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「全数把握」の廃止求める提言、声明相次ぐ 新型コロナの「行動制限なき第7波」で専門家ら危機感

2022.08.04

内城喜貴 / 科学ジャーナリスト、共同通信客員論説委員

 新型コロナウイルス感染症の「第7波」が猛威を振い、収まる気配が見られない。全国で20万人を超える新規感染者が報告される日が続き、医療現場や保健所が再び逼迫(ひっぱく)している。こうした実態を前に、感染症の専門家が感染者の「全数把握」の段階的廃止など、医療・保健体制の見直しを求める提言を発表した。関係学会や全国知事会も同じような趣旨の提言や声明などを出している。背景には、政府が行動制限を求めない方針を堅持する中で感染者が急増し、重症者や死亡者が増えている現実に対する強い危機感がある。

 感染力が強いオミクロン株派生型「BA.5」による第7波は8月に入っても勢いを増している。厚生労働省によると、全国の新規感染者は7月27~30日まで4日連続で20万人を超えた。31日と8月1日は20万人を下回ったが2日は再び21万人を超え、その数はピークアウトしそうにない。世界保健機関(WHO)は7月27日、同18~24日の1週間の国別新規感染者数で、約97万人の日本は世界最多になったと発表していた。

オミクロン株の電子顕微鏡画像。従来型でBA.5ではないが、形状は似ているとみられる(国立感染症研究所提供)
オミクロン株の電子顕微鏡画像。従来型でBA.5ではないが、形状は似ているとみられる(国立感染症研究所提供)

救急搬送困難事案は過去最多に

 感染者の激増に伴い、全国の医療機関の病床使用率は高まっている。例えば東京都の8月2日の病床使用率は55.0%、重症者用病床使用率は30.5%だが、医療スタッフの不足などから、事実上患者の受け入れができない医療機関は多い。全国的な連日の猛暑で熱中症患者の救急搬送要請も増え、救急搬送できないケースが増えている。総務省消防庁によると、7月25~31日の1週間の「救急搬送困難事案」は全国52消防統計で6307件に上り過去最多になった。

 東京都より病床使用率、重症者用病床使用率が高い府県も多く、医療逼迫を訴える医療機関は多い。医療関係者に対する4回目ワクチン接種開始が遅れたこともあり、医療関係者の感染が増えて医療現場が回らない実態が見られる。

 一方、岸田文雄首相は7月29日、共同通信などとのインタビューで「従来型の一律の行動制限は考えていない。用意した体制をフル稼働させ。社会経済活動を動かしていく」と述べた。また後藤茂之厚生労働相も7月29日や8月2日の閣議後記者会見で、新型コロナウイルス感染症の感染法上の扱いを変更したり、感染者の全数報告の方針を変えたりすることは考えていないという趣旨の発言をしていた。

 提言を受け、松野博一官房長官は3日の記者会見で「時期を逸することなく、適時適切に具体的な検討を進めていく」と述べ、専門家とも緊密に連携する考えも示したが、具体的な内容には触れなかった。

身近な医療機関や診療所でも治療を

 政府の新型コロナウイルス感染症対策分科会の尾身茂会長(結核予防会代表理事)ら専門家有志18人が2日、感染者の全数報告の段階的廃止や身近な医療機関や診療所などでも感染者を治療できる体制づくりといった新たな医療・保健体制を求める提言を発表した。

尾身茂氏
尾身茂氏(以下写真はいずれも日本記者クラブ撮影、提供)

 同日午後6時から日本記者クラブ(東京都千代田区内幸町)で行われた記者会見場には18人を代表して尾身氏や厚労省に対策を助言する専門家組織座長の脇田隆字氏(国立感染症研究所所長)、東京大学医科学研究所の武藤香織氏ら5人が登壇。尾身氏が冒頭「大規模な感染拡大に直面し、一部地域では医療逼迫がさらに深刻化する懸念がある」と述べ、危機感をあらわにした。提言内容は第7波が終わってからではなく、速やかに対応することを求めた。

日本記者クラブ(東京都千代田区内幸町)で3日午後行われた記者会見の様子(以下写真はいずれも日本記者クラブ撮影、提供)
日本記者クラブ(東京都千代田区内幸町)で3日午後行われた記者会見の様子

 神奈川県医療危機対策統括官の阿南英明氏(藤沢市民病院副委員長)が提言内容を説明した。「『感染拡大抑制の取り組み』と『柔軟かつ効率的な保健医療体制への移行』についての提言」と題した提言は、まずBA.5を中心とした第7波が拡大し、感染者のこれまでにない急増に伴い、重症者・死亡者数が増え、医療逼迫がさらに深刻化する懸念があるとした。

 その上で国が医療逼迫の深刻化を抑えながら社会経済活動の継続を選択する場合は、一人ひとりが感染拡大を招かない主体的感染対策を徹底し、現在の医療や保健所の対応をオミクロン株の特徴に合わせて移行していく必要があると明示している。

5項目で2段階の移行案を提示

 新型コロナウイルス感染症は感染症法(感染症の予防及び感染症の患者に対する医療に関する法律)で「新型インフルエンザ等感染症」に位置付けられている。政府は、危険度が2番目に高い「2類相当」としての措置より厳しい対策も実施してきた。しかし、第7波では保健所などを通じた全感染者の報告や、指定医療機関での診療が立ちゆかなくなっている。

 提言のポイントは、感染法改正による抜本的な対策の切り替えも視野に、医療の逼迫を抑えながら社会経済活動も続ける仕組みへの2段階移行だ。「医療機関対応」「保健所・行政対応」「感染状況の把握」「高齢福祉施設対応」「旅行者(インバウンド)」の5項目について、地域の実情に応じて早急に実施する「ステップ1」と法改正による全面的な見直しを目指す「ステップ2」の2段階に分けて移行することを求めている。ステップ1は現行感染法や厚労省の通知の範囲で実施可能との考えだ。

提言にある「調整が必要な5項目」と「2段階移行案」(コロナ対策専門家有志の提言資料から)

 「医療機関の対応」では、重点医療機関といった限られた施設だけで入院患者に対応し、外来診療も感染者とそれ以外の患者の空間分離を厳格に行っている現状を改め、ステップ1の段階から一般の診療所で基本的な治療や相談に積極的に対応できるようにする。ステップ2では多くの医療機関での入院を可能にする。

 「保健所・行政対応」では、ステップ1の段階から濃厚接触者特定や患者の健康観察をやめ、相談窓口を活用して一人ひとりの主体的判断で感染予防の行動をしてもらう。現在大きな負担になっている入院調整もステップ1での準備期間を経てステップ2では医療機関で行う仕組みに移行する。

「国が早急に取り組むべき課題」を強調

 「感染状況の把握」では、まず感染者の全数報告を見直す。しかし重症化の恐れがある人の情報収集は重要なため、ステップ1では一部の地域や施設の情報を使って動向を監視する。さらに新たなサーベイランスの仕組みを検討。ステップ2でそれを導入する。

 このほか、診療の費用負担についても提言。ステップ1では原則公費負担を続けるものの、ステップ2では重症患者や高額治療薬は公費負担とし、それ以外は通常の保険診療で対応する方向を示した。

 提言はまた、このような医療・保健体制の見直しを実現するためには国の関与が大前提として「国が早急に取り組むべき課題」を定めた。その中で「国が社会・経済活動を活発化する選択をした場合、感染が拡大して高齢者を中心に重症者や死亡者が増える可能性があることを社会に説明し、理解を求める必要がある」と強調している。

提言にある「国が早急に取り組むべき課題」(コロナ対策専門家有志の提言資料から)
提言にある「国が早急に取り組むべき課題」(コロナ対策専門家有志の提言資料から)

 その上で、簡便、安価に感染の有無を調べることができる抗原キットを確実に入手できる体制を早急に確保することを強く要請した。さらに、政府が濃厚接触者の待機期間を従来の7日間から最短3日間に短縮したことにより、感染が広がるリスクが高まることが国民に十分伝わっていないと指摘。リスクを下げる行動を取るよう人々に働きかけることも求めている。

全国知事会も緊急の建議・提言

 全国的な感染者の激増に危機感を強めた全国知事会(会長・平井伸治鳥取県知事)は7月28日に「政府が行動制限を課さない中で(医療、保健の)現場は一日の猶予もない切迫した状況にある」として政府に新たな医療、保健体制の見直しを求める「緊急建議」をまとめた。

 緊急建議は「爆発的な感染拡大を見せるBA.5は現在の基本的対処方針では的確な対応は困難」として、政府に対し現場で取るべき新たな方針を示すよう求めた。また、医療現場や保健所の逼迫の懸念を踏まえた医療提供体制の充実や感染対策の強化も強く要請している。

 全国知事会はさらに7月29日に5つの課題について25項目からなる「新たな変異株の感染拡大防止に向けた緊急提言」を決定した。平井会長はこの緊急建議や緊急提言を携えて8月2日に後藤厚生労働相と会談し、感染者の全数把握を直ちに見直すよう要望している。後藤氏は「何ができるか検討する」と述べたという。

「65歳未満、持病なく軽症なら受診不要」と4学会

 尾身氏らが提言を発表した2日、日本感染症学会や日本救急医学会、日本プライマリ・ケア連合学会、日本臨床救急医学会の4学会の代表が東京都内で記者会見し、「65歳未満で持病がなく、軽症の場合はあわてて検査や受診する必要はなく自宅療養を続けられる」などとする声明を発表した。

 声明は、オミクロン株の感染で重症化する人の割合は数千人に1人程度と推定されると指摘。ウイルスの曝露から平均3日で発熱や喉の痛みなどの症状が出るが、ほとんどの場合2~4日で軽くなり、順調に経過すれば風邪と大きな違いがなく自宅療養は可能、とした。

感染が疑われる場合の対応判断の流れ(日本感染症学会など4学会提供)
感染が疑われる場合の対応判断の流れ(日本感染症学会など4学会提供)

 その一方で、水が飲めない、呼吸が苦しいなどの症状が出て37.5度以上の発熱が4日以上続くなどの場合は医療機関での受診が必要としている。判断に迷う場合はかかりつけ医や発熱相談窓口や救急相談(#7119、#8000)などに相談することを勧めている。

 4学会の関係者は、発熱外来の逼迫を緩和し、リスクが高い重症者の医療現場を確保することが声明の目的であるとそろって強調している。日本救急医学会の坂本哲也代表理事と日本臨床救急医学会の溝端康光代表理事は「一分、一秒を争う緊急性が高いと判断できた場合はためらうことなく救急要請をしてほしい」「救急現場は現在逼迫しているのは事実だが何とか対応するよう努力する」などと述べた。

「早急に社会に発信する責任」と尾身氏

 日本記者クラブで2日、急きょ行われた尾身茂氏ら専門会有志の記者会見は午後6時から1時間以上続いた。記者に「なぜ今、この提言を出したのか」と問われた尾身氏は「この提言について1カ月以上議論してきた。医療や保健所の現場は限界に来ている。この緊迫した状況で我々専門家は感染拡大を抑えるための作戦を早急に社会に発言する責任がある」と述べている。

 尾身氏ら専門家有志が水面下で提言をまとめる作業を続けた背景には強い危機感があった。第7波の感染拡大が続いているが、政府は新たな対策に慎重な姿勢のままだ。政府部内には感染法での新型コロナウイルス感染症の位置づけを変更することを検討すべきとの意見もあるものの、具体的な動きにはなっていない。

 このため危機感を抱いた尾身氏らは現行法の範囲でできることは多いと判断。今すぐできることをまとめて社会に向け公表する必要があると考えたという。

 専門家有志の1人は「政府が設けている新型コロナ対策の分科会で提言を議論することも検討したがうまくいかなかった。専門家の中でも意見は多様だった」と証言する。「政府と専門家の間に距離があるのではないか」と指摘された尾身氏は「国もいろいろ忙殺されていたようだ」と述べるにとどまった。

 東京大学教授の武藤香織氏は「(提言は)社会経済活動と保健医療の議論なのでできれば分科会で議論してほしかった。いろいろな現場で悲鳴が上がるまで物事が動かないのは残念だ」と率直に語っている。

武藤香織氏
武藤香織氏

求められる一人ひとりの主体的判断と行動

 中国・武漢で発生したとされる新型コロナウイルスが日本国内に入ってから2年半以上経った。アルファ株、デルタ株、オミクロン株と変異株が次々と登場し、感染拡大は7つの波を数えた。第7波がいつピークアウトするかはまだ見通せない。新たな「ケンタウロス」と呼ばれる「BA.2.75」の広がりも伝えられ、「第8波」の可能性も指摘される。

 だが、コロナ禍に対する人々の受け止め方も変わってきた。当初の「かかったら死ぬかもしれない。怖い」感覚から、身近で多くの人が感染するにつれて「自分や家族も感染するかもしれない」「感染しても仕方ない」という感覚になりつつある。

 だが、それも無症状や軽症を前提にしている。依然重症化したら怖い病気であることに変わりない。ワクチン接種を重ねる効果や軽症者向けの国産飲み薬登場への期待は大きいが課題もある。

 今回の専門家有志の提言は、限りある医療資源を重症化リスクがある人に集中させる対策を模索した。「(コロナ対策について)これからも複雑な価値の対立もあるだろう。オミクロン株が出てから感染者1人ひとりの体験は全く異なる。無症状の人もいれば3回も感染して(治って)『俺はコロナサバイバー』だと言っている人もいる。軽症の人から重症の人もいる。そういう多様な人を包摂できる社会になるかを考える必要がある」。武藤氏は会見の最後にこう強調した。

 コロナ禍は容易に終わりそうにない。社会、経済活動をしっかり継続していくためにも一人ひとりの主体的なリスク判断と行動が求められている。

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