東北3県に比べると、新聞、放送で伝えられることは非常に少なかったのだが、東日本大震災による郷里茨城県の被害も大きい。先日、水戸の実家の主(いとこの長男)から電話があり、アパート暮らしをしている、と初めて知る。家屋の被害が大きく、築後、相当たつことから建て替えることにして、現在工事中のため、ということだった。
一方、母校、水戸第一高校の体育館の方はようやく天井の修理が終わり使用可能になったとのこと。バスケットボール部の練習もほかの体育館を借りずにできるようになった、という。他の先輩、後輩たちと日時を合わせて、合宿中の後輩たちを激励しに出かけた。母校は旧水戸城本丸跡に建っており、地盤が悪いはずはない。しかし、体育館は落差がだいぶある校舎敷地とグランドとの境界部分に建てられたからだろうか。天井の被害がだいぶ大きかったらしい。体育館のすぐ前にあるがけも一部崩れたため、斜面の補修工事がまだ続行中だった。
体育館に着くと、例年よりだいぶ人数が多い。水戸第二高校のバスケット部が一緒に合宿中という。水戸第二高校の体育館は天井が全て落下してしまいまだ使用不能とのこと。昔は男子高と女子高が一緒に合宿を、などということは考えられなかったが、母校は既に4割が女生徒という時代である。その上、バスケット部に女子部ができて30年以上たつ。建前は共学だが実質、女子高のままである水戸第二高校との合同合宿も、別に驚くほどのことではないということだろう。
男女一緒のドリブルの練習を見て、時の流れを実感する。走りながらボールの位置を体の右から左、左から右へと切り替える練習だ。体の前でやるならどうということはない。ところが、腕を後ろに回し、つまり尻の後ろでボールの位置を反対側に切り替えるのだ。一流選手が試合で見せるのは何度も見ているが、高校の後輩たちが当たり前のように練習しているのに、すっかり感心してしまった。そんなことはおくびにも出さず、練習を中断して整列した後輩たちに対し、先輩たちに続いて偉そうな話を今年もしてしまったが…。
その後、学校敷地内にある立派な同窓会館で、OB・OG会の役員会を開く。地元の後輩から、現役後輩たちの戦績の報告を受ける。気がかりだったのは昨夏、同じように合宿中の後輩たちを激励した時、男子部員がたった4人しかいないことだった。夏のインターハイを最後に3年生は練習をやめるのが慣例だ。1、2年生が4人しかいないということは、翌年の春に新1年生が入部するまで試合ができないということを意味する。年内にあったウインターカップの地区予選は3年生の部員のうちの一人が、受験勉強中に関わらず急きょ出場し、かろうじて5人のチーム編成が可能になったという。1991年公開の傑作映画「シコふんじゃった」(周防正行監督)をまたもや思い出してしまった。
部員が少なく、このままでは団体戦に出場できない。そんな窮地に陥った相撲部を、年配の先輩たちが嘆きあう…。大いに笑わせる場面があったものだが、わが母校のバスケット部もひとごとではなくなっている。1年前には4人しかいなかった男子部員のうち、3人は2年生。1年生がたった一人だけ、ということは、3人の2年生がいなくなる1年後には、2年生はたった一人になるということだ。新入生が4人以上入ってこないと前の年と同じことになる。
幸い今年は8人の1年生男子部員が入ってきた。やれやれ、である。
ちなみにいったんユニフォームを脱いだのに、ウインターカップ地区予選のため急きょ出場したという立派な3年生は、どうなったか。今春、東京大学文科3類に現役合格したということである。
水戸藩校「弘道館」の建学精神でもある「文武不岐」の伝統は健在、ということのようだ。