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コロナ禍で待たれる国産ワクチン 政府の戦略まとまる/VBは実用化に一歩

2021.06.16

内城喜貴 / サイエンスポータル編集部、共同通信社客員論説委員

 新型コロナウイルス感染症対策の「頼みの綱」として期待されるワクチン。欧米諸国などから出遅れたが、日本国内でも医療従事者に続いて高齢者への接種が進んでいる。「感染力の強い変異株の拡大と接種進行のどちらが早いか勝負」とも言われる。接種は対策の「決め手」になっている。だが、残念ながら接種されるのは米製薬大手ファイザー製と米バイオ企業モデルナ製で、供給の量や時期は「海外頼み」だ。

国立感染症研究所が分離した新型コロナウイルスの英国型の変異株「VOC-202012/01.20I/501Y.V1」の電子顕微鏡画像(国立感染症研究所提供)

 変異株が次々と登場してコロナ禍は長引いている。いずれ感染は収束しても新たなウイルス感染症のパンデミック(世界的大流行)に見舞われる恐れもある。このため政府は、国産ワクチンの重要性を改めて確認し、ワクチンの迅速な開発や生産に向けた国家戦略をまとめた。米国の先例にならって国の支援を全面的に打ち出している。

 国産ワクチンの臨床試験が軌道に乗っているのは数えるほどだが、実用化に向けて着実に成果を上げているベンチャー、製薬企業もある。先行する創薬ベンチャー(VB)の「アンジェス」の創業者で、大阪大学大学院医学系研究科の森下竜一教授が、臨床試験(治験)で中和抗体を確認したことを明らかにした。国際ワクチン実用化への期待は膨らむ。一方、国内での大規模治験は容易でないことなど課題も多い。国産ワクチン開発をめぐる現状と課題をまとめた。

ワクチンの仕組み。右上はアンジェスと森下竜一教授らが開発したDNAワクチンの仕組み(アンジェス/森下竜一教授提供)

日本が遅れた理由はいくつかある

 日本はワクチン後進国と揶揄(やゆ)されることも多いが、かつてはむしろ先進国だった。日本脳炎や水痘のワクチンでは世界に先駆けて開発した。しかし、あっという間に世界中にまん延した新型コロナウイルスでは素早く対応できなかった。国産ワクチン開発が遅れた理由はいくつかある。

 その一つは早くは副反応問題だ。1970年代以降、種痘(天然痘)ワクチンによる脳炎や、MMR(麻疹・流行性耳下腺炎・風疹新3種混合)ワクチンによる無菌性髄膜炎など、各種ワクチンによる重篤な副反応報告が相次いだ。そして国などに対する集団訴訟が相次いだ。比較的記憶に新しいのは子宮頸(けい)がんワクチンによる副反応問題の例がある。

 いずれもメディアが大きく報じたこともあり、国民の間にもワクチンの安全性に対する慎重な考え方が広がった。1992年には東京高裁が種痘やポリオなどいくつかのワクチン接種に対する副反応訴訟で国に賠償を命じる判決を出し、これが確定。このため、製薬企業や厚生労働省はワクチン開発への投資や政策誘導に消極的になっていった。

 インフルエンザのワクチン接種はかなり浸透しているが、新型コロナウイルスが登場する前はウイルス感染症ワクチンの需要は見通せなかった。一般医薬品の国内市場は10兆円規模と言われる。これに対し、感染症のワクチン開発は、高い安全性が要求されて大規模治験が必要になる。開発費は巨額になる。需要が不確定なのに巨額投資することに製薬企業が及び腰になるのは経営判断からは当然だった。

 欧米、特に米国では早い時期から感染症対策を安全保障の観点から重視し、巨額の予算を投入してきた。元々生命科学の基礎研究の水準は高かった。バイオテロ対策としても遺伝子ワクチン開発につながる技術を蓄積していた。

 そうした「基礎力」があったところに、政府主導でベンチャー企業に出資するなど、手厚い資金でベンチャー企業、製薬企業や研究機関の開発を支えてきた。新型コロナ対策としてのワクチン大量生産の立ち上がりは迅速だった。日本との差は決定的だった。

日本の高齢医者への接種が進む米製薬大手ファイザーとドイツのベンチャー企業ビオンテックが共同開発したワクチン(ファイザー提供)

過去を教訓に、研究開発拠点形成などうたう

 政府は6月1日に健康・医療戦略推進本部(本部長・菅義偉首相)会合を開催し、「ワクチン開発・生産体制強化戦略」をまとめた。戦略の内容はいずれもこれまでの国産ワクチン開発が遅れた理由や事情を教訓にしたものだった。

6月1日に首相官邸で開かれた 健康・医療戦略推進本部会合でワクチン国産化に向けた国家戦略がまとまった(首相官邸提供)

 戦略の柱は、
・世界トップレベルの研究開発拠点形成
・戦略性を持った研究費のファンディング機能の強化
・薬事承認プロセスの迅速化
・創薬ベンチャーの育成
・国際協調の推進
などだ。

 新型コロナウイルスのワクチン接種によって体内にできる中和抗体がどのくらいの期間効果をもつか。極めて重要なポイントだが、現段階では「1年程度は期待できる」。それ以上、との期待もあるがはっきりしない。

ワクチンの国家戦略の概略(図では案になっているが6月1日の会合で正式に決まった )(政府の健康・医療戦略推進本部提供)

 6月15日現在の世界の新型コロナの感染者数は約1億7600万人に達している。これほど人類に広がったウイルスが簡単に消滅するとは考えにくい。季節性インフルエンザのように毎年少しずつ姿を変え、繰り返し流行が起きる可能性がある。定期的な接種が必要になると指摘する専門家は多い。

 感染収束まで時間がかかれば、国内で新たな変異株が生まれる恐れもある。こうした日本特有の感染状況に速やかに対応できるのはやはり国産ワクチンだ。

 地球規模の環境変動は感染症を増やすと警告する報告書は多い。将来的に新たなウイルス感染症のパンデミックに見舞われる可能性は十分ある。コロナ禍を経験した今、ワクチンは国の戦略物資と言える。

 今回まとまった国家戦略は網羅的だが、目標を短期、中期、長期に分け、着実に実行していくことが求められている。必要に応じて国が買い上げる制度も必要だろう。

第1段階治験で6~7割の人に中和抗体を確認

 国家戦略が公表された翌週の6月9日。森下竜一教授が日本記者クラブでオンライン形式の記者会見に臨んだ。新型コロナウイルスの国産ワクチン開発で先行する森下教授は、小規模治験の段階ながら接種した6~7割の人から中和抗体が確認された、とする有望なデータを示した。その一方で実用化のために必須の大規模治験のめどはまだ立っていないことも明らかにした。

6月9日に日本記者クラブ(東京都千代田区内幸町)でオンライン形式の記者会見をした森下竜一教授(日本記者クラブ提供)

 アンジェスは大阪大学発の創薬ベンチャーで、次世代のバイオ医薬品を開発するために1999年12月に設立された。開発中のワクチンは遺伝子ワクチンの中でもファイザー製やモデルナ製の「mRNAワクチン」と異なる「DNAワクチン」だ。

 簡単に説明すると、新型コロナウイルスが人に感染する際に使うウイルス表面のスパイクタンパク質を作る遺伝子を投与し、人体にこのタンパク質を作らせて免疫機構にウイルスを認識させる。こうしてできた中和抗体にウイルス侵入時に攻撃させる仕組みだ。

 このDNAワクチンには、目的に応じて特定のタンパク質を作らせる「プラスミドDNA」を体内に入れる技術が使われている。この技術は既に血管再生の遺伝子治療薬「コラテジェン」として実用化しており、安全性、有効性も確立している。

アンジェスが開発した血管再生の遺伝子治療薬「コラテジェン」(アンジェス提供)

 記者会見で森下教授はまず、ワクチンが新型コロナ対策に有効であることを強調し、ファイザー製、モデルナ製といった既存のワクチンの特長や有効性を解説した。

 森下教授のほか宮坂昌之・大阪大学名誉教授(免疫学)も、ワクチン接種によって免疫細胞のB細胞が作る抗体による「液性免疫」だけでなく、キラーT細胞による「細胞性免疫」もできることを強調している。細胞性免疫は重症化予防に威力を発揮し、次々と登場する変異株でも働くという。

 アンジェスと森下教授らの研究グループは、大阪市立大学医学部附属病院で昨年6月から、大阪大学附属病院で昨年9月から、それぞれ30人、計60人を対象に第1段階の治験を開始した。会見で森下教授は大阪大学附属病院での結果を公表。4週間隔で2回接種した10人中6人、2週間隔で3回接種した10人中7人で中和抗体が確認された。細胞性免疫が高まったことも確かめられた。

森下教授らが行ったDNAワクチンの第1段階の治験結果(森下竜一教授提供)

大規模治験で海外データの活用も

 森下教授らは、第1段階に続き、既に500人規模の接種も終えており、現在効果を解析中だ。実用化に向けて治験は順調に見える。先行に尽力してきた研究者らによって日本でも国産ワクチン開発に向けて光が差してきたといえる。

 だが、残された課題は、実用化に向けた最終段階となる大規模治験をどのように行うかだ。国内の新型コロナ感染症の発症率が低く、30万人規模の治験が難しいためで、当面の壁になっている。

 こうした課題を解決する方策の一つが、ワクチン接種が進んでいる東南アジアなど海外のデータを活用する考え方だ。日本も参加する「薬事規制当局国際連携組織(ICMRA)」は、大規模治験に代わってワクチンの有効性や安全性を評価する手法の検討を進めている。代替手法が見つかれば開発競争で出遅れた日本の製薬・ベンチャー企業も実用化が視野に入る。具体案はまだ出ていないが森下教授もICMRAの検討結果に期待を寄せている。

 アンジェスでは、変異株に有効なDNAワクチンの開発も進めている。プラスミドDNA技術はその仕組みの特長から変異株に対応することが可能。現在、国内で流行している「N501Y」「E484K」変異に対応できるワクチン(セミ・ユニバーサルワクチン)を作って今後その効果を確認するという。

アンジェスと森下教授の研究グル-プが進めるワクチン開発のプロセス(森下竜一教授提供)

「次のパンデミックがあることを前提に」

 現在、先行するアンジェスのほか、塩野義製薬(組み換えタンパク質ワクチン)や第一三共(mRNAワクチン)、KMバイオロジクス(不活化ワクチン)なども精力的に開発を進めている。塩野義製薬は日本の厳しいワクチン開発環境の中でも、開発研究を地道に続けてきた。国内治験開始にこぎつけて量産体制も検討中という。

 さまざまな理由、事情から遅れてしまった日本の国産ワクチン開発。厳しい研究環境の中でも意欲的な研究を続けた好事例もある。簡単ではないにしても国家戦略が確実に実行されれば挽回は可能だろう。日本発のワクチンが実用化すれば、ワクチン供給に窮するアジア諸国の「ワクチン後進国」に提供することもできる。国が一度買い上げ、比較的安価で供給できれば、新しい形での国際協調、国際貢献の意味も持ってくる。

 森下教授は記者会見の最後に次のように強調した。「今回のようなパンデミックは数十年に1回、あるいは数年に1回起こり得ることが分かった。(コロナ禍が収束しても)のど元すぎれば熱さ忘れる、であってはならない。必ず次のパンデミックがあることを前提に動くことが必要だ」「国家戦略についても具体的なシミュレーションをしながらしっかり実行していくことが大切だ」。

DNAワクチンのポジショニング・開発意義(アンジェス/森下竜一教授提供)

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