レビュー

科学的に予測された地球温暖化の影響を治水計画に生かす初めての試み

2018.05.25

保坂直紀 / サイエンスポータル編集部

 日本では、河川の氾濫による災害が毎年のように起きている。国土交通省は今年度から、地球温暖化による将来の降雨パターンの変化を科学的に予測した新しい考え方に基づく治水計画の検討を始めた。コンピューター・シミュレーションによって得られる大量の予測データを利用する、世界でも先駆的な試みだ。

「過去」から「未来」へ

写真 2015年9月の豪雨で氾濫した鬼怒川(国土交通省の公表資料より)
写真 2015年9月の豪雨で氾濫した鬼怒川(国土交通省の公表資料より)

 国交省は4月、気象学や河川工学の研究者などをメンバーとする「気候変動を踏まえた治水計画に係る技術検討会」を設置した。河川の氾濫を引き起こす降雨の将来変化に関する最新の科学の成果を持ち寄り、それを治水計画に生かせるかどうかを探ることが目的だ。

 現在の治水計画は、過去の降雨データをもとに決められている。50年に1回程度の激しい雨、100年に1回しかないようなまれな豪雨といった基準を河川ごとに決め、それに耐えられるように堤防などを設置する。この基準は、過去のデータを統計的に処理して考えられたもので、地球温暖化で降雨がこのさきどのように変化していくかは、具体的には考慮されていない。一方で、ごく最近になって、地球温暖化による国内の降雨パターンの変化を科学的に予測できるようになってきた。この検討会は、治水計画の基本になる降雨データに「シミュレーションによる未来予測」をどう加えられるかを検討する。治水計画の視点を「過去」から「未来」へ向ける初の試みともいえる。

地球温暖化で将来の豪雨は降り方が変わる

 世界中の科学者の研究をまとめて総合的な見解を示す「気候変動に関する政府間パネル(IPCC)」が2013年に公表した報告書によると、現在の地球が温暖化の途上にあることは疑いようがない。そして、温暖化が進めば、中緯度の陸域では、現在はめったにみられないような豪雨がより強く、しかも、より頻繁に発生すると予想されている。たんに雨量が増えるだけではなく、降り方が変わるのだ。

 したがって、河川の氾濫を防ぐ治水計画を立てるにしても、これまでに観測された過去の降雨データをもとに、「もう少し雨量が多くても耐えられるようにしよう」と考えたのでは、実態に合わなくなる恐れがある。将来の降雨は、その激しさや、激しい雨がどれくらい狭い範囲に限定されるかといった点で、現在と様相が変わっている可能性があるからだ。

 しかし、将来の降雨パターンを推定するのは難しい。気候には不確実性があるからだ。将来、実現する可能性がある気候には幾通りもあり、そのなかのひとつが選ばれて現実の気候になる。たとえば100年後に平均気温が4度上がるとしても、これは4度上がる可能性が高いというだけで、3度かもしれないし、5度かもしれない。いまここに100個の地球があったとすると、4度くらい上がる地球の数が多く、しかし、2度や3度、5度や6度上がる地球も、少数ながらある。言い換えると、この「4度」は、ある程度の幅をもって解釈しなければならないということだ。

 この考え方に基づいて、実現の可能性があるたくさんの気候をシミュレーションした結果を集めたデータベースが、文部科学省などが作った「d4PDF(database for Policy Decision making for Future climate change)」だ。英語名が表す通り、政策決定、社会の意思決定のための科学的データベースで、国交省が今年度から検討を始めた新しい治水計画の基礎にも、このデータベースがある。

90通りの地球

 「d4PDF」では、産業革命前に比べて気温が4度上昇した際に実現する可能性がある地球の気候を90通り計算し、それを21世紀後半の気候と考えている。この90通りの地球をもとに、将来の気候の平均像と、平均からずれる確率を推定したものだ。20世紀後半についても同様の計算を行っておき、その両者を比べると、たとえて言えば「20世紀後半には20年に1回といえるほどだった激しい雨でも、21世紀後半には、その程度の雨は当たり前になる。それ以上に激しい雨が1年に1回は降る状態が、将来の地球の平均像だ」というように、気候の変化が分かる。

 この方法では、将来の気候を実際に計算して求めているので、雨がどれくらい激しくなるのか、その変化が具体的に分かる。雨の降り方そのものは将来も変わらないと仮定して、過去の観測データをもとに「100年に1回の豪雨では心配だから、念のために500年に1回の豪雨にも耐えられる堤防を造ろう」と考えるのとは、発想が根本から違う。

さらに精度を高めた計算で、現実の降雨が予測できる

 北海道大学の山田朋人(やまだ ともひと)准教授らの研究グループは、2016年の台風で氾濫した北海道の十勝川、常呂川の将来の治水に生かせるよう、「d4PDF」のデータの解像度をさらに上げる工夫をした。「d4PDF」のデータは、地表を1辺20キロメートルのマス目に分割して表しているので、河川の流域に降る雨を詳細に検討するには、目が粗すぎる。山の斜面に吹き付けた湿った風が上昇して雨を降らすような、局地的な豪雨を再現できないのだ。そこで、将来の大雨の強度や頻度を5キロメートルのマス目で計算しなおし、国交省北海道開発局と北海道が設置した「北海道地方における気候変動予測(水分野)技術検討委員会」での討議に反映させた。

 山田さんによると、十勝川流域のコンピューター・シミュレーションを実測データと比べると、20キロメートルのマス目では、激しい雨がうまく再現できていない。5キロメートルのマス目で計算すると、激しい雨の頻度がかなり正確に再現される。そのうえ、もともと実現可能性があった90通りの結果が得られているので、「実際にはそうではなかったが、そのように降った可能性もあった豪雨」も予測されている。つまり、「たまたま実現したひとつの豪雨」ではなく、「実現する可能性があった複数の豪雨」「その時点での本来の豪雨の性質」が得られている。これをもとに、20世紀後半と21世紀後半の十勝川流域の豪雨を比較できる。その結果、十勝川の氾濫の指標となる連続3日間の総降水量は、平均値で約1.2倍、もっとも激しい上位1%の降雨量は約1.3倍に増えることが分かった。

科学の成果と社会実装

 コンピューターの進歩で、気象や気候のシミュレーションは、時間的にも空間的にも、より細かく計算できるようになってきた。たとえば、50キロメートル間隔の計算では、強い雨を降らす個々の積乱雲は再現できないが、もし1キロメートル間隔で計算できれば、それが可能になる。その代わり、水平方向の広がりだけを考えても計算量は12万5000倍になる。

 科学者としては、現実に即した新しい計算を行って論文にまとめたいので、コンピューターの性能が上がると、研究は必然的に詳細な計算へと進む。こうした科学の進歩を防災のような社会のしくみの改善に役立てようとするとき難しいのは、総合的にみてどの程度のメリットがあるかを評価することだ。山田さんらが北海道を対象に行った計算を日本全国に広げようとすれば、高性能のコンピューターをさらに使う必要がある。そうした計算ができるコンピューターは少ないので、そのぶん他の研究にストップがかかる。また、科学的には詳細な結果が得られたが、現実には従来の治水の考え方とたいして違いが出ないということもありうる。

 国交省の検討会では、こうした観点から、最新の科学を治水計画の新たな技術として取り込んでいけるかどうかを、年度内を目標に評価していく。治水計画は、人命と人々の財産にかかわる重要なものだ。社会と新たな科学をつなぐ試みとして注目したい。

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