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奈良公園のシカ コロナ禍で「おじぎ」しなくなる 奈良女子大

2023.05.24

滝山展代 / サイエンスポータル編集部

 奈良公園(奈良市)に生息する野生のシカが、新型コロナウイルス禍を経て耳と頭を下げる「おじぎ行動」を取らなくなっていることが、奈良女子大学などの研究グループの調べで分かった。観光客が激減すると奈良公園に出没するシカの頭数も減った。住宅街のカラスは生ゴミをあさるなど、生き物と人間の暮らしには密接な関係があることは知られていたが、人間活動が減ったことによる生き物への影響を調査した報告は珍しいという。

おじぎは「鹿せんべい」のためか

 奈良女子大学研究院自然科学系生物科学領域の遊佐陽一教授(動物生態学)によると、野生のシカには元々、攻撃の前にストレスを感じると頭を下げる「おじぎ行動」が見られる。しかし、奈良公園周辺に生息するシカは観光客を見つけると「鹿せんべい」を求めて近寄り、おじぎ行動をとるという。同じようにシカとふれあえる観光地、宮島(広島県廿日市市)のシカはこのような行動を取らず、奈良公園周辺に生息するシカだけがエサを前におじぎをする。奈良公園のシカは他の個体と交流することなく、独自の生態系を持っていることが分かっており、人に対するおじぎ行動は奈良特有の光景といえる。

鹿せんべいを持ったヒトを見つけ、耳と頭を下げておじぎをする奈良公園のシカ(奈良女子大学提供)
鹿せんべいを持ったヒトを見つけ、耳と頭を下げておじぎをする奈良公園のシカ(奈良女子大学提供)

コロナ禍で着眼 ヒトとシカとの関係

 観光産業でアルバイトをしている学生が多い奈良女子大は、コロナ禍で収入が減少した学生を救うため、教員が学生を雇って研究をする「コロナ禍・ポストコロナをテーマとした研究助成」の事業を2020年6月に立ち上げた。

 遊佐教授はコロナ禍前から年に一度、シカの頭数を数える実習やおじぎ行動に関する授業を受け持っていたが、この助成金事業を活用し、2020年6月~21年6月には頻度を増やして毎月、学部生を雇って奈良公園内のシカの数を数えた。加えて、鹿せんべい(10枚入り、1個200円)を10万円分購入し、1人は鹿せんべいを見せ、もう1人がおじぎ行動をビデオで撮影して回数を数える研究を行った。

 その結果、奈良市を訪れた観光客が多かった2019年は奈良公園に出没したシカは1回の調査あたり平均167頭だったが、コロナの感染が拡大して閑散とした20年には平均65頭にまで激減。ヒトの三密回避だけでなく、シカの三密も回避されていた。

 また、コロナ禍前の2016年9月~17年1月と、コロナ禍の2020年6月~21年6月にランダムに選んだシカ20頭のおじぎ行動の回数を計測したところ、コロナ禍前は平均して10.2回だったが、コロナ禍では6.4回まで減った。

2020年6月から21年6月にかけて、奈良公園3カ所の観光客数とシカの出没数をグラフにしたもの。観光客が増えるとシカも増える(奈良女子大学提供)
2020年6月から21年6月にかけて、奈良公園3カ所の観光客数とシカの出没数をグラフにしたもの。観光客が増えるとシカも増える(奈良女子大学提供)
2020年6月から21年6月にかけて、奈良公園内の奈良国立博物館周辺におけるシカのおじぎの回数と観光客の関係を示したグラフ。観光客が減るとおじぎの回数自体が減る(奈良女子大学提供)
2020年6月から21年6月にかけて、奈良公園内の奈良国立博物館周辺におけるシカのおじぎの回数と観光客の関係を示したグラフ。観光客が減るとおじぎの回数自体が減る(奈良女子大学提供)

あおによし 奈良のシカが学んだ人間との共生

 シカは元々、芝やどんぐり、落ち葉を食べるため、米ぬかでできた鹿せんべいは食事の2%程度を占める程度で、おやつに過ぎない。このため、観光客が減ったからといってシカが餓死することはない。

 奈良公園のシカだけがおじぎをすることについて、遊佐教授は「遙か昔、奈良の都でシカはヒトが怖いからとストレスを感じておじぎをしていたが、徐々に観光地化し、ヒトから鹿せんべいがもらえると学習したシカは催促の意味合いでおじぎをし始めたのではないか」と仮説を立てており、その行動が親から子に引き継がれてきたと考えているという。

 遊佐教授は「海外ではコロナ禍でヒトが外出しなくなったら、住宅街に住み着く鳥が鳴くようになったなどの報告がなされている。野生の動物がヒトとふれあう中で獲得した行動が、ヒトとふれあわなくなるとどうなるのかという影響にはまだ分からないことが多い」と研究を進める意義を語る。

 成果は5月16日、米科学誌「プロスワン」電子版に掲載された。今後も、客足が回復してきた奈良公園で、シカの出没頭数とおじぎ回数が元に戻っていくのかどうか、観察を続けるという。

 野生生物が人間によって影響を受けるのは良くないという意見もあるが、動物と人間との関係は、同じ土地で暮らす限り、切り離せない問題でもある。動物との共生社会は、人間にとっても、動物にとっても居心地が良いことが求められる。人の増減によって左右される奈良公園のシカのおじぎを人間と動物とのコミュニケーションの手段の一つととらえれば、野生動物を保護しながら、愛でていく方法を考えていくことが課題といえそうだ。

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