南太平洋・トンガ沖の海底火山が1月15日に大噴火した。その影響により日本の太平洋岸の潮位が最大1メートル以上も上昇し、全国8県で一時23万人近くが避難対象になった。潮位変化はまれに見る「揺れを伴わない津波」だった。津波などの研究者は噴火の衝撃波による空気の振動が関係しているとみていたが、詳しいメカニズムははっきりしなかった。
その後、気象庁はや理化学研究所(理研)、防災科学技術研究所(防災科研)などの研究者によって解明が進み、日本に到達した津波が予測よりなぜ早く到達したか、などいくつかの謎が解かれた。大きな要因と分かったのは「ラム波」と呼ばれる大気の波で、「揺れを伴わない津波」の構造が明らかになった。気象庁はこれらの研究結果を海外の火山大噴火による津波情報の発信方法に生かす方針だ。
「被害の心配なし」発表から5時間後に津波警報
大噴火を起こしたのは日本から約8000キロも離れた「フンガ・トンガ―フンガ・ハアパイ火山」。1月15日午後1時ごろ(日本時間)に大噴火し、噴煙は高さ1万6000メートルに達した。20世紀最大級のフィリピン・ピナトゥボ火山噴火(1991年)に次ぐ規模とされ、衛星画像では、島のように海面に出ていた海底火山の山頂が間もなく見えなくなっていた。
気象庁は午後7時3分に「若干の海面変動が予想されるが、被害の心配はない」と発表した。午後8時ごろから日本の太平洋側で潮位変化が観測されたが、予想より2時間半早かったため津波の特徴と合わないと判断されたのだ。しかし、その後も潮位は上昇し、午後11時過ぎには鹿児島県奄美市で1メートルを超える津波を観測。日付が変わった16日の午前0時15分に各地に津波警報や津波注意報が出された。
津波注意報は20センチ以上、警報は1メートル超、大津波警報は3メートル超のそれぞれ津波が予想された場合に発表される。警報は鹿児島県の奄美群島・トカラ列島のほか、岩手県にも出された。避難指示の対象は全国8県で最大時22万9000人に及んだ。避難対象には東日本大震災で甚大な被害が出た東北地方の太平洋沿岸部も含まれた。寒い中での避難に「あの日の記憶」がよみがえった人も多かったようだ。岩手県・久慈港で1.1メートルの津波を観測した。
この「揺れを伴わない津波」により四国で漁船が転覆するなどしたものの、幸い大きな人的被害はなかった。しかし警報や予報の出し方に大きな課題を残した。津波は20~30センチでも場所によっては人が巻き込まれる恐れがあるとされる。気象庁による注意報や警報は自治体の避難指示の基本になる極めて重要な情報だ。
この津波で注意報や警報が遅れたのは残念だったが、異例の現象であったことから予測は難しかった。遠く離れたトンガ沖での海底火山大噴火で突き付けられた課題の解決に向け、多くの研究者が火山噴火による津波の複雑なメカニズム解明に乗り出した。
まず気象庁有識者が報告書
1月の一連の津波では(1)なぜ津波の伝搬速度から予測される時間よりも早く第1波が到達したのか(2)なぜ約8000キロも離れた遠隔地で1メートルを超える津波を観測したのか(3)なぜ最大の津波が第1波より数時間も遅れて到達したか――という3つの謎があった。
これらの謎に対し最初に見解を出したのは、佐竹健治・東京大学地震研究所(東大地震研)所長・教授が座長を務める気象庁の「津波予測技術に関する勉強会」だった。今村文彦・東北大学災害科学国際研究所所長・教授ら、津波や火山などの代表的な研究者14人が参加。精力的に検討作業を続けて4月7日に「フンガ・トンガ-フンガ・ハアパイ火山の噴火により発生した潮位変化に関する報告書」を公表した。
報告書は1月の「揺れを伴わない津波」を「気象津波」とし、火山噴火などで空気が振動して発生する大気の波(大気境界波)の一つの「ラム波」に着目した。そして予測よりも早く津波の第1波が到達したのは、ラム波が同火山の大噴火に伴って同心円状に発生。秒速300メートル程度という音速に近い高速で海面を押し上げながら日本にも達したためとした。
ラム波は発生した後、大気と海面・地面の境目を水平方向に高速で伝わるが、速度の変化が少なく、エネルギーが減衰しにくい。このため遠くまで高速で伝わるという特徴がある。
残りの2つの謎である、なぜ遠隔地で1メートルを超える津波を観測し、最大津波が第1波より数時間も遅れて到達したか、について報告書は(1)ラム波と海の波が共鳴する「プラウドマン共鳴」があった(2)噴火で生じた潮位変化が通常の津波の速度で日本に伝搬した(3)日本の太平洋沿岸の湾などの複雑な地形が津波高を増幅した――などの可能性を指摘している。
気象衛星がラム波を初めて捉えた
理研は5月9日、ラム波を示す衛星画像を公開した。ラム波は過去の火山噴火で観測されていたが、衛星画像で捉えたのは初めてという。理研計算科学研究センターの三好建正チームリーダーらの研究チームは、気象衛星ひまわり8号が撮影した画像から高速のラム波を可視化する手法を開発。多くの撮影画像の中から「水蒸気画像」と呼ばれる約6マイクロメートルの波長帯の画像を活用した。
水蒸気画像は上空の水蒸気分布を反映し、雲の分布に邪魔されずに大気の波動を捉えることができる。10分置きで撮影した画像を重ね合わせ、変化があった部分を抽出したところ、海底火山を基点にラム波が円を描くように広がる様子が確認されたという。
1月15日の午後8時40分ごろには、1~2ヘクトパスカルの急激な気圧変化が観測されている。ひまわり8号の画像解析でもこの時刻にラム波が日本上空を通過したことが確認できたという。研究チームは「今回開発した画像解析手法はラム波の伝搬や到達のリアルタイム監視に利用できる」としている。
防災科研と東大地震研も1月の「揺れを伴わない津波」の構造について研究成果をまとめ、論文は5月12日付の米科学誌サイエンス電子版に掲載された。この研究メンバーには気象庁の勉強会の座長を務めた東大地震研の佐竹所長も参加しており、研究成果は気象庁の有識者勉強会の報告書を裏付けた形だ。
火山噴火による津波研究も必要
防災科研などの研究は、ラム波による津波をシミュレーションしたのが特徴だ。ラム波が秒速300メートルの速度で伝わったと仮定して大気圧変化を計算。さらに大気圧変化による津波の伝わり方をシミュレーションして津波高を計算し、最後にこれらの計算結果を基に海底の水圧変化を計算した。
これらの結果を世界の「海底水圧観測網」での観測記録と比較したところ、2つのデータは重なり、このシミュレーション手法で1月に発生した速い速度の津波の第1波を再現できたことを確認した。この研究では第2波以降の津波についても分析した。その結果、第2波以降の津波は複雑な要因に影響されて発生したとみられることが分かり、気象庁の報告書の見方と一致した。
そして噴火により発生した秒速約200~220メートルという通常速度の津波と、やはり噴火で生じた同約200~250メートルの大気の波(大気重力波)が共鳴(共振)して津波の勢いが強まった可能性があるという。
この研究成果により、トンガ沖の海底火山の大噴火に伴って発生した津波が、海底地震による通常の津波とは異なるメカニズムで生じたことがはっきりした。防災科研や東大地震研の研究メンバーは、今後は遠隔地の海底火山噴火も考慮した新しい津波研究をさらに進める必要があることを強調している。
気象庁は1月の経験を教訓とし、海外の火山噴火による津波情報の発信方法を検討する有識者会議を立ち上げ、5月10日に初会合を開いた。気象庁は2月から海外で噴煙の高さが約1万5000メートル以上の大規模噴火が発生した場合、噴火から2時間以内に津波に関する速報を出すことにした。有識者会議ではこの速報の運用をさらに改善し、迅速な避難につながる仕組みづくりを目指すという。
東日本大震災の犠牲者のほとんどは津波にのまれて命を落とした。津波研究が専門の東北大学の今村教授は「大震災を経験して我々は備え以上のことはできない」と強調している。「備え」の基本は事前の避難体制で、実際の避難に際しては津波に関する正確な情報発信が極めて重要だ。1月に日本が経験した「揺れを伴わない津波」は、津波に関する研究課題がまだ残っていると同時に研究者の挑戦も続いていることを示した。