静岡県裾野市を拠点に、外国語・日本語教育プログラムや企業研修プログラムの学習教材の開発・制作や、実際の研修などを手掛ける金子詔一氏から、「夕やけの唄」というCDとDVDを送っていただいた。英語会話にジャズのリズムを取り入れたというユニークな学習法を考案した方で、株式会社地球人村とエフ・アイ・エーの社長を務める。
「ジャズを覚える感覚で」。もし30年前にそうと知って教えを乞うていたらわが英語もひょっとすると、などと考えないこともないが、もはや手遅れだろう。企業研修となるとさらに、昔も今もほとんど関心はない。金子さんも、つい最近まで全く存じ上げなかった。送っていただいたCD、DVDは本業というより、氏のもう一つの顔であるボランティア活動に関わるものである。
「13日先約なかったら知人宅のパーティーにどう」。半月ほど前、いつも音楽会に誘ってくれる友人に誘われたのが、きっかけだった。「ネクタイしていく必要ある?」ということだけ聞き、返事から長い付き合いの方のホームパーティーと見当をつける。JR中野駅で待ち合わせ、もう一人誘われていた共通の友人と3人で目指す家に着いて、驚く。
住宅街の中に建つ立派な日本家屋の広い居間(元は畳敷きだったのだろう)では、テナーサックス、ピアノ、ベースによる演奏が始まっていた。ざっと20人近い人たちがグラスを手に、聴き入っている。まずシャンパンのグラスを渡され、続いて勧められた米カリフォルニア産という赤ワインも相当な品と見受けた。飲み物やオードブル類を運んでくれる男性も、パーティーのために頼んだ人たちのようだ。
邸宅の主、金子詔一氏に紹介される。昭和50(1975)年、現職の美濃部亮吉氏に石原慎太郎氏が挑んだ都知事選に、突然、立候補したことがあったという。周囲はびっくりしたそうだ。「知事選に出たおかげで、親類、友人の何分の一かが去って行きましたけど」。だからどうということもありませんが、といった口ぶりだった。おそらく昔も今と同様、威張ったり、気取ったりするのが似合わない雰囲気の人だったのだろう。
市区長・議員以上の公職選挙では、立候補したものの得票数が一定数(都道府県知事の場合は有効投票総数の10分の1)に達しないと、供託金は返してもらえない。現在、都道府県知事選の供託金は300万円だが、「当時は30万円だった」そうだ。没収を免れるだけの票を得たかどうか、は聞きそびれた。
金子家は元々、長野県の人という。「昔は、この家に郷里から出てきた親類縁者が何人も住んでいた」。話を伺ううちに、詔一氏の人となりが分かるような気がしてくる。家族だけでなく、大勢の人を面倒見ていた家庭に育った人だからこそではないか、と。昔はベース奏者として活動していたこともあるそうだ。
最後にトリオの演奏に合わせ、森山良子の歌でよく知られる「今日の日はさようなら」を皆で歌う。これを作詞、作曲したのが金子氏だと初めて知る。懐かしい歌だ。昔、ある赴任地で、テニスが好きな新聞、通信社の記者とその夫人たちでつくるグループに入れてもらっていた。中心人物が編集者の上司で、その名前をかぶせ「○○テニススクール」と称していた。その“校歌”が「今日の日はさようなら」だったのである。新参者で、かつ一番若かった編集者は、いつもピアノで伴奏をさせられたものだ。ピアノを人に習ったことなどなく、和音(コード)をたたくだけだったが、和音の進行も歌詞同様シンプルだから困ることはない。そもそも時々、間違ったところでどうということもなかった。いつも歌うのはパーティーの最後、皆すっかり出来上がっているころだったから…。
金子氏が、DVDとCDを送ってくれた「夕やけの唄」も、氏が東日本大震災の被災地をおもって作詞作曲した歌だ。女性ジャズ歌手、北浪良佳さんが歌っているDVD、CDは東北地方の復興支援に一役買っている。誰でもすぐに覚えられそうな旋律と平易な詞で、特に「けっぱれ」という方言をうまく使っているのが素晴らしい。13日のパーティーでもテナーサックスを演奏していたQ.いしかわ氏が、しみじみと歌い込んでいた。
「『けっぱれ』の意味は語感から見当つくが、茨城では使わない」。パーティーの翌日、通信社時代の同期生たちと飲んだ時に、聞いてみる。5人の中に北海道と東北出身が3人いた。福島県郡山近辺では使わないが宮城県、北海道では使う、という結論になる。「頑張れ」という意味で。
「夕やけの唄」は、東北地方を中心にじわじわと歌われるようになり、何年、何十年かするうちには、全国の人が知る歌になるのではないだろうか。「今日の日はさようなら」と同じように…。
DVDで被災地の映像と歌詞を追いながら北浪良佳さんの歌を聴くうちに、また目頭が熱くなった。
遠くを見つめ涙をこえて この街の明日を信じ夕やけのむこうに けっぱれけっぱれけっぱれ なんぼでもけっぱれ …………