け取り、官邸内で共有し、その旨を菅総理に伝えたようである。
    • 枝野官房長官の発言によれば、このころ福島第一原子力発電所の吉田所長に電話で意志を確認したところ「まだやれることがあります。頑 張ります」との返事であり、官邸側としても「吉田所長は、全面撤退など考えていないこと」を確認したことを述べている。なお、吉田所長は最初から一貫し て、作業に必要な者は残す考えであった。

     ■ 菅総理による清水社長への真意確認

    • 清水社長が海江田大臣に電話をかけてから、しばらく時間が経過した後に、清水社長に「官邸へ来るように」との連絡があった。用件は示されなかったが、「ともかく、すぐに来るように」ということであった。
    • 3月15日4時17分頃、官邸に赴いた清水社長は、政府側関係者が居並ぶなか、菅総理から直々に「撤退するつもりであるか否か」の真意を問われた。
    • 清水社長によれば、両者間に次のような趣旨のやりとりがあった。
      菅総理「どうなんですか。東電は撤退するんですか」
      清水社長「いやいや、そういうことではありません。撤退など考えていません」
      菅総理「そうなのか」
    • 撤退問題において、ここでのやりとりが最も重要な場面である。菅総理自身が4月18、25日、5月2日の3回の参議院予算委員会での答弁に合致するもので、確かな事実であったと見られる。
    • したがって、清水社長と海江田大臣との間の電話によって、菅総理等官邸側に「当社が全面撤退を考えている」との誤解が一時あったとしても、それは、このやりとりによって解消されていたと考えられる。
    • 続けて話題はすぐ「情報共有」のことになり、菅総理から「情報がうまく入らないから、政府と東電が一体となって対策本部を作った方がよいと思うがどうか」との要求があり、清水社長は事故対策統合本部の設置を了解した。

     ■ 当社本店での菅総理

    • 15日4時42分頃、清水社長は官邸を辞し、同時に出発した細野補佐官などが本店対策本部に来社したところで、細野補佐官の指示に基づき、本店対策本部室内のレイアウト変更が行われ、菅総理を迎え入れる準備が行われた。
    • 5時35分、菅総理が本店に入り、本店対策本部で福島事故対応を行っていた本店社員やTV会議システムでつながる発電所の所員に、全面撤退に関して10分以上にわたって、激昂して激しく糾弾、撤退を許さないことを明言した。
    • 前述の通り菅総理は官邸での清水社長とのやりとりによって当社が全面撤退を考えているわけではないと認識していたはずであり、上記菅総理の当社での早朝の演説は、意図は不明ながらも、当社の撤退を封じようとしたものとは考え難い。
    • 清水社長は、菅総理が国の対策本部長として懸命に取り組まれていることを感じながらも、「先ほどお会いしたときに納得されたはずなのにと、違和感を覚えた」と、この時の菅総理の態度が理解できなかったことを証言している。
    • 福島第一・第二原子力発電所の対策本部において、菅総理の発言を聞いた職員たちの多くが、背景の事情はわからないまま、憤慨や戸惑い、意気消沈もしくは著しい虚脱感を感じた、と証言している。

     ■ 2号機の衝撃音と所員の一部退避/吉田所長らの残留

    • その後、引き続き菅総理は、本店幹部を本店対策本部が設置された緊急時対策室と廊下を隔てた小部屋に集め、質問などをしていたところ、6時14分頃の2号機で大きな衝撃音と震動(後の調査で4号機の建屋爆発と判明)が発生した。
    • 本店・緊急時対策メンバーは緊急時対策室(対策本部)に戻り、発電所長との状況確認を再開した。なお、小部屋にもTV会議システム端末があり、現地の状況を知ることができる。菅総理は引き続き小部屋にとどまった。
    • 本店及び発電所の緊急時対策室では、2号機の圧力抑制室が破損した可能性の報告、チャコールフィルタ付全面マスク着用の指示などがあ り、6時30分、「一旦退避してパラメータを確認する」(吉田所長)、「最低限の人間を除き、退避すること」(清水社長)、「必要な人間は班長が指名」 (吉田所長)などのやり取りがあり、吉田所長が一部退避の実行を決断、清水社長が確認・了解した。
    • 班長の指名した者の氏名は、同発電所緊急時対策室のホワイトボードに書き込まれた。福島第一原子力発電所には、吉田所長を筆頭に発電所幹部、緊急時対策班の班長が指名した者など総勢約70名が残留した。
    • 6時37分、吉田所長から異常事態連絡発信(71報)『2号機において6時00分-6時10分頃に大きな衝撃音がしました。作業に必要な要員を残し、準備ができ次第、念のため対策要員の一部が一時避難いたします』として通報している。
    • 菅総理は、8時半ごろ本店から退去した。
    • なお同日(15日)、政府の原子力災害現地対策本部は、発電所立地点の大熊町オフサイトセンターを引き払い福島県庁に移動した。

     ■ 吉田所長の意志

    • 吉田所長は、TV会議を通じて当時目の当たりにした菅総理の言動について「極めて高圧的態度で、怒りくるってわめき散らしている状況 だった」と記憶している。「もともと全員撤退などは考えたこともない。私(吉田所長)は当然残る、操作する人間も残すが、最悪を考えて、関係ない大勢の人 間を退避させることを考えた」と証言した上で、一連の全面撤退についての風聞に対して「誰が逃げたのか、事実として逃げた者がいるというのなら示してほし い」と憤慨している。
    • 実際、所長を中心に約70名が発電所にとどまり事故対応は継続された。また、全社からの発電所への人的支援も、滞ることなく15日も継続して行われている。
    • また、福島第一原子力発電所から避難した者も、発電所からの撤退ではなく、一時的な退避であり、福島第二原子力発電所に避難した者の一部は、短時間の休養の後福島第一原子力発電所に戻り、事故対応を継続している。

     ■ 事実関係のまとめ

    • 発電所にとどまって対応することができたのは、新潟県中越沖地震を受けて自主的に免震重要棟を整備していたことにもよるが、実際、福 島第一原子力発電所の現場においては、免震重要棟を中枢として、原子力プラントが危機的状況にあっても、当社社員は身の危険を感じながら発電所に残って対 応する覚悟を持ち、また実際に対応を継続した。この行為は、総理の発言によるものではない。
(続く)( 第1回 | 第2回 | 第3回 | 第4回 | 第5回 )

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