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ゲノム編集のヒト受精卵応用を米学術2機関が条件付容認 道筋示し各国内議論に影響

2017.02.16

内城喜貴 / サイエンスポータル編集部

 米国の代表的学術機関である米科学アカデミー(NAS)と米医学アカデミー(NAM)が、生物のゲノム(全遺伝情報)を自由に改変できる「ゲノム編集」技術を、厳しい監視の下、将来的には遺伝性疾患を予防する目的に限りヒトの受精卵に応用することを容認する報告書をまとめた。NASはゲノム編集の技術的課題のほか倫理的課題についていち早く取り組んできた。受精卵への応用は改変の影響が次世代に及ぶ。今回の報告書はヒト受精卵への応用に条件と道筋を示しており、ゲノム編集をめぐる日本をはじめ世界各国の議論に大きく影響を与えるとみられる。

 ゲノム編集は、従来の遺伝子組み換え技術とは全く異なる方法により遺伝情報を担うDNAを狙い通りに改変できる技術。医療目的のほか、農産物の品種改良への利用を目指す研究が急速に進んでいる。その一方で倫理問題も浮上、安全性への懸念も広がっている。ゲノム編集の代表的な方法は3種類あり、最も簡便とされる最新の方法は2013年ごろに開発された「クリスパー・キャス9」という方法で、米カリフォルニア大学バークリー校のダウドナ教授とドイツのマックス・プランク感染生物学研究所のシャルパンティエ所長らが開発した。クリスパーという分子とキャス9と呼ばれる酵素を使って特定の遺伝子を取り除いたり、置き換えたりする。この方法が開発されて以降、ゲノム編集は世界の生命科学の研究者の間で急速に普及した。

 こうした中、2015年4月に中国・中山大学の研究チームがヒト受精卵の改変を試みて一部で成功した、と発表して世界中を驚かせた。しかし科学誌「プロテイン・アンド・セル」に掲載された論文によると、受精卵改変の世界初の試みは改変を狙った部分以外にタンパク質が入ったり、効率が低かったりするなどの問題も明らかになり、臨床応用にはまだまだ課題があることも印象付けた。米政府はオバマ前大統領当時、ゲノム編集の受精卵への応用研究に公的研究費を投じることを禁止している。

 NASとNAMによる報告書は「科学、医学、倫理的検討」と題し約250ページ。22人の米国を代表する専門家による委員会(ハインズ委員会共同議長)が議論しまとめた。ゲノム編集の倫理的課題や応用の際の条件などを体系的にまとめている。この中でヒト受精卵への応用については、まだ研究が必要で、現時点の実施は時期尚早、との見解を示した。一方で「技術の進歩は早い」とし「厳しい監視の下」「将来的には」という前提を付けながら、遺伝性の疾患を予防する手段が他にない場合に限り、適切な規制や監視の下で容認できるとしている。遺伝性疾患予防以外の、例えば好ましい外観を実現する「デザイナーベビー」や身体能力や知能を増強する目的の応用については「許されない」とし、明確に歯止めをかけた。

 報告書はまた、受精卵への臨床応用を実施する際には改変した遺伝子の塩基配列がこれまで知られているものであること、数世代にわたる追跡調査の実施、さらに情報公開などを条件として定めている。社会的には依然慎重意見も根強いことから、実施の際のルールを研究者ではなく、一般の人の意見も取り入れて作る必要性なども指摘している。

 NASは米政府や議会から独立した学術機関で米国内の主な科学者が参加している。報告書や声明などを通じて米政府や研究機関に大きな影響を与えてきた。2015年4月の中国チームの発表以来ゲノム編集そのものへの懸念も広がり、事態を重視したNASは同年12月にゲノム編集に関する初の国際会議をワシントンで開催した。会議ではいち早く「法的、倫理的な監視が必要」「受精卵への臨床応用を進めるのは無責任」などとする声明を出して、その後の各国の議論に影響を与えた。今回の報告書はいくつかの条件を設けながらも15年の声明より一歩踏み出した形だ。

 日本国内では昨年4月、生命倫理専門調査会は、改変した受精卵を子宮に戻す臨床利用は「改変ミスが起きる危険性がある」などと容認しない方針を示す一方、基礎研究は容認した。その後9月に基礎研究の対象を「治療法のない病気や障害に苦しむ人に治療法を提供する研究」と範囲を明確にした。同調査会はさらに12月、受精卵を使う基礎研究を行う際は関連学会が設置する合同委員会で研究内容を審査する方針を決めている。

 ゲノム編集に携わる国内の研究者は昨年4月に日本ゲノム編集学会を設立している。受精卵への応用については同年9月に「現在の技術水準では多くの問題があり、実施すべきではない」とする声明を出した。また日本学術会議も同年7月から専門家による委員会で議論を続けている。

 ゲノム編集については国内議論も盛んだが研究面でもさまざまな試みや成果が出ている。
例えば、神戸大学などの研究グループは「Target-AID」と呼ばれる人工酵素複合体を使用、従来のようにDNAを切らずにより安全、確実に改変できる新しい手法を開発し、昨年8月に発表した。また大阪大学は、ゲノム編集の国際的な研究拠点となることを目指す「ゲノム編集センター」を同年12月に開設している。

 クリスパー・キャス9を開発したダウドナ教授ら2人の研究者は2017年の日本国際賞(国際科学技術財団主催)を受賞することが決まった。今月2日に東京都内で行われた授賞者発表記者会見のために来日した2人は、ゲノム編集の受精卵への応用について広く議論する必要性を強調していたという。

 今回公表された米国の体系的な報告書は、ヒト受精卵への応用に道を開きながらも実施の際の条件を明確に厳しく定めたところに意義がある。ゲノム編集の可能性と課題に対する議論を日本国内でもより精緻に進めるための貴重な参考書となるだろう。

シャルパンティエ氏
シャルパンティエ氏
国際科学技術財団提供
ダウドナ氏
ダウドナ氏
国際科学技術財団提供
図 Target-AIDの仕組み(神戸大学、同大学などの研究グループ提供)
図 Target-AIDの仕組み(神戸大学、同大学などの研究グループ提供)
写真 大阪大学大学院医学系研究科に設立された「ゲノム編集センター」の「受託解析サービス部門」の一部 (大阪大学提供))
写真 大阪大学大学院医学系研究科に設立された「ゲノム編集センター」の「受託解析サービス部門」の一部 (大阪大学提供)

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