レビュー

理科、英語より日本語教育が先

2008.08.13

 日本学術会議言語・文学委員会の報告「日本語の将来に向けて -自己を発見し、他者を理解するための言葉-」は、理科離れ対策が大きな関心を集める中で、言語、文学研究者たちの中に、日本語の将来と国語教育に大きな危機感が存在することをうかがわせる。

 報告は、日本語をめぐる現状について以下のような「言語運用能力の低下」を指摘している。

 「子どもから大人まで、意思疎通の不全が大きな社会問題になっている。とくに昨今の小・中学校で問題化しているインターネットや携帯電話での『言葉によるいじめ』は、母語である日本語を柔軟に駆使して人間関係を構築することができないでいる子どもの問題を浮き彫りにしている。住環境の変化によって子どもが集団で遊ぶ機会がなくなったこともその原因の一つと考えられるだろう。他者とのかかわりで自己を発見するという、世界認識に不可欠な作業を十分に行わないまま、子どもは小学校で集団生活を行うことになる。他者とのかかわりという現実感を通して言葉を獲得してこなかった彼らにとって、そこで生じる行き違いや不快感を双方向の『言葉』の実践で解決することはしばしば困難であり、『言葉』はややもすれば単に一方的な暴力の手段となってしまう」

 こうした現状の中での英語の早期教育に対しては「これからの世代はどのようなコミュニケーション能力を身につけるべきか、英語といかに接し、いかに活用すべきなのか、その結果として日本語がいかに変質し、役割を変えていくことになるのか」など、日本の将来像についての議論が全く行われないまま、公立小学校で英語教育が先行導入されようとしていることに大きな疑問を投げかけている。

 またこれまで行われてきた「ディベイト教育」についても「具体的論点に関しての是非を争うためのスキルの養成という側面が重視され過ぎるきらいがあったことは否めない」と指摘、グローバル化が進む現代に求められるのは「文化的背景の異なった相手が何を感じ、何を考えるかを理解しようとする共感的態度」であり、「討論が成立し有益な意見交換の場となるために不可欠な前提としての対話」が重要であることを強調している。(関連記事13日ニュース「学術会議が日本語教育重視を提言」)

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