
朝早く起きて東京湾まで歩き、初日の出を見る。ここ数年の習慣だった。年の初めくらいは、幼少時の気分を思い起こすのも悪くない。移動の手段が自分の足以外、汽車とバスくらいという日本全体が貧しかったころの…。とまあ、相当こじつけ気味の満足感にも浸ることができるし、と。
ところが、今年は分不相応に年末をハワイで過ごすことになった。元旦の夕方に戻るというスケジュールだったので、ハワイを発つのは大みそか。東京湾までの散歩ばかりか、今年は初日の出を見ることもできないか。と、思い込んでいたのだが、「待てよ」と考え直す。日本—ハワイの時差は19時間だ。年が変わる1月1日の午前零時は、ホノルルではまだ12月31日の午前5時。ということは1日早い大みそかの午前7時過ぎにホノルルで日の出を拝めば、日本時間で言えば元旦の午前2時過ぎではないか。日本で待つ人より一足先にちゃんと“初日の出”を拝んだ、と言えないこともない。
厄介になった豪邸は、昔、ハワイの王族たちが住んでいたという地域にある。庭の先は砂浜で、サンゴ礁によってほとんど力を吸収されてしまった波が静かに寄せては返す。物心ついたころから太平洋を眺めて育ったのだが、大広間あるいはプールサイドのいすに寝そべって眺める海の景色がどこか違う。大きな波がなく、サンゴ礁を境に色が変化することもわが郷里の太平洋岸とは大きな違いで、なかなかの眺めではある。しかし、それよりもすぐ目の前にある海面からかなたの水平線までを見通す角度が、この奇妙な心地よさの大きな理由ではないか、と気付いた。満ち潮と引き潮時の海水面差がどのくらいあるのか知らないが、とにかく日中はいつも目の高さに明るく青々とした海面が広がって見える。
さて31日の朝となった。水平線近くまで雲が垂れ込めているのが心配だったのだが、雲の厚さもそれほどではなかったらしい。空が徐々に明るくなり、ついにズズーッと太陽がせりあがってきた。水平線の上に顔を出しきったところで、太陽の真下の水平線からすぐ目の前まで、海面に太陽の光を受けてきらきら輝く“道”がまっすぐに伸びて来る。
初めて見る光景だった。
帰国した翌2日、郷里の水戸に出かけ、毎年、開かれる高校の運動部の新年会と、同級生の新年会に出る。東日本大震災で体育館の天井が被害を受けたため、昨年は現役対先輩チームの試合もできなかった。今年はようやく修理が終わり、いつものように舞台上で年配の先輩たちと観戦する。ストーブが用意されていたが、水戸の冷え込みは昔も今も変わらない。冬になると、ボールをつかむ指先が切れて、よく血がにじんできたことを思い出す。
「茨城は寒いなあ」。郷里に住み続けている先輩方には失礼だったが、つい口走ってしまった。コート上では、先輩後輩の熱戦が続いている。現役だけでなく、若手のOB、OGたちの動きの激しさは、編集者たちの現役時代と比べものにならない。昔も体力抜群の人間はいたが、限られていた。今やほとんどの人間が走り回ってもばてたようなそぶりを見せない。
午後からホテルに場所を移しての懇親会で、高校を卒業して間もない女性の後輩が二人、たまたま座っていたテーブルにやってきた。一人はバスケットボール向きの長身だが、もう一人は150センチもないという小柄な体格である。二人とも医学部に進学したそうだ。
練習が終わって帰宅すると、くたびれて教科書を開く気も起きず、すぐ寝てしまう。そんなわが高校時代を思い起こし、後輩たちの体力に再度、感服した。