日本における急速な少子高齢化の背景には、出産・育児についてのポジティブな情報が少なく、男女の役割についても昔ながらの意識が残っているという現状がある。日本の大学を卒業後、米国で博士号を取得し、さらに助産学の専門家としてタンザニアでの妊娠・出産の支援に尽力してきた広島大学教授の新福洋子さんは、日本とタンザニア両国の環境や現状は大きく異なるが、どちらもポジティブな出産に関する適切な情報提供が、個人や社会のWell-beingにつながると語る。
回復しない出生率、一因はネガティブな情報にも
厚生労働省が発表した人口動態統計月報年計によると、2020年の出生数は84万0835人、2021年はさらに3万人近く減って81万1604人となっている。これまでで最も多かったのは1949年の269万6638人で、現在はその3割程度まで落ち込んでいる。
また、1人の女性が一生で出産する子どもの平均数である合計特殊出生率は2020年には1.34まで低下。そのほか、フィリピンも2016年からの5年間で2.7から1.8まで急落したことが報じられている。生活が豊かになり子どもの教育費が上がること、医療水準が上昇して子どもの死亡率が下がること、女性の社会進出と社会的な子育て支援の不足によって、子どもの数が減少するのは各国共通の課題のようだ。
2009年の雑誌「nature」の記事では、国の開発が一定レベルを超えると合計特殊出生率が回復する傾向にあるという。しかし日本は例外国のひとつで、改善の必要性が指摘されながらも出生数は下降の一途をたどっており、労働市場の柔軟性や社会保障と個人の福利の改善など、幅広い対策が求められている。
世界各国の状況を知る新福さんは「日本の場合、社会的な支援の不足に加え、出産・育児に関するネガティブな情報がSNSなどで広まっているのが一因かもしれません」と語る。「子育ては楽しいですし、子育ては親育てとも言うように、自身の成長につながっていると感じます。今年の育児・介護休業法の改正など、妊娠・出産を支援する制度も以前と比べれば整ってきているのですが、こうしたポジティブな情報はあまり発信されていないように見受けられます」
タンザニアで妊娠・出産を支援
2008年から10年以上にわたって、新福さんはタンザニアの女性の妊娠・出産を支援する活動を続けている。多様な取り組みが評価されて、2020年には世界保健機関(WHO)から「世界の卓越した女性の看護師・助産師のリーダー100人」に選出された。
タンザニアは都市部と農村部の医療格差が激しく、地方においては病院で出産する妊産婦は半分程度で、十分なサポートを受けられない人が多かった。「出産で亡くなるお母さんの割合は日本の100倍以上でした。しっかりした医療体制があればほとんどは防げるのですが」
必要な情報が提供されていないことが原因だと考えた新福さんは、急速に普及が進むスマートフォンに着目した。「以前は紙芝居を持って地方を巡ることもしていたんですけど、アプリを開発すれば一度にたくさんの人に伝えられ、私が日本にいても大丈夫です」とのことで、まず2021年に、キャスタリア(東京都港区)と共同開発した助産師向けのアプリをスタートさせた。このアプリはWHOが出している「ポジティブな出産経験のためのガイドライン」の内容が中心だが、誰でも楽しく学べるように新福さんがアレンジしている。
続いて取り組んだのが妊産婦向けのアプリだ。母子手帳の内容を網羅していて、検診や予防接種にいつ行けばよいかなどの情報も入手できる。「質問をすればプロの助産師が回答してくれますし、妊産婦同士でコミュニティーを作れるというメリットもあります」と新福さん。
また、タンザニアでは貧困もあって望まない妊娠をする少女も少なくない。そこで、新福さんは国際協力機構(JICA)の草の根技術支援事業に参画し、少年少女や教職員、さらには一般の大人を対象とした教育活動に尽力している。
もちろん一朝一夕に状況が改善するわけではないが、成果は少しずつ出てきている。例えば、新福さんが中心となって設置した助産学修士課程で学んだ人たちは、各地の病院などで管理職ポストを得て、助産師長や看護部長として活躍している。
ちなみに、タンザニアの助産師や看護師は男女ほぼ半々だという。「どこの国でも看護師や助産師が女性の職業というわけではないんです」と新福さんは指摘する。「海外では行われているケアの内容や賃金も異なるため、一概に比較はできません。ただ、男性だから良いケアを提供できないという考えがあるとしたら、それはアンコンシャスバイアスだと思います」とのことだ。
性別の役割意識にとらわれない
日本におけるアンコンシャスバイアスについては、2021年に内閣府男女共同参画局が「性別による無意識の思い込み(アンコンシャスバイアス)に関する調査研究」を行った。その結果、性別によって役割が異なるという意識を持っている人が少なからず存在することが明らかになっている。
例えば「育児期間中の女性は重要な仕事を担当すべきではない」と考える人の割合は男女とも30パーセントを超えている。こうした意識が職場に浸透していると、出産したいと思っていても、将来のキャリアに不安を感じて二の足を踏むことになってしまう。男性にとっても職場に縛られ子どもとの時間を取りづらくなるというデメリットがあり、加えて育児の現場が女性ばかりだとアンコンシャスバイアスは次の世代にも受け継がれることになる。
この状況を打破するための施策は次々と打ち出されており、2022年に育児・介護休業法が改正され、従業員数が1000人を超える大企業は、男性社員の育児休業取得率を公表しなければならなくなった。
また、安全面では日本は世界でもトップクラスで、新生児死亡率、乳児死亡率、妊産婦死亡率などの数値は極めて低い。新福さんは「妊娠・出産に関わる者として誇りに思っています」と胸を張る。
ただし、これらの情報が社会全体に広く伝わっているとは言いがたい。「発信が少なくて聞けない人が多いのはもったいないですよね。ですから、こういったポジティブな話をあちこちで取り上げていただきたいと思っています」と新福さん。
取り組みが遅れているウィメンズヘルス
新福さん自身も1児の母で、タンザニア出身の夫とともに育児に取り組んでいるが、自らの出産経験によって課題に気づいたこともあるという。妊娠初期のつわりが重かったので調べたところ、つわりの研究は世界的に見てもほとんど行われていなかった。「これまで妊娠・出産を経験して、この領域の研究に取り組もうという研究者が少なかったからかもしれません」というのが新福さんの見解だ。
この問題は生理痛も同様で、研究は進んでおらず、職場や学校での理解や配慮も十分とは言えない。「今後は、取り組みが遅れているウィメンズヘルスの研究を進めていく必要があります。それと環境づくりも大切で、本当につらい症状の人が躊躇(ちゅうちょ)なく言えて、休みをとれるようになってほしいですね」と新福さんは期待する。
若手研究者の不安定な立場の改善を
教授のポストを得てから妊娠・出産を経験した新福さんだが「身体的な回復に時間がかかったので、もっと早く産んでおけば良かったと思いました」と振り返る。ただ、そうしなかった背景には、日本において若手研究者は、男性もそうだが女性の多くが任期付きの不安定な立場に置かれているという現状も見え隠れする。
そこで、新福さんは現在、日本学術会議若手アカデミーの副代表や科学技術・学術審議会学術分科会の臨時委員を務め、この現状について積極的に発信している。「長い人生で考えたら、産休・育休で1~2年遅れても後から取り返せると思います。ただ、遅れてもやっていけるように仕組みを整える必要があります。任期付きの仕事でもそれぞれの事情を考慮して期間内に一定の成果を出せば更新できるようにするとか、長い目で見ることが大切です」
少子化の改善の兆しはまだ見られないが、働く女性たちやその周りでサポートする人たちの取り組みによって、状況は着実に改善へと向かっている。それは日本だけのことではなく、WHOが作成して新福さんがタンザニアでアプリに組み込んだ「ポジティブな出産経験のためのガイドライン」のように、一人一人の望み通りの出産を実現するための取り組みは世界規模で進められている。「これからは多様な生き方ができる社会、生きやすい方法が選べる世界に徐々に変わっていくでしょう」と新福さんは語る。
だから、ネガティブな情報や既成の概念に縛られる必要はない。「若い人は今を全てと思わず、新しい何かを見つけたいという意志のある方は、どんどんチャレンジしてほしいと思います」と、新福さんは未来を見据えている。
新福 洋子(しんぷく ようこ)
広島大学副学長/大学院医系科学研究科教授
聖路加看護大学(当時)を卒業後、助産師として勤務後にイリノイ大学シカゴ校大学院看護学研究科を修了(博士)。聖路加国際大学助教、京都大学大学院医学研究科人間健康科学系専攻家族看護学講座准教授などを経て、2020年より現職。2022年より副学長を兼任。