レビュー

「ブルーカーボン」は地球を救うのか?

2017.07.24

保坂直紀 / サイエンスポータル編集部

 地球温暖化をもたらす大気中の二酸化炭素。その吸収源として、海の沿岸域が注目されている。沿岸の浅い海域では海底にアマモなどの海草が生えているし、植物プランクトンも多い。だから、森林とおなじように二酸化炭素を吸収してくれるのではないかと期待されているのだ。緑の森林が光合成で二酸化炭素を吸収し、炭素(カーボン)として体にためこむ「グリーンカーボン」に対し、青い海で育つ生物が吸収・貯蔵する炭素を指す「ブルーカーボン」という言葉も使われるようになってきた。

ブルーカーボン研究の難しさ

図1 走水海岸(神奈川県横須賀市)の海底に生えているアマモ(桑江さん提供)
図1 走水海岸(神奈川県横須賀市)の海底に生えているアマモ(桑江さん提供)

 ブルーカーボンについての研究は、森林のグリーンカーボンに比べて遅れている。海は全体として大気から二酸化炭素を吸収しているのだが、温暖化対策として取り組みやすい沿岸域についての研究が不足している。そもそも、沿岸域がほんとうに二酸化炭素を吸収するのか、最近まではっきりしていなかった。

 森林の場合は、光合成で吸収した二酸化炭素が植物の体になったり栄養分になったりして炭素に姿を変える。植物が使った分の二酸化炭素は大気から減り、それがそのまま炭素として蓄えられるので、話が単純だ。

 しかし、海の場合は違う。アマモなどの海草や植物プランクトンが使うのは、大気中ではなく海中の二酸化炭素だ。海草などが活発に二酸化炭素を取り込んでも、別の理由で海中の二酸化炭素が増えていれば、大気中の二酸化炭素は海面から海水に溶け込みにくくなる。

 沿岸域ではむしろ、海が大気に二酸化炭素を放出するという見方が主流だった。市街地から川を通して流れ込む栄養分をプランクトンなどが分解し、その際に二酸化炭素を発生させるからだ。私たちが食べ物を消化して二酸化炭素を吐き出しているのと同じことだ。

沿岸海域も二酸化炭素を吸収していた

 沿岸域は、ほんとうに二酸化炭素の発生源なのか。その点を明らかにしたのが、瀬戸内海区水産研究所契約職員の所立樹(ところ たつき)さんや港湾空港技術研究所、北海道大学、東京大学の研究グループによる2014年の論文だ。北海道の風蓮湖(ふうれんこ)、神奈川県の久里浜海岸、沖縄県の吹通川(ふきどうがわ)の河口で調べたところ、沿岸域も大気中の二酸化炭素を吸収していることが分かったのだ。

図2 東京湾が大気中の二酸化炭素を吸収していることを示す結果。青い部分が吸収域。北西部の赤い部分が放出域(久保さんら研究グループ提供)
図2 東京湾が大気中の二酸化炭素を吸収していることを示す結果。青い部分が吸収域。北西部の赤い部分が放出域(久保さんら研究グループ提供)

 たとえば、オホーツク海とつながった風蓮湖。湖底のほぼ全域にアマモが生えている。二酸化炭素を使って光合成するアマモなどの働きがないと仮定した場合に比べ、実際に湖水に含まれている二酸化炭素の量は、夏を中心に少なかった。水中の二酸化炭素が減ると、そのぶん大気から二酸化炭素が溶け込むので、アマモなどの光合成が、大気から二酸化炭素を取り込む原動力になっていたことになる。

 東京湾でも、同様の結果が得られている。静岡大学の久保篤史(くぼ あつし)助教や東京海洋大学の研究グループは、海洋大の実習船「青鷹丸」「ひよどり」がこれまでに集めた大量のデータを使い、東京湾は、湾北西部の一部を除いたほぼ全域で、大気中の二酸化酸素を吸収していることを明らかにした。

 この研究で興味深いのは、二酸化炭素の放出源が、湾北西部のとても狭い海域に限定されていた点だ。人口が多い東京都から川が注ぐこの海域には、二酸化炭素が発生する原因になるゴミなどが流れ込んでくる。しかし、その影響は東京湾全体には及んでいなかったのだ。人口密集地の沿岸であっても、きちんと下水を処理して流せば、その悪影響を狭い海域に封じ込められることを示す結果だ。

社会に生かしてこそのブルーカーボン研究

 一般に下水処理では、海中で二酸化炭素を発生させるもとになる「炭素」に比べ、植物の栄養になる「リン」や「窒素」は取り除きにくい。この栄養分が海草や植物プランクトンなどを育て、光合成で海中の二酸化炭素を減らす。つまり、下水に残ってしまったリンや窒素が、大気から二酸化炭素を吸収する助けになるのだ。

 「この点に、ブルーカーボンの研究成果を社会に生かす際の難しさが象徴されている」と、港湾空港技術研究所の桑江朝比呂(くわえ ともひろ)沿岸環境研究グループ長は指摘する。海に流れ込んだリンや窒素は、植物プランクトンが異常発生する「赤潮」の原因にもなる。リンや窒素は、ブルーカーボンによる二酸化炭素の吸収にとっては「正義の味方」だが、赤潮を考えると「悪者」ということになる。科学研究で得られた成果を、ストレートに政策に反映させにくいのだ。

 科学の研究は、ある条件のもとでどのような現象がおき、その理由はなぜなのかを客観的に説明する営みだ。それをもとに、将来の社会をどう作っていくかを決めるのは、政治の仕事であり、市民みんなの責任だ。

 きれいに澄んだ海を求めて、下水から徹底的に不純物を取り除くのか。それとも、生き物が豊かな海、ブルーカーボンによる地球温暖化抑制に価値をおいて、ある程度のリンや窒素は許容するのか。それは、科学者ではなく、社会が決めなければならない。

 「科学は、その判断のための下支えをすべきだ」と桑江さんはいう。「ブルーカーボンの研究は、社会で生かされてこそ意味がある。そのためには、科学者は、学会で発表して論文を書けばそれでよいというのではなく、科学者のコミュニティーから一歩踏み出す必要がある。実際に活動しようとする団体や市民と、じかに対話していくことも大切だと思う」

 社会との対話を進める一方で、研究すべきことも、まだ多く残されているという。たとえば、コンブやワカメなどの海藻がブルーカーボンの蓄積に果たす役割。根がなく岩などにしがみついているだけの「海藻」は、根を張って種で増えるアマモなどの「海草」とは生態が違う。海藻の成長スピードはとても速い。海中の二酸化炭素をたくさん使って成長し、体に炭素として蓄えているはずだ。だが、それがきちんと蓄積されるのか、あるいは分解されて二酸化炭素に戻ってしまうのか。その点も、よく分かっていない。

図3 UNEPが2009年に公表した報告書「ブルーカーボン」
図3 UNEPが2009年に公表した報告書「ブルーカーボン」

 7月18日に東京で開かれた「ブルーカーボンセミナー」には、大学や国の研究機関、民間企業、地方自治体などから約100人が参加した。国連環境計画(UNEP)が2009年に報告書「ブルーカーボン」を公表してから8年。国も後押しをすでに始めている。セミナーでは「社会の判断に役立つ科学」が強調されていた。地球環境問題には生物が絡むので、その研究には特有の複雑さがある。だから、研究成果を社会に分かりやすく説明するのも難しい。そこにあえてチャレンジする取り組みとして、このブルーカーボンに注目していきたい。

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