レビュー

ソーシャルメディアの役割

2011.02.15

 「『危険という情報は絶対に無視しない』というだれもが共有する思考形態がある」
先週で終わった唐木英明・日本学術会議副会長のインタビュー記事中に、興味深い指摘があった。安全情報は反対にほとんど無視される。命が危ないかどうかという点では全く意味がないから、という。動物にも共通するもので、あれこれ迷っていたら命が助からなかったといった長い体験の中から身についた生存の知恵といったものらしい。知識と経験を総動員して直感的にパッと答えを出す。こうした直観的判断は誰もが日常的にしていることで、専門用語でヒューリスティクと呼ばれるそうだ(2011年1月21日インタビュー「誤解の恐ろしさ - 安全な食品とは」第4回「信用できないアンケート結果」参照)。
そうであるなら次のようなニュースは、だれもが注目するはずではないか。「乳児が熱中死。炎天下、ドアを閉め切った車の中で。親はパチンコ中」。しかし、現実には毎年のように夏になるとこうした悲劇が伝えられる。親がそれまで新聞や放送でこうしたニュースを見聞きしていなかったのでは、と考えたくもなる。

 大阪大学が11日、医学研究科特任教授による研究費の不正使用について公表した。2004年以降の不正使用額は41,762,725円。内訳は本人のカラ出張等3,626,310円、助教等名義のカラ出張等13,288,670円、本人の海外出張で出張伺いと出張内容が一致せず返還を求められた額4,134,295円、本人の海外出張旅費のうち家族の旅費453,690円、不正なタクシー代3,353,910円、物品購入の架空伝票15,935,423円、欠勤中の特任研究員への給与支払額970,427円、特任研究員等5人に支払われた給与から研究室に戻された額3,781,057円、カラ出張の旅費および特任研究員等から戻された給与が預金された通帳から本人に渡された額7,175,692円…となっている。

 「少なくとも4,524,210円は、教授本人が研究費を私的に流用したものと認められる」というのが、調査結果の結論だ。

 不正使用が始まった年は04年というから、総合科学技術会議議員まで務めた早稲田大学理工学術院教授による多額の研究費不正受給が大問題になった(06年)前から続いていたということだ。当時、文部科学省に「研究費の不正対策検討会」が設けられ、「研究機関における公的研究費の管理・監査のガイドライン(実施基準)」などを盛り込んだ報告書が06年12月に公表されている。

 当然こうした動きは大きなニュースとして新聞や放送で伝えられていたわけだが、今回不正を追及された教授はこれらのニュースを知らなかったのだろうか。知らなかったにしろ、知って無視したにしろ、マスメディアの報道はこの教授に対し何のけん制にも、抑止力にもならなかったということだろう。

 Science Communication News 2月14日号の巻頭言に、榎木英介氏の興味深い指摘がある。榎木氏は今回の不正が「匿名の告発によって明らかになった」ことを挙げ、「部下や院生に行った理不尽な扱い、研究費の不正使用やデータ捏造(ねつぞう)はいずれ発覚しうるということだ」と書いている。

 ここで注目されるのは、「ソーシャルメデイアが発達しつつある今、『キュレーター』が重要な役割を果たす、キュレーションの時代が来ている」という佐々木俊尚氏の言葉を引用していることだ。「キュレーションの時代」(佐々木俊尚著、ちくま新書)の中にある。佐々木氏によると「キュレーターの定義とは、収集し、選別し、そこに新たな意味付けを与えて、共有すること」で、「ソーシャルメディアには、無数のキュレーターが存在する。そしてわれわれはそのキュレーターの多層構造の中で生きている」という。

 榎木氏の結論は以下のようだ。「博士号取得者は、キュレーターとして重要な役割を果たしうるかもしれない。…私達一人ひとりの行動が、世の中を動かし、変える、そんな時代が来ている、と言ったら楽観のしすぎだろうか」

 新聞、放送の報道で影響を受けないような人たちには、こうした形でのソーシャルメディアによるチェック機能に期待せざるを得ない、ということだろうか。

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